『親友』と呼べる存在って、果たして一生のうちに出会うことができるのだろうか。
少なくともぼくは39歳の気づきの時まで、そういう存在は自分には無縁だと思っていたし、そんなの在り得ないと思っていた。一応そういう感じの友達はいるけど、とてもとても『親友』なんて呼べない。感じられない。
世の中全体が『軽薄短小』薄っぺらは人間関係ばかりが目に付く。集団にはなるけれど、集団の中にいてもどこかひとりぼっち。
所詮人間は孤独さ、なんてうそぶいていた『きたざわおさむ』
でも今のぼくは違うんです。『親友』とこころから感じることのできる存在がいる。
先日、その我が友、雨宮君が家族で遊びに来てくれた。彼は高校時代の柔道のライバル。山梨県在住の警察官だ。もう、それはそれはうれしくてうれしくて。
彼が茨城に来たのは、ぼくの結婚式以来。16年ぶりに来てくれた。
お互い年をとったもんだ。
『親友』っていう言葉はちーと恥ずかしいけれど、彼とは年に一度会うかどうかくらい。でもいつもぼくの心の中にいて励ましてくれる。そして、激しく落ち込んでいる時、どこから見ているのではと思うほどのタイミングで電話をくれる。
あるときこんなことがあった。
社員との行き違いで社内が混乱し、ぼく自身も路頭に立たされた。もうにっちもさっちもいかない状況だった。毎日毎日が憂鬱で、どうしようもなくなって彼に電話をした。
『お、、、久しぶり・・・』とぼく。でも次の言葉ができない。
『・・・・・・・・』
『おさむ。おれは おまえのきもち わかるぞ!』のひと言。
ぼくはあの瞬間を忘れない。魂に突き刺さる言葉だった。ぼくは思わず大声を出して泣いてしまった。
『親友』という存在。それはその人によって違うと思うけれど、ひとりでもそんな存在に出会えたとしたら、幸せですね。
ではまた。
おさむ
少なくともぼくは39歳の気づきの時まで、そういう存在は自分には無縁だと思っていたし、そんなの在り得ないと思っていた。一応そういう感じの友達はいるけど、とてもとても『親友』なんて呼べない。感じられない。
世の中全体が『軽薄短小』薄っぺらは人間関係ばかりが目に付く。集団にはなるけれど、集団の中にいてもどこかひとりぼっち。
所詮人間は孤独さ、なんてうそぶいていた『きたざわおさむ』
でも今のぼくは違うんです。『親友』とこころから感じることのできる存在がいる。
先日、その我が友、雨宮君が家族で遊びに来てくれた。彼は高校時代の柔道のライバル。山梨県在住の警察官だ。もう、それはそれはうれしくてうれしくて。
彼が茨城に来たのは、ぼくの結婚式以来。16年ぶりに来てくれた。
お互い年をとったもんだ。
『親友』っていう言葉はちーと恥ずかしいけれど、彼とは年に一度会うかどうかくらい。でもいつもぼくの心の中にいて励ましてくれる。そして、激しく落ち込んでいる時、どこから見ているのではと思うほどのタイミングで電話をくれる。
あるときこんなことがあった。
社員との行き違いで社内が混乱し、ぼく自身も路頭に立たされた。もうにっちもさっちもいかない状況だった。毎日毎日が憂鬱で、どうしようもなくなって彼に電話をした。
『お、、、久しぶり・・・』とぼく。でも次の言葉ができない。
『・・・・・・・・』
『おさむ。おれは おまえのきもち わかるぞ!』のひと言。
ぼくはあの瞬間を忘れない。魂に突き刺さる言葉だった。ぼくは思わず大声を出して泣いてしまった。
『親友』という存在。それはその人によって違うと思うけれど、ひとりでもそんな存在に出会えたとしたら、幸せですね。
ではまた。
おさむ