旅行から帰って、時差ぼけの頭で郵便物を整理していたら一枚のはがきを見つけて愕然としました。表裏に次のように書かれていたからです。
■村山眞理子 お別れ会のご案内
謹啓 皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
故村山眞理子(ケーキドマリコ店主)は去る9月25日に闘病の末永眠いたしました(享年67歳)。故人の活動の足跡を、生前お世話になりました皆様と共に、振り返るお別れ会をご案内いたします。ご多忙とは存じますが皆様のお越しを心よりお待ちしております。 尚、ケーキドマリコはこれをもって閉店いたします。これまでのご愛顧、誠にありがとうございました。
敬白
2016年10月吉日
■村山眞理子 お別れ会
・日時:2016年10月23日(日)13:00~20:00
14:00~/19:00~主催者挨拶を予定しております。
※時間内の入退場は自由とさせていただきます。
・会場:西部地域センター3F多目的ホール(東久留米市滝山)
・故人が多く遺した記録(映像・写真・日記・レシピ)や、手作り作品等を展示します。レシピから再現した菓子もご用意致します。
平服でお気軽にお越し下さいませ。
1991年、私は教師生活最大の危機を迎えていました。悪戦苦闘して卒業生を送り出したばかりでした。(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』晩成書房、に詳述しました)翌年、東京・東久留米第九小学校に転任しました。その時受け持ったのが3年生でした。前年の子どもたちから学んだことを生かしながら、充実した日々を送ることができたのです。その時の学級通信が「宅急便」です。
次の年4年生に持ち上がりました。この時保護者会の学級委員に立候補して下さったのが、村山眞理子さんでした。保護者会では姉御肌の彼女が、会を取り仕切ってくれました。私は時々話をまとめる程度でした。その村山眞理子さんが若くして亡くなられたのでした。彼女は私より1歳年上でした。
彼女とのこんな思い出を私は本に書き残しました。『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』の一節を引用してみましょう。
「お母さんが動く、お父さんが動く」
教育は教師だけでできるものではないことを私はあの銀杏組に教わったことは前にも書いた。そのことを証明する<事件>が起こった。
四年生になっても子どもたちは絶好調だった。新入生の歓迎会をほとんど教師の手を借りないでできるようになっていた。外部から授業を見たいという参観者も多く、そういった小さな出来事も自分たちの成長の糧にしていった。葛岡雄治さんとの共同授業 「夕鶴」の十数時間におよぶ取り組みは、この本の後半で明らかにしたい。
さて、お母さん方の協力はますます強力なものになっていった。
学級委員のお母さん方が二学期の終わりに学級活動として、焼き芋、豚汁作り、ゲームで遊ぶということを計画してくれた。これはかなり大がかりな企画で、豚汁のためにかまどをつくらなければならない。大人の男手も数人必要ということだった。
お母さん方がこの計画を話しに来校されたので、教頭に許可を得ようとしたら、案の定事前の連絡もないのでダメだという。校庭で火を炊くということは前例もないし、裏庭のU字抗も勝手に動かしてはいけないという。管理的な教頭で、日頃から何度もぶつかってきたのでまあ予想されたことではあった。でも許可されない理由がどうしても理解できない。今後のこともあるので引き下がるわけにはいかない。他の教師も大勢いる中、放課後の職員室で激しくやりあった。
「子どもや教師、親が子どものために計画したことを積極的に支えるのが管理職の仕事でしょう。やってはいけない理由がまったく理解できません。」
どうも埒が明かない。そこに割って入ったのが学級委員のお母さん方だった。私と同年齢の骨太のお母さん方があっさりオーケーさせてしまったのだ。火は危なくないように、U字抗はちゃんと元に戻すという条件で。教頭は何も言えなかった。お母さん方が数枚上手だった。
そのイベントは大成功だった。次の通信を見てもらおう。
■学級活動-楽しかったね おいしかったね
まずは、飯野さんとともに今回の学級活動の総元締、村山さんのお手紙を紹介しまし
ょう。
「学級活動は、楽しいおいしいで無事終わり、本当に良かったと思っています。二学期
