後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔169〕「谷川俊太郎展」は谷川さんの膨大で濃密な1冊の本を読むようでした。

2018年02月20日 | 美術鑑賞
 1月の末日、連れ合いと、新宿の東京オペラシティアートギャラリーに「谷川俊太郎展」を見に行きました。詩人・谷川俊太郎さんの大ファンの私としては、はたしてどんな展覧会なのか興味津々でした。かつて、まど・みちおさんの絵の展覧会に行ったことがあるのですが、まさか谷川さんが絵を描いているとは想像できません。そんなこんなで期待は高まりました。
 行く前に東京オペラシティアートギャラリーのホームページを覗いてみることにしました。 

【谷川俊太郎展】 
■イントロダクションIntroduction
 谷川俊太郎は1952年に詩集『二十億光年の孤独』で鮮烈なデビューを果たしました。感傷や情念とは距離をおく軽やかな作風は、戦後の詩壇に新風をもたらします。
 「鉄腕アトム」の主題歌、『マザー・グースのうた』や、『ピーナッツ』の翻訳、市川崑監督による映画「東京オリンピック」の脚本、武満徹ら日本を代表する音楽家との協働などでも知られるように、幅広い仕事によって詩と言葉の可能性を拡げてきました。
 86歳を迎えた現在も、わかりやすく、読み手一人一人の心に届くみずみずしい言葉によって、子どもからお年寄りまで、多くの人々を魅了し続けています。
 一方仕事の幅広さ・膨大さゆえに、この国民的詩人の「人」と「作品」の全体像をとらえるのは容易ではありません。谷川俊太郎のエッセンスを探るべく、本展では詩人の現在に焦点をあてることにしました。実生活の喜びやいたみから詩を紡ぎ出し、社会とつながろうとしてきた谷川。その暮らしの周辺をさまざまに紹介します。影響を受けた「もの」や音楽、家族写真、大切な人たちとの書簡、コレクション、暮らしの断片や、知られざる仕事を織り交ぜ、谷川俊太郎の詩が生まれる瞬間にふれる試みです。本展のために書き下ろされる詩や、音楽家・小山田圭吾(コーネリアス)とインターフェイスデザイナー中村勇吾(tha ltd.)とのコラボレーションも発表します。

■展覧会についてExhibition 
Gallery1:音と映像による新たな詩の体験
 展覧会の始まりは小山田圭吾(コーネリアス)の音楽とインターフェイスデザイナー中村勇吾(tha ltd.)の映像による、谷川俊太郎の詩の空間です。名作絵本『ことばあそびうた』で知られる詩「かっぱ」など、谷川のことばに内在するリズムと小山田の音楽との出合いにご期待ください。谷川の声をまじえた音と映像のコラージュは、谷川の詩を浴びるような、新たな詩の体験を生むでしょう。

Gallery2:「自己紹介」
 日本で一番その名を知られているであろう詩人・谷川俊太郎。それぞれの世代が思い浮かべる谷川の仕事や詩人像があることでしょう。本スペースでは、20行からなる谷川の詩「自己紹介」に沿って、20のテーマごとに谷川にまつわるものごとを展示、私たちが知っているはずの谷川俊太郎像を見つめ直します。会場には20行の詩を1行ごとにしるした柱があらわれ、谷川が影響を受けた音楽や「もの」、家族写真、大切な人たちとの書簡、ラジオのコレクション、暮らしの断片、知られざる仕事など、選りすぐりの詩作品とともに展示されます。谷川の詩で谷川を紹介するユニークな展示からは、谷川の日々の暮らしと詩の深い関わりが浮かび上がってくることでしょう。また、本展のための書き下ろしの詩も発表します。

コリドール:「3.3の質問」
「3.3の質問」は、谷川が1986年に出版した『33の質問』(ノーマン・メイラーの「69の問答」にちなんで33の質問を作り、7人の知人に問いかけをしながら語り合う)がもとになっています。本プロジェクトではその現代版として、当初の33の質問から谷川が3問を選び、新たに「0.3の質問」を加えて「3.3の質問」を作りました。これらを各界で活躍する人々に投げかけ、その回答を作品として展示します。シンプルな問いに、回答者のどんな世界観が見えてくるのでしょうか。「問うこと」、「答えること」、「そこに立ち会うこと」に、詩的な体験があふれています。


