ここ1週間ほどブログが更新できなかったのは表題の本を読んでいたからです。視力の衰えを感じながら、内容の重いこの本にじっくり目を通していたのです。
■『国家権力による虚構―歴史の歯ぎしりが聞こえる、「泊・横浜事件」と「大逆事件」』 向井 嘉之/金澤 敏子/西村 央【著】
・細川嘉六ふるさと研究会、能登印刷出版部、231頁、2024年4月20日発行
明治時代の「大逆事件」とその30年後、昭和時代の「泊・横浜事件」の共通項はいずれも権力犯罪による事件だという点です。まさに「国家権力による虚構」、権力によるフレーム・アップ(でっち上げ)ということで通底しているのです。「大逆事件」は明治の「泊・横浜事件」、「泊・横浜事件」は昭和の「大逆事件」である、と言った人がいたということでした。なるほど、言い得て妙です。
本書発刊の狙いは次のことに凝縮されそうです。
「国家主導による個人の抹殺とは一体何なのか。「大逆事件」と「泊・横浜事件」を通してその本質を考えてみたい。」(まえがき)
本書の出版の大きな契機になったのが、「泊・横浜事件」の元被告で中央公論社編集者だった木村亨さんの妻、木村まきさんの死去でした。まきさんは私と同じく清瀬市に住み、地域の市民運動を共にしてきた仲間でもありました。まさに同世代でその人となりを良く知っています。
彼女を悼んで東京の練馬区にあるギャラリー古藤で「治安維持法の時代を考える」という展示会が開催されたことはこのブログでも報告したところです。昨年の暮れのことでした。
この本にも頻繁にまきさんが登場し、その展覧会の資料も数多く掲載されています。
私の後ろ姿も写真に写っていたり、大杉榮の甥にあたる大杉豊さんも来場されていたようです。
「泊・横浜事件」と「大逆事件」とつなぐ奇遇と言っても良い事実が紹介されていました。木村亨さんは大逆事件で処刑された元医師の大石誠之助と同郷で新宮市の出身です。亨さんの祖母は大石誠之助に看てもらったということでした。「貧しい人からは金を取らない、あんなに良い先生がなぜ殺されたのか。」ということばを覚えていたというのです。
最後はルポライターの鎌田慧さんへのインタビューで締めくくられています。鎌田さんは大逆事件で生き残った坂本清馬伝『残夢』を著しています。『大杉榮 自由への疾走』と共に名著と言えるものです。
興味深かったのは「泊・横浜事件」で拷問にあった中央公論編集部長だった藤田親昌のことです。彼の息子が演出家のふじたあさやさんです。日本演劇教育連盟の演劇教育賞選考委員会などで何年もお世話になった方です。2017年、青年劇場が「『事件』という名の事件」を上演しました。木村亨さんが重要人物として描かれているらしいのですが、再演の時は必ず足を運ぶつもりです。
◆永遠の未完成
六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場
事業費15兆1千億円は私たちが支払っている電気料金
鎌田 慧(ルポライター)
青森・六ケ所村に建設中の原発の使用済み核燃料の再処理工場。核燃
料サイクルの事業費が、予定より増えて15兆1千億円になる、と「使用
済燃料再処理・廃炉推進機構」が発表した。
今月末にはいつから稼働できるか発表する、と言っていたがそれは無
理で27回目の延期発表になりそうだ。
15兆円といえば国家的大事業だが、着工は1993年(69年には建設計画
があった)。それから31年たったがいまだにいつ完成するのか、誰も語
ることができない。
工期が長くて有名なスペインのサグラダ・ファミリアは、着実に建設
が進みガウディ没後100年の2026年にはメインタワーが完成する。
一方、青森で未完の再処理工場は、建物だけはほぼ完成したが、高レ
ベル廃液をガラス固化体にする建屋が、2009年の廃液洩れ、事故で汚染
され停止したまま。
試運転さえできていない。ウラン溶液とプルトニウム溶液とを分離、
精製する作業もある。
が、事故続きだった高速増殖炉「もんじゅ」が、ついに廃炉を決定し
たように、廃炉宣言は必定だ。
使用済み核燃料を核燃料サイクルで全量再処理する、それが政府の絵
に描いた餅。
破綻はすでに明らかだ。生産がなくとも倒産しないのは、私たちが支
払っている電気料金から費用が支払われているからだ。
未来のエネルギー。その虚妄を私たちが身銭を切って支えている。
(6月25日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」)
◆虚妄の核燃料サイクル (上)
地震大国で活断層だらけの日本では 最終処分場は無理
着工31年でもまだ未完成の工場
鎌田 慧
6月中旬、佐賀県玄海原発敷地内で、使用済み核燃料(核のごみ)最
終処分場を建設するための、調査がはじまった。これまでは北海道の寿
都町と神恵内村での調査があったが、原発敷地内では初めてだ。
調査に協力するだけでも20億円が入る、そのカネの力に屈した。さら
に四国電力の伊方原発でも、自社の使用済み核燃料を保管する動きが
ある。
しかし、最終処分場は世界でもいまなお、フィンランドのオンカロで
建設工事が始まっているだけで、地震大国・日本ではほぼ無理とされて
いる。
だから日本では、地下300m以上の地層内に埋蔵する方法ではなく、
「キャスク」と呼ばれる、高さ5.7m、直径2.4mの円筒状の金属製
容器に収容して、地上におく方式を取ることになった。
いわば「仮処分」だが、地上、地下ともに安住の保証はまったくない。
原発の終わり、デッド・ロックの象徴でしかない。
にもかかわらず、岸田首相の原発延命政策は、無知、無責任、集団自
殺行為といっていい。
原発はいまさらいうまでもなく、活断層だらけの地震列島・日本には
もっとも不向きな発電装置だ。
パイプだらけの原発が大地震に耐えられるかどうか、事故時に住民が
無事に放射能、圏外に脱出できるか、それらの不安すべてを、カネの力
で押し切った暴政が、日本の原発政策だった。
いま、着工から31年が経ってなお、稼働の見通しがまったくない、青
森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の実態を見れば、核政策がいかに馬鹿
げたものだったかがわかる。
六ヶ所村への「核燃料サイクル」建設は、1969年の「新全国総合計
画」(新全総)時代に計画され、秘密にされてきた(拙著『六ヶ所村の
記録』)。
着工して31年経っても完成しない工場とは、現代の怪談とも言える。
日本の「国家事業」としての核燃料サイクル路線とは、技術評論家の
山本義隆氏が書いている。
「核燃料サイクルの確立そのものを第一目的として核発電に取り組ん
だのである」(「核燃料サイクルという迷宮」)。
〔6月26日「週刊新社会」第1360号「沈思実行」(199)より〕