10月24日 龍谷大学里山学研究センター「龍谷の森」
龍谷大学名誉教授の江南和幸さんに案内されて「龍谷の森」を見学しました。
龍谷大学瀬田キャンパスは、琵琶湖南湖の南東部に広がる瀬田丘陵のほぼ中央部に、滋賀県と大津市の支援を受けて、1989年に理工学部、社会学部、後に国際文化学部を開設しました。当時の学長である千葉乗隆氏の提案によって、入り口の小山を残したのが、瀬田キャンパスに隣接する里山林(水平面積38ha)の「龍谷の森」です。この森も龍谷大学が入手する30~40年前までは、地元住民が薪や柴をとるための薪炭林として利用されてきましたが、龍谷大学が入手したときは、林内には藪が生い茂り倒木が道をふさいで人が歩くことができない、典型的な管理放棄された里山林でした。現在は従来の伝統的利用とは異なる「新たな里山利用モデル」構築の取り組みが始まっています。
江南さんに案内されて入山です。
マルバハギ クサギの実 ヌルデの虫こぶ タカノツメ
丸葉萩と山萩の違い、ヌルデの虫こぶはタンニンが豊富でお歯黒の材料に使いました。鷹の爪の若芽は山菜として食用に、薪炭、箸、マッチの軸に使用します。
ミツバアケビの実 リョウブ アカメガシワ コシアブラ
三葉アケビの実は茹でて種を除いて肉を詰めて、縛って炒めると美味しい料理に、リョウブの幹は床柱、若葉は山菜に、アカメガシワはお茶にして飲むと二日酔いの薬に、コシアブラの新芽は天ぷらやおひたしにすると、美味しい山菜です。
ここから森の中に入ります。滑らないように気を付けてください。
イノシシの餌場、地面の土や落ち葉を掘り返して、ミミズ等を食べた跡です。
尾根伝いに山頂付近に到着
なぜ山の上に「丸い石ころ」が沢山あるのか分かりますか? まるで河原のようです。
「琵琶湖」は、約600~500万年前に、三重県の伊賀・上野地方で発生し、地殻活動による沈降と隆起を繰り返して北へ移動してきた古代湖です。古琵琶湖の移動した跡には、底に溜まった砂・泥・礫などの堆積物からなる地層(古琵琶湖層)があり、瀬田丘陵の最も上位の古琵琶湖層群は瀬田礫層です。第1回観察会の「琵琶湖博物館の展示」を思い出しました。琵琶湖は世界の湖の中でも成立が古い古代湖の一つです。
この景観が里山です!
マツ林を切り拓いて薪作り、椎茸栽培の榾木(ホダギ)、廃材はクワガタの寝床です。
田上米(タナカミマイ)を産出した穀倉地帯
田上山地と瀬田丘陵に挟まれ、大戸川が広がる盆地で、「まぼろしの米」といわれる「たなかみ米」を産出している穀倉地帯です。大津市南部のこの地域は、奈良時代の藤原宮の造営や東大寺などの寺院の建立に多くの木材が伐採され、その後も無計画な乱伐が続き、全山が見るも無残な「はげ山」になり、大戸川の氾濫を度々引き起こしました。水害によって田んぼが荒廃すると綿づくりをし、その後、開墾して田んぼに戻します。米づくり⇒綿づくり⇒米づくりを繰り返しながら、「まぼろしの米」といわれる「たなかみ米」を守った人々の苦労がしのばれました。
瀬田・田上の地形
江南和幸さんのプロフィール
1940年東京生まれ、大阪大学工学部卒業、同大学院工学研究科修士課程修了。工学博士。大阪大学工学部助手、助教授を経て1990年龍谷大学理工学部教授。2008年退職、同名誉教授。現在は龍谷大学人間・科学・宗教総合センター(里山学研究センターおよび古典籍デジタルアーカイブ研究センター)研究フェローとして活躍されています。