エバ夫婦の山紀行、現在・過去・未来・・・
モチベーションを保つ
継続が原動力、踏破とか完登が終点ではない
※昨年4月に書き留めた投稿していなかった記事です
下書きのまま忘れていた記事を今になって読み返して見た。
流して削除しても良かったが、あの時自分はこんなことを考えていたんだぁ~と思う
と削除出来なかった。更に文が途中で終わり、あの後何を書こうとしていたのか・・
と想像し加筆してみたくなったので続ける事にした。ご訪問の方はサラッと読んで頂
ければ幸いだ。 (一部訂正、加筆していますのでご了承下さい)
★ なぜ今なのか・・・
遅咲き34歳の時、登山を知る。(同時に妻は33歳の時)
あれから早や28年の歳月がながれ今年62歳となったところだ・・・。
そして、これからも登山はライフワークとして続けたい、それは変わらない。
エバ夫婦が求む「北海道の山1000m超峰全山登頂」の夢は、進行形である。
がしかし、ちょっとだけ「二の足を踏む」心境に苛まれている。
それがなぜ今になってそう思うのか? 自分でもよく分かっていない。
でも、過去を振り返り、今を思い、これからを臨もうとするとき、ふとその思いを
書き留めて置きたいと思った。
過去の記録をザックリ整理してみるとこの28年間の山行回数は延べ1000回を
越えていた。例えば1回の山行が大雪山の縦走なら、黒岳から始まり北鎮岳、中岳
間宮岳、荒井岳、松田岳、北海岳、白雲岳、小泉岳、緑岳、忠別岳、五色岳、化雲
岳、トムラウシ山まで14座を一気に制覇した事もあり、登った山は500座を優
に超えているだろう。(本州の山行や山も含んでいる)
同じ山に何度も登る事やすでにカウントを止めた里山もあるが、登山道のある
1000m超峰は、ほぼ登り尽くしたと言っても過言ではない。
1000m超峰だけが山ではなく低山の楽しみや面白さも加えたら登山の範囲は広
く奥深くなる。
ただ単に多くの山に登れば凄いと言うのではなく、どんな山でもどう登るかで全く
違う登山になるものだ。特に付いて行く連れて行ってもらう登山の記憶は薄いのは
私だけだろうか?計画から始まり地形図や装備を整えアプローチやルートを探る山
は出発前が一番楽しく初登頂で120%の達成感に満ち溢れるものだ。
失敗しても道に迷ってもケガをしても時々の反省や教訓はすべてその後登山の肥や
しになって成長する自分に跳ね返ってくる。リベンジ成功の時は、何倍も嬉しさが
増し充実感もひとしおと言うところだろう。
単独で登った山も夫婦で登る山も仲間たちと登る山もその時々で楽しみ方は違うか
も知れないが、我武者羅にピークだけを目指していた若い頃の登山と花や景色を楽
しみながら何度も足を止めてゆっくり登る今のスタイルも経験と加齢と共に変化し
ていくのは仕方ない。1時間で登頂した山に今3時間掛けないと登れなくてもそれ
が自分の登山スタイルならそれでいいと思うし、あの時に見えなかったものが新た
な発見となれば嬉しいものである。
ピークに立つだけが登山ではなく歩き続けて山を楽しめる事が感謝であり幸せを実
感出来る時間なのかなと思うようになって来た。
人生の半ばを過ぎ「退職」という大きな節目を経験し、孫たちが増えて成長する過
程が楽しみだったり、住んでいる地域との関りも少しずつ気になってみたり、山以
外の旅にも行って見たいなぁ~とか、家でのんびりコーヒーを飲みながら本を読ん
だり自分の紀行文を振り返ったり、DIYに目覚めたり、新しい事に挑戦したくな
ったりと余暇の使い方は事欠かない。
今は大きな病気も無く本当の退職も間近になって、いわゆる余生をどう生きるのか
と設計したくなる年齢なのかも知れない。「元気な内に・・」とはよく言うが、悔
いの残らない人生にするために、今している事が最善なのか?・・・と、ふと自問
自答したりする。
長いサラリーマンに終止符を打ち自由の身と案ずる事も出来ない時代だ。現実年金
