(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

なのにあなたは磐西線にいるの

2015年09月06日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 中越大地震の時に運転されたワム迂回列車で思い出すのは、意外と雪が積もってた時期に(撮影向きな、ネタになりやすい)良いカマが運用に入って、天気の良かった2004年の年末~翌2005年初頭は「白」が多かったこと。これには、当時郡山更新色で僅かに残っていた1008や、土崎更新色で走っていた1010、つまり後日新・大宮更新色となって活躍を続けたのも入る。
 1001も12月中に迂回貨物を牽引した1両になった。当時は「腹巻き」と揶揄されていた「白」更新色が、撮れば撮るほど地獄に嵌まる位もう鬼のように走り回っていた。当然隅田川と焼島を結ぶ事になってたワム車の迂回運転初日も「白」。期待の「赤組」がやってくるにはさらに少し時間がかかったがその辺は後日改めてサルヴェージしてから綴るつもり。
 この12月18日、記憶が正しければで恐縮だが、新・大宮色の1016(ないしは98か)が入るとの噂が流れていた。だが、充当はされたものの肝心の3072レは人身事故でダイヤが乱れて迂回貨物までは充当出来ず。結果運用変更が実施されて同日ねぐらの仙貨に戻るはずの1001がやってきた。
 貨物のことだからと楽観視する撮影者もいたが、ダイヤはダイヤ、粛々と滞りなく運転されなければならない。よって磐西線区間で待ち構えていた彼らもまた黙って撮って帰るしかなかった訳で


頑張って猪苗代から歩いて撮れそうな所を探して三脚立てた俺もそんな悲しい人間の一人になった。「Pトップ」だしなぁ…プレミア感はあるか、と勝手に自分に言い聞かせて東京に帰ったような気もするが、「なんでアレが居るんだ…」と、また新しいトラウマを刻んで帰ったのだけは忘れない。
 翌2005年12月一杯で1001は本線の運用から離脱した。俺が最後に撮ったのは1015と重連で牽いた4086レだった。

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