この世の問題を解いて人は成長していく!!
ある定時制高校の理科教師である藤竹(窪田正孝)は、部活の科学部を作ろうと参加を呼び掛けていく。一番手になったのは、いわゆる不良の柳田岳人。ディスレクシアのため(文章の読み書きに困難な学習障害の一種)に文字の理解が不十分だったが、藤竹の指導により立ち直りを見せていく。家庭の事情や学校のでの誤解が原因で、授業についていくことを一反諦めかけた、フィリピン人の母と日本人の父を持つ越川アンジェラ。起立性調節障害を抱え、保健室登校を続ける名取佳純(伊東蒼)。そして、第4話では、長嶺省造(イッセー尾形)が登場。長嶺は70代・現在は町工場の社長であるが、夫婦ともども金の卵と言われた集団就職で上京し勉強したくても勉強できない身の上。それでもがんばって成功した、そんな時代の寵児だったのである。年齢もバックグラウンドもバラバラな者どうしが同じ学校の勉強をしているのであるが、それぞれに問題(勉強をするための困難さ・支障の程度)を抱え、その問題もそれぞれに異なり(自身が抱える障害、家庭内の問題、断ち切れない人間関係など)、支障・困難さの大小もひとことではいえないものであった。
オギャ―と生まれて、人生はそれぞれに課題を解決して生きていく。そして、彼らはある定時制高校の科学部に集まった。人それぞれに人生の解決すべき課題は異なる。もともとは、自分であの世でプランを立てて、どんな問題が出てくるかも本当は分かっているのだが、この世に生まれた途端に忘れてしまうという。それは、覚えていたのではテストで答えを先に見るようで、意味がなくなるからだという。それは、それぞれの問題を解決して自分の成長を図っていくためなのだ。
その問題も初めは足し算引き算程度、それが出来ると掛け算割り算の問題。さらには微分・積分の問題がでてくるのだという。人それぞれに解いている問題が違う。人の問題をみてその難易を判断しても意味はない。やさしいように見えても、その人にとっては、難しいことだってあるうる。(自分だったらこうするという相談に乗ることはできても、その人自身が解かねばならない問題である。) 要するに、その人自身が解きやすいように、それに対応した足し算から積分という問題が順番に出てくるというのだ。だから、その人に取って解けない問題はないという。そのため、悲観して人生を終わることもない。どこかに解決の糸口はあるというのだ。人生を諦めることはないのだ。自分が(神様が手を添えて)作った人生のプランなのだから。
生徒の柳田岳人にとっては、「文字の習得とそれに代わる音声学習」の問題、定時制を続ける決意をした越川アンジェラにとっては今後もそのまま続けられるかという問題、名取佳純は科学部に示す興味から徐々に保健室からの脱却を図ること、長嶺省造にとっては、自分にとってはもちろんのこと、病気の奥さんにノートを見せるという課題を今後も解決していくかということなんだと思う。人それぞれに解決すべき問題の内容や解決すべき方法もそれぞれに異なるということなのだ。
そして最後に、人生は生き切ってこそ、意味があり、その終生までがその人の人生なのだ。自分は後期高齢者になろうとしている。私には、今後どんな人生があるのだろうか?
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