はいくらなのか、払う税金はいくらなのか、死ぬまで働かないと生きて行けないの
かと現実問題を重ねると「悔いのない人生」なんて望む事すら非現実の事を呟いて
いるだけなのかと思えて来た。
「登山」という素晴らしい趣味を覚え、今も夫婦で登っていること自体に感謝して
良いのに大きな目標を付加して、やり進む事の重要性が最近少しぼやけて来ている。
前人未到の記録を達成する事や仮に世界一の山に登る事は、誰にでも出来る目標で
はないかも知れないが、「あくまで自己満足の世界なんだよなぁ~」と呆気無く流
されてしまったりする。
決して人のために登っているのではなく、自己満足でも自分のために登っている山
であるはずなのに、目指す目標が厳しくなればなるほど自信喪失に苛まれ戦闘意欲
が失効してしまうのだろうか・・。
登山をもっと楽しみたいのに・・・と漠然な思いは、いつも考えているのに何故二
の足を踏むなんて事になるのか・・・
★ モチベーションの難しさ・・・
40年以上勤めて来た会社を5月で退職扱いとなる人生の大きな節目を迎えていた。
しかし、その後悠々自適な生活などある訳も無く年金支給年齢の引き上げにより継続
雇用制度が会社に課せられる。だから仕事はそのまま継続する事になるが、給与体系
がまったく変わり、休日は週休3日制となった。休みの多いのは大歓迎だったが何せ
給与が安過ぎだ。なのに仕事の内容は以前と同じなのだから仕事に対するモチベーシ
ョンが上がるはずもない。そんな日々を約2年間続けて来た時にライフワークとして
きた登山に対する考え方も猪突猛進とはならなくなって来たのかも知れない。
モチベーションを保つ
継続が原動力、踏破とか完登が終点ではない
※昨年4月に書き留めた投稿していなかった記事です
下書きのまま忘れていた記事を今になって読み返して見た。
流して削除しても良かったが、あの時自分はこんなことを考えていたんだぁ~と思う
と削除出来なかった。更に文が途中で終わり、あの後何を書こうとしていたのか・・
と想像し加筆してみたくなったので続ける事にした。ご訪問の方はサラッと読んで頂
ければ幸いだ。 (一部訂正、加筆していますのでご了承下さい)
★ なぜ今なのか・・・
遅咲き34歳の時、登山を知る。(同時に妻は33歳の時)
あれから早や28年の歳月がながれ今年62歳となったところだ・・・。
そして、これからも登山はライフワークとして続けたい、それは変わらない。
エバ夫婦が求む「北海道の山1000m超峰全山登頂」の夢は、進行形である。
がしかし、ちょっとだけ「二の足を踏む」心境に苛まれている。
それがなぜ今になってそう思うのか? 自分でもよく分かっていない。
でも、過去を振り返り、今を思い、これからを臨もうとするとき、ふとその思いを
書き留めて置きたいと思った。
過去の記録をザックリ整理してみるとこの28年間の山行回数は延べ1000回を
越えていた。例えば1回の山行が大雪山の縦走なら、黒岳から始まり北鎮岳、中岳
間宮岳、荒井岳、松田岳、北海岳、白雲岳、小泉岳、緑岳、忠別岳、五色岳、化雲
岳、トムラウシ山まで14座を一気に制覇した事もあり、登った山は500座を優
に超えているだろう。(本州の山行や山も含んでいる)
同じ山に何度も登る事やすでにカウントを止めた里山もあるが、登山道のある
1000m超峰は、ほぼ登り尽くしたと言っても過言ではない。
1000m超峰だけが山ではなく低山の楽しみや面白さも加えたら登山の範囲は広
く奥深くなる。
ただ単に多くの山に登れば凄いと言うのではなく、どんな山でもどう登るかで全く
違う登山になるものだ。特に付いて行く連れて行ってもらう登山の記憶は薄いのは
私だけだろうか?計画から始まり地形図や装備を整えアプローチやルートを探る山
は出発前が一番楽しく初登頂で120%の達成感に満ち溢れるものだ。
