CWニコルさんの物語を「教材」にして、日常的にことばとからだで遊んできたラボ・テューターやラボッ子たちはニコルさんの逝去に対して、深い感慨を抱いたようです。物語を通してニコルさんの想いが血肉化されているのが彼らだと思うからです。(拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』晩成書房、参照)
矢部さんを通してテューターの追悼文を読ませていただきました。彼女たちの了解を得て、ここに掲載させていただきます。ありがとうございました。
●福田三津夫様
テューターからわたくし宛にいただいた、ニコルさんの訃報に接してのメール
を添付します。
このような思いをもったテューターは他にもたくさんいらっしゃいます。
ラボ物語ライブラリーの中でニコルさんの作品はたくさんあり、いずれも
テューターやラボっ子の人気は高いものばかりです。
矢部 顕
◆ニコルさんショック
―訃報をうけて思いだすこと―
ニコルさんショックからすこしずつ立ち上がりつつあります。ラボも休みになってしまいましたし、国際交流中止だけでなく、地区研もネット会議予定・・・・・・・・。
ラボ関係者で、C.W.ニコルさんの恩恵を受けていない人はいないでしょうね。
なぜかって? まず私がラボっ子時代から人気だったラボ物語ライブラリー『すてきなワフ家』、そして冒険とユーモアのつまった『TANUKI』なども絵本とともに大好きな作品など長いこと親しまれていた作家であり、人物だったからです。
「ソングバード2」の『オーロラ』や『あ・はうりく』、『フォークソング名曲集』、私がニコルさん作品で一番大好きな『日時計』、数えたらきりがないくらいニコルさんの作品、そして英語にあふれて……。CDを聞いて多くの何度も覚えた英語は、ニコルさんの英語の文章がいっぱいなんですよね。
ラボ発足40周年の『はだかのダルシン』が発刊される頃からニコルさんがラボに講演などでお顔を見せてくださるようになり、長野・黒姫の「アファンの森」と「ラボランド」の近さもあり、最近では、ラボっ子に直接ご教示くださる機会もぐんと増えました。
ラボ発足40周年の時に実現した対談集『ことばと自然』(2006年アートデイズ刊)の本では、ニコルさんと言語社会学者の鈴木孝夫先生と対談をなさっています。私がどう生きていくべきなのか指針となる教えがたくさんあり、経済至上主義でなくということ。ニコルさんの一徹さと、鈴木孝夫先生の視点の高さともに森・野鳥・きのこ動物といった自然を愛するお二人ならではのことばが心に響いてきます。虫や鳥の話では、とんでもなく盛り上がったのでしょう。
また鈴木先生が「『TANUKI』の滑稽さをとても気に入られて、ニコルさんも喜んでいらっしゃった様子ですね。『TANUKI』も『すてきなワフ家』使える英語をたくさん、音の面白い表現をと心をくだいてくださって、おかげで豊かにラボは進んでくることができました。日本語についての鈴木先生ならではのこだわりと、日本人であろうとするニコルさんに鈴木先生の優しさと思える内容になっています。
イギリス、アメリカ、カナダなどに住んでいらっしゃった鈴木先生とニコルさんは、魂レベルで共感されたことでしょう。あとがきを読むと、前ラボ会長さんのご尽力おおきいですね。ありがとうございます
「アファンの森」の池から、弥生時代の土器が出たっていうのにはほんとに驚きました。縄文時代の遺跡は多いのに。さすが長野!!
とにかく話題と博識なお二人の対談で学ぶことが多いですね。『誇り高き日本人でいたい』(2004年初版 アートデイズ刊)では、ニコルさんご自身がラボとの出会い、故・谷川雁さんとの濃くて深い付き合いも語られています。 また本の中で、「アファンの森」に託す思いを「私の死後も森は生き続けてくれる」と述べています。
まだ、ニコルさんがなくなったのはまだ受入れられませんが、ニコルさんの小説、作品、歌声、そしてラボ物語ライブラリーの数々も生き続けてくれます。
『ワフ家』のやんちゃなヘンリーやおしゃまなアンは(王室のお名前だったり英雄のお名前だったりで呼び捨てにするのもなんですが)生き生きと命をもってラボっ子と活動しているし、『TANUKI』だって、今も柿の木の下でうろうろしているように思われます。ニコルさんの世界は、今も生き生きとしていますから。
個人的なお付き合いはありませんが、作品や心では何度もお付き合いさせていただいたことに感謝。
僭越ながら、ご冥福をお祈り申し上げます。
テューター ○○ ○○
◆『たぬき』に憧れていた子ども時代
ニコルさんの訃報、悲しい気持ちで受け止めています。対談集『ことばと自然』を昨日、手にとっていました。鈴木先生との対談、出版時、一気に読んだものでした。
しばしの中断があったにせよ、40周年の時に、再びラボへ。あの年の、東京でのニコルさんの講演会にも出かけました。戻ってきてくださったことがとても嬉しかったです。
ラボっ子たちは、今もニコルさんの物語ライブラリーを楽しんでいます。
当時小学生だった私は、『TANUKI』のようになりたかったのです。女王様ともお茶を楽しめるコミュニケーション力の高さ。私は、長女気質というのでしょうか、しっかりしなくてはいけない、そんな思いに捉われていたような気がします。元教師、明治生まれの祖母がいて、ミスはいけない事と思っていました。(私だけの思い込みだったのですが~) 『TANUKI』の心は自由です。失敗するけれど気にしない、正義感もある、ユーモアのセンスもある、誰とでも話せる、憧れでした。
物語から力をもらっていたのですね。他にも、『すてきなワフ家』『きてれつ六勇士』『ゴロひげ平左衛門ノミの仇討』『ドリトル先生海をゆく』などなど、私もラボっ子たちも楽しんできました。
