Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

変なとこ似てしまった

2018-05-10 23:34:27 | マタニティ・育児
今日、クラスを中和する存在?と言われた娘ですが。

自分で言うのもなんですが、
中学の担任の先生にも三者面談で同じようなことを言われたことがあって。
先生は褒めて言ってくれたのだろうけれど、
聞いてた私は違和感があって。
それは、
「クラスでも人気者。一人でいることがまずないよね。自然に周りに人が集まってくるっていうか」
という言葉だった。
それを聞いて私は、そうか?と内心首をかしげた。
母は嬉しそうだったし、あえて否定しなかったけれど。
そもそも私は誰かが言ったことを否定したりすることが苦手だった。
言い争いとか、不穏な空気が苦手で、
相手の言うことを否定せず、
聞こえのいいことを答える子だった。
だから、自己主張の強い子や、逆に依存系の子が寄ってきて、
私はそういう子とも距離をとったりすることができず、
しんどい思いをしていた。
休み時間が嫌いだった。
授業中は気が楽だった。
いわゆる、親友、と呼べるような、私の心の拠り所になるような友達はいなかった。
かといって、一人になる勇気はなく、
嫌われたくないから、
みんなに合わせてヘラヘラと笑っていたのだと思う。
もちろん、いい友達もいた。
心から楽しくて笑った瞬間もあった。
でも、私自身、誰かとそこまで仲良くなりたいとも思っていなかったのだと思う。
思春期だから、みんながみんなの悪口を言い合っていて、
そんなのにも辟易していた。
辟易しながらも、やっぱりヘラヘラと笑っていた。


振り返ってみれば、幼稚園の時も、
同じクラスのちょっと強気で背の大きな子に、
髪を引っ張られたり、給食の嫌なものを押し付けられたり、描いた絵をバカにして笑われたり←めっちゃ根に持ってるやん
そんな時も、やり返すこともせず、逃げもせず、我慢するか、ただ泣いたりしていた。

小学校でも、近所の同じ通学路の子に、
目をつぶって歩くように命令されて、
フェンスに突っ込んで顔に傷を負ったこともあった。
何でそんな言うこと聞くのよ、
やられたらやり返せばいいでしょ、
そんな母の言葉を聞いて、
ああこの人は私の気持ちをわかってはくれないし、助けてはくれないんだな、と思うようになった。
だから、社会人になって、鬱になる程つらくても、
親に電話することはなかった。
何を言われるかわかっていたから。
最終的には倒れて実家暮らしを余儀なくされたけれど、
その時も、母は、甘えるな、というスタンスだったように思う。

何で何も言い返せない性格になったかって、
父親のDVとモラハラのせいでしかないと思ってる。
父に言い返しては殴られている母を見て、
長い物には巻かれた方が傷つかないと学んだから。

大学に入り、父が亡くなり、気持ちが楽になり。
自分も周りもある程度大人になって、
割り切った付き合いができたし、
自分と似たような境遇や経験を持つ子がわりといて、
今でも仲良くさせてもらってる。
社会人になって、鬱から復帰してからも、
素敵な先輩方との出会いがあって、
今でもたまに会ってお話したり。
鬱から脱却してからの方が、
自分自身も強くなれたし、嫌なことは忘れることができるようになったから、
生きていることが楽しい。

だから、私は子ども時代に戻りたいと思ったことがない。
充実はしていたし、楽しい思い出もたくさんあるけれど、
家族関係と友達関係は苦痛だった。
そんな私を、担任の先生は、人気者、と言った。
今考えると、先生は私のことわかってないんだな、と落胆したのもあると思う。
「しっかりしてるし、何も心配していません」という、先生の太鼓判も、私には、見放されたように感じたし。

嫌なことをされても、
何も言い返せずにいる娘を、自分と重ねて見てしまう。
外面の良さというか。
変なお人好しさ加減というか。
でも、保育士の先生は、娘のそういうとこ、ちゃんと見てくれていて、安心。

多少嫌われても、自分に降りかかる嫌なことは、
しっかり跳ね除けられる子になってほしい。
されて嫌なことは嫌だって言っていいんだよ、って伝えるようにはしてるけれど。
娘がつらい時は、必ず味方でいるし、
これからもそう伝えていきたい。
だから、闘うチカラをつけてほしい。
しんどくなっても、ママがいるから大丈夫、思ってもらえるように、
私もがんばらなくてはなぁ。