失敗しても道に迷ってもケガをしても時々の反省や教訓はすべてその後登山の肥や
しになって成長する自分に跳ね返ってくる。リベンジ成功の時は、何倍も嬉しさが
増し充実感もひとしおと言うところだろう。
単独で登った山も夫婦で登る山も仲間たちと登る山もその時々で楽しみ方は違うか
も知れないが、我武者羅にピークだけを目指していた若い頃の登山と花や景色を楽
しみながら何度も足を止めてゆっくり登る今のスタイルも経験と加齢と共に変化し
ていくのは仕方ない。1時間で登頂した山に今3時間掛けないと登れなくてもそれ
が自分の登山スタイルならそれでいいと思うし、あの時に見えなかったものが新た
な発見となれば嬉しいものである。
ピークに立つだけが登山ではなく歩き続けて山を楽しめる事が感謝であり幸せを実
感出来る時間なのかなと思うようになって来た。
人生の半ばを過ぎ「退職」という大きな節目を経験し、孫たちが増えて成長する過
程が楽しみだったり、住んでいる地域との関りも少しずつ気になってみたり、山以
外の旅にも行って見たいなぁ~とか、家でのんびりコーヒーを飲みながら本を読ん
だり自分の紀行文を振り返ったり、DIYに目覚めたり、新しい事に挑戦したくな
ったりと余暇の使い方は事欠かない。
今は大きな病気も無く本当の退職も間近になって、いわゆる余生をどう生きるのか
と設計したくなる年齢なのかも知れない。「元気な内に・・」とはよく言うが、悔
いの残らない人生にするために、今している事が最善なのか?・・・と、ふと自問
自答したりする。
長いサラリーマンに終止符を打ち自由の身と案ずる事も出来ない時代だ。現実年金
はいくらなのか、払う税金はいくらなのか、死ぬまで働かないと生きて行けないの
かと現実問題を重ねると「悔いのない人生」なんて望む事すら非現実の事を呟いて
いるだけなのかと思えて来た。
「登山」という素晴らしい趣味を覚え、今も夫婦で登っていること自体に感謝して
良いのに大きな目標を付加して、やり進む事の重要性が最近少しぼやけて来ている。
前人未到の記録を達成する事や仮に世界一の山に登る事は、誰にでも出来る目標で
はないかも知れないが、「あくまで自己満足の世界なんだよなぁ~」と呆気無く流
されてしまったりする。
決して人のために登っているのではなく、自己満足でも自分のために登っている山
であるはずなのに、目指す目標が厳しくなればなるほど自信喪失に苛まれ戦闘意欲
が失効してしまうのだろうか・・。
登山をもっと楽しみたいのに・・・と漠然な思いは、いつも考えているのに何故二
の足を踏むなんて事になるのか・・・
★ モチベーションの難しさ・・・
40年以上勤めて来た会社を5月で退職扱いとなる人生の大きな節目を迎えていた。
しかし、その後悠々自適な生活などある訳も無く年金支給年齢の引き上げにより継続
雇用制度が会社に課せられる。だから仕事はそのまま継続する事になるが、給与体系
がまったく変わり、休日は週休3日制となった。休みの多いのは大歓迎だったが何せ
給与が安過ぎだ。なのに仕事の内容は以前と同じなのだから仕事に対するモチベーシ
ョンが上がるはずもない。そんな日々を約2年間続けて来た時にライフワークとして
きた登山に対する考え方も猪突猛進とはならなくなって来たのかも知れない。
これからもエバさん(ご夫婦)が登りたい山を楽しんで登ってください。
私はエバさんに声をかけてもらってひとりでは出来ない山の経験をさせてもらって感謝しています。
山に行ってますか?こんな世の中ですが、ウイルス皆無の山は私たちの避難場所です。
そして同時ストレス発散の場でもあり、癒しの場でもあります。
時々の気持ちの変動はあっても、続けられる限りボチボチと夫婦登山が継続出来ればと思っています。
HIROさんの事を忘れた訳ではありませんよ!
でも、嬉し過ぎるコメントでHIROさんの顔が見たくなりました。
是非、ご一緒する山を実行したいですね!