ラボ物語ライブラリーの中に、ニコルさんはこれからも生き続けますね。
ご冥福をお祈りします。
テューター○○ ○○
矢部さんを通してテューターの追悼文を読ませていただきました。彼女たちの了解を得て、ここに掲載させていただきます。ありがとうございました。
●福田三津夫様
テューターからわたくし宛にいただいた、ニコルさんの訃報に接してのメール
を添付します。
このような思いをもったテューターは他にもたくさんいらっしゃいます。
ラボ物語ライブラリーの中でニコルさんの作品はたくさんあり、いずれも
テューターやラボっ子の人気は高いものばかりです。
矢部 顕
◆ニコルさんショック
―訃報をうけて思いだすこと―
ニコルさんショックからすこしずつ立ち上がりつつあります。ラボも休みになってしまいましたし、国際交流中止だけでなく、地区研もネット会議予定・・・・・・・・。
ラボ関係者で、C.W.ニコルさんの恩恵を受けていない人はいないでしょうね。
なぜかって? まず私がラボっ子時代から人気だったラボ物語ライブラリー『すてきなワフ家』、そして冒険とユーモアのつまった『TANUKI』なども絵本とともに大好きな作品など長いこと親しまれていた作家であり、人物だったからです。
「ソングバード2」の『オーロラ』や『あ・はうりく』、『フォークソング名曲集』、私がニコルさん作品で一番大好きな『日時計』、数えたらきりがないくらいニコルさんの作品、そして英語にあふれて……。CDを聞いて多くの何度も覚えた英語は、ニコルさんの英語の文章がいっぱいなんですよね。
ラボ発足40周年の『はだかのダルシン』が発刊される頃からニコルさんがラボに講演などでお顔を見せてくださるようになり、長野・黒姫の「アファンの森」と「ラボランド」の近さもあり、最近では、ラボっ子に直接ご教示くださる機会もぐんと増えました。
ラボ発足40周年の時に実現した対談集『ことばと自然』(2006年アートデイズ刊)の本では、ニコルさんと言語社会学者の鈴木孝夫先生と対談をなさっています。私がどう生きていくべきなのか指針となる教えがたくさんあり、経済至上主義でなくということ。ニコルさんの一徹さと、鈴木孝夫先生の視点の高さともに森・野鳥・きのこ動物といった自然を愛するお二人ならではのことばが心に響いてきます。虫や鳥の話では、とんでもなく盛り上がったのでしょう。
また鈴木先生が「『TANUKI』の滑稽さをとても気に入られて、ニコルさんも喜んでいらっしゃった様子ですね。『TANUKI』も『すてきなワフ家』使える英語をたくさん、音の面白い表現をと心をくだいてくださって、おかげで豊かにラボは進んでくることができました。日本語についての鈴木先生ならではのこだわりと、日本人であろうとするニコルさんに鈴木先生の優しさと思える内容になっています。
イギリス、アメリカ、カナダなどに住んでいらっしゃった鈴木先生とニコルさんは、魂レベルで共感されたことでしょう。あとがきを読むと、前ラボ会長さんのご尽力おおきいですね。ありがとうございます
「アファンの森」の池から、弥生時代の土器が出たっていうのにはほんとに驚きました。縄文時代の遺跡は多いのに。さすが長野!!
とにかく話題と博識なお二人の対談で学ぶことが多いですね。『誇り高き日本人でいたい』(2004年初版 アートデイズ刊)では、ニコルさんご自身がラボとの出会い、故・谷川雁さんとの濃くて深い付き合いも語られています。 また本の中で、「アファンの森」に託す思いを「私の死後も森は生き続けてくれる」と述べています。
まだ、ニコルさんがなくなったのはまだ受入れられませんが、ニコルさんの小説、作品、歌声、そしてラボ物語ライブラリーの数々も生き続けてくれます。
『ワフ家』のやんちゃなヘンリーやおしゃまなアンは(王室のお名前だったり英雄のお名前だったりで呼び捨てにするのもなんですが)生き生きと命をもってラボっ子と活動しているし、『TANUKI』だって、今も柿の木の下でうろうろしているように思われます。ニコルさんの世界は、今も生き生きとしていますから。
個人的なお付き合いはありませんが、作品や心では何度もお付き合いさせていただいたことに感謝。
僭越ながら、ご冥福をお祈り申し上げます。
テューター ○○ ○○
◆『たぬき』に憧れていた子ども時代
ニコルさんの訃報、悲しい気持ちで受け止めています。対談集『ことばと自然』を昨日、手にとっていました。鈴木先生との対談、出版時、一気に読んだものでした。
しばしの中断があったにせよ、40周年の時に、再びラボへ。あの年の、東京でのニコルさんの講演会にも出かけました。戻ってきてくださったことがとても嬉しかったです。
ラボっ子たちは、今もニコルさんの物語ライブラリーを楽しんでいます。
当時小学生だった私は、『TANUKI』のようになりたかったのです。女王様ともお茶を楽しめるコミュニケーション力の高さ。私は、長女気質というのでしょうか、しっかりしなくてはいけない、そんな思いに捉われていたような気がします。元教師、明治生まれの祖母がいて、ミスはいけない事と思っていました。(私だけの思い込みだったのですが~) 『TANUKI』の心は自由です。失敗するけれど気にしない、正義感もある、ユーモアのセンスもある、誰とでも話せる、憧れでした。
物語から力をもらっていたのですね。他にも、『すてきなワフ家』『きてれつ六勇士』『ゴロひげ平左衛門ノミの仇討』『ドリトル先生海をゆく』などなど、私もラボっ子たちも楽しんできました。
ラボ物語ライブラリーの中に、ニコルさんはこれからも生き続けますね。
ご冥福をお祈りします。
テューター○○ ○○