の係の方々にお元気の方もよろしくと、お願いしてあったかいもあって、暖かく、参加
者も九十名に近く、もうこの二つだけとっても大成功と言えると思います。たくさんの
方々の手助けによって、本当にさまざまな作業の助けを借りると、大きな楽しみがえら
れると実感しました。」
本当にお母さん方の協力態勢は見事でした。マラソン大会が終わって教室に入ってし
ばらくしてから校庭を見ると、もう煙が上がっていました。今回はお父さんの協力もあ
りました。仁平くん、石山さん、大津さん、広谷くんのお父さんという強力メンバーで
した。豚汁のためのかまど造りでは大いに力を発揮してくださったようです。もちろん
女性パワーもすごい。大きな鍋に豚汁をいっぱい作ってくれました。またこれがおいし
いのなんのって。一杯どころか三杯も四杯もおかわりした子がいたくらいですから。私
なんぞは大きなお碗にいっぱいいただきました。これだけでお腹がいっぱいでした。こ
れに焼き芋とおにぎりをいただいて、あとは遊ぶだけとなりました。(略)
(「宅急便」№189、93・12・6)
食事をした後のドッジボールがなかなか感動的だった。四年生はもちろん、お母さん、お父さん、お姉ちゃん、弟妹、と異年齢のグループが全員で楽しんでたのだ。いつまでたっても勝負はつかなかった。…立ち上る煙やこの様子を、一度はストップをかけた教頭はどんな気持ちで見ていたのであろうか。
豪快な村山さんとは担任を離れてからも関係は続きました。団地でケーキドマリコというケーキ屋さんを開いていた彼女から、妻の誕生日には必ずアップルパイを頼むことにしていたのです。
「宅急便」学級のお母さんとの会はその後、断続的に10回以上は続いたのではないでしょうか。10名ぐらいのお母さん方がケーキドマリコで食事とケーキを食べながら様々な世間話に花を咲かせたものです。
私がワインを作るようになったのは村山さんからレシピをいただいたからでした。
私が担任した村山悟郎君は東京芸術大学を卒業して、芸術家として大成し、様々な賞を獲得しています。東京都現代美術館や青山のアトリエに彼の作品を見に行ったことがありました。現在はウイーンで創作活動をしているとお姉さんは話してくれました。
それにしても67歳は若過ぎる。合掌
■村山眞理子 お別れ会のご案内
謹啓 皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
故村山眞理子(ケーキドマリコ店主)は去る9月25日に闘病の末永眠いたしました(享年67歳)。故人の活動の足跡を、生前お世話になりました皆様と共に、振り返るお別れ会をご案内いたします。ご多忙とは存じますが皆様のお越しを心よりお待ちしております。 尚、ケーキドマリコはこれをもって閉店いたします。これまでのご愛顧、誠にありがとうございました。
敬白
2016年10月吉日
■村山眞理子 お別れ会
・日時:2016年10月23日(日)13:00~20:00
14:00~/19:00~主催者挨拶を予定しております。
※時間内の入退場は自由とさせていただきます。
・会場:西部地域センター3F多目的ホール(東久留米市滝山)
・故人が多く遺した記録(映像・写真・日記・レシピ)や、手作り作品等を展示します。レシピから再現した菓子もご用意致します。
平服でお気軽にお越し下さいませ。
1991年、私は教師生活最大の危機を迎えていました。悪戦苦闘して卒業生を送り出したばかりでした。(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』晩成書房、に詳述しました)翌年、東京・東久留米第九小学校に転任しました。その時受け持ったのが3年生でした。前年の子どもたちから学んだことを生かしながら、充実した日々を送ることができたのです。その時の学級通信が「宅急便」です。
次の年4年生に持ち上がりました。この時保護者会の学級委員に立候補して下さったのが、村山眞理子さんでした。保護者会では姉御肌の彼女が、会を取り仕切ってくれました。私は時々話をまとめる程度でした。その村山眞理子さんが若くして亡くなられたのでした。彼女は私より1歳年上でした。
彼女とのこんな思い出を私は本に書き残しました。『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』の一節を引用してみましょう。
「お母さんが動く、お父さんが動く」
教育は教師だけでできるものではないことを私はあの銀杏組に教わったことは前にも書いた。そのことを証明する<事件>が起こった。
四年生になっても子どもたちは絶好調だった。新入生の歓迎会をほとんど教師の手を借りないでできるようになっていた。外部から授業を見たいという参観者も多く、そういった小さな出来事も自分たちの成長の糧にしていった。葛岡雄治さんとの共同授業 「夕鶴」の十数時間におよぶ取り組みは、この本の後半で明らかにしたい。
さて、お母さん方の協力はますます強力なものになっていった。
学級委員のお母さん方が二学期の終わりに学級活動として、焼き芋、豚汁作り、ゲームで遊ぶということを計画してくれた。これはかなり大がかりな企画で、豚汁のためにかまどをつくらなければならない。大人の男手も数人必要ということだった。
お母さん方がこの計画を話しに来校されたので、教頭に許可を得ようとしたら、案の定事前の連絡もないのでダメだという。校庭で火を炊くということは前例もないし、裏庭のU字抗も勝手に動かしてはいけないという。管理的な教頭で、日頃から何度もぶつかってきたのでまあ予想されたことではあった。でも許可されない理由がどうしても理解できない。今後のこともあるので引き下がるわけにはいかない。他の教師も大勢いる中、放課後の職員室で激しくやりあった。
「子どもや教師、親が子どものために計画したことを積極的に支えるのが管理職の仕事でしょう。やってはいけない理由がまったく理解できません。」
どうも埒が明かない。そこに割って入ったのが学級委員のお母さん方だった。私と同年齢の骨太のお母さん方があっさりオーケーさせてしまったのだ。火は危なくないように、U字抗はちゃんと元に戻すという条件で。教頭は何も言えなかった。お母さん方が数枚上手だった。
そのイベントは大成功だった。次の通信を見てもらおう。
■学級活動-楽しかったね おいしかったね
まずは、飯野さんとともに今回の学級活動の総元締、村山さんのお手紙を紹介しまし
ょう。
「学級活動は、楽しいおいしいで無事終わり、本当に良かったと思っています。二学期
の係の方々にお元気の方もよろしくと、お願いしてあったかいもあって、暖かく、参加
者も九十名に近く、もうこの二つだけとっても大成功と言えると思います。たくさんの
方々の手助けによって、本当にさまざまな作業の助けを借りると、大きな楽しみがえら
れると実感しました。」
本当にお母さん方の協力態勢は見事でした。マラソン大会が終わって教室に入ってし
ばらくしてから校庭を見ると、もう煙が上がっていました。今回はお父さんの協力もあ
りました。仁平くん、石山さん、大津さん、広谷くんのお父さんという強力メンバーで
した。豚汁のためのかまど造りでは大いに力を発揮してくださったようです。もちろん
女性パワーもすごい。大きな鍋に豚汁をいっぱい作ってくれました。またこれがおいし
いのなんのって。一杯どころか三杯も四杯もおかわりした子がいたくらいですから。私
なんぞは大きなお碗にいっぱいいただきました。これだけでお腹がいっぱいでした。こ
れに焼き芋とおにぎりをいただいて、あとは遊ぶだけとなりました。(略)
(「宅急便」№189、93・12・6)
食事をした後のドッジボールがなかなか感動的だった。四年生はもちろん、お母さん、お父さん、お姉ちゃん、弟妹、と異年齢のグループが全員で楽しんでたのだ。いつまでたっても勝負はつかなかった。…立ち上る煙やこの様子を、一度はストップをかけた教頭はどんな気持ちで見ていたのであろうか。
豪快な村山さんとは担任を離れてからも関係は続きました。団地でケーキドマリコというケーキ屋さんを開いていた彼女から、妻の誕生日には必ずアップルパイを頼むことにしていたのです。
「宅急便」学級のお母さんとの会はその後、断続的に10回以上は続いたのではないでしょうか。10名ぐらいのお母さん方がケーキドマリコで食事とケーキを食べながら様々な世間話に花を咲かせたものです。
私がワインを作るようになったのは村山さんからレシピをいただいたからでした。
私が担任した村山悟郎君は東京芸術大学を卒業して、芸術家として大成し、様々な賞を獲得しています。東京都現代美術館や青山のアトリエに彼の作品を見に行ったことがありました。現在はウイーンで創作活動をしているとお姉さんは話してくれました。
それにしても67歳は若過ぎる。合掌