 受付を通ってすぐの、24のモニターでぐるり取り囲まれた部屋がなかなか強烈で刺激的でした。小学校の教室が3つくらいの空間でしょうか。谷川さんのことばあそびうた(「かっぱ」「いるか」「ここ」)をご自身の声とそれぞれの文字の映像を一文字ずつモニターで見せるのです。谷川さんの口の映像とかなり大きな音響で、目や耳がくらくらしました。へえ、ミュージシャンは各種機材を駆使してこんなふうに遊ぶんだと感心しました。
 小学校の私の教室ではいたってシンプルです。そこでは、喜々として誰かに届けようとしている子どもたちのことばをしっかり受けとめ、反応をからだで返すことばのやりとり、エンドレスの「ことばと心の受け渡し」の世界なのです。教え子たちがこの展覧会で、何を発見するか、とても興味深いことでした。

 次の「自己紹介」の部屋がメイン会場なのでしょうか。谷川さんの詩「自己紹介」(チラシ2枚に紹介されています)を元にして、20本の柱が林立しているのです。20のテーマごとに「影響を受けた音楽や『もの』、家族写真、大切な人たちとの書簡、ラジオのコレクション、暮らしの断片、知られざる仕事など」が展示されているのです。「鉄腕アトム」(作詞は谷川さん)と「うみゆかば」などの音楽が聞こえるなか、1つ1つの柱をめぐる仕掛けになっていました。谷川さんの手書きの短い詩が柱に貼り付けられていました。即興で書かれたのでしょうか。
  1つ1つじっくりながめているといくら時間があっても足りません。ここに展示されたすべての物を1冊の本に閉じ込めていただいて、あらためてゆっくりながめたいものだと思いました。
 交流のある作家、文学者たちの葉書など興味は尽きません。家族写真などには見入ってしまいました。
 谷川さんの来歴が廊下に30メートルにわたって書かれていました。自分の人生や、谷川さんの詩との出合いを思い起こしながら、じっくりながめました。すごい仕事をしてきた詩人なんだなと、あらためて確認できました。
「3.3の質問」はそのうちに本に再録されれば、丁寧に味わって読みたいものでした。

 私の連れ合いの感想も紹介しましょう。

■福田緑の感想
 最初の部屋では大きな音が響き、谷川さんの声で詩が読まれると同時にたくさんのモニターで文字が光りました。あまり早くその文字が動くので目がくらくらして段々酔ってしまい、音も大きくて私にはきつい空間でしたが、耳や映像に強い人には楽しめたのではないかと思います。
 それにしても詩人の展示でなにをどうするのかと思いましたけれど、あちらこちらにちらばる谷川さんのことばに思わずクスッと笑ってしまったり、様々な方からのハガキなど、つい必死になって読んでしまったり、こんな道具類がお好きなんだなと親しみを感じたり、とても楽しく過ごしました。とても開けっぴろげな展示にも感銘を受けました。


 最後に、朝日新聞の「文化・文芸」欄の記事を紹介します。これから赤田康和という記者に注目したいと思います。実に良くできた紹介記事です。

■「谷川俊太郎」とは何者か 詩と私的生活 解剖する展覧会(朝日新聞、2018.1.29) 

 日本で最も有名な詩人・谷川俊太郎さん(86)の日常や素顔など私的生活を解剖しつつ、詩の魅力を読み解く展覧会が東京で開催中だ。「谷川俊太郎」とは何者か。この問いへの答えを探る意欲的な展示だ。

 「私は背の低い禿頭(とくとう)の老人です」。大きな活字でこう書かれた柱が立つ。
 この1文は、谷川さんが2007年に発表した詩集『私』に収録の詩「自己紹介」の1行目だ。展示室には、この詩の全20行が1行ずつ記された柱が林立している。
 会場構成を担当した空間デザイナー五十嵐瑠衣さんは「言葉がニョキニョキと地面から生えていて、行と行の間を歩くイメージ」と話す。「谷川さんの力のある言葉を主役としてどう見せるかを考えた結果です」
 展覧会の中身は、展覧会を開催する東京オペラシティアートギャラリーの佐山由紀キュレーターが、谷川さんの本を刊行してきたナナロク社の編集者・川口恵子さん、五十嵐さんらと練った。2千編超の詩から選んだ約200編を読み、議論。人柄や素顔、生活など「私性」に注目するというコンセプトが固まった。
 詩「自己紹介」の各行が書かれた柱には、詩句と関連のある資料が展示されている。1行目「私は背の低い……」の柱には谷川さんの「等身大」の全身写真、「私にとって睡眠は快楽の一種です」という柱には、散歩する谷川さんの写真、朝食のジュースとビスケットの写真など日常生活の様子も伝えられる。
 谷川さんあてに届いた堀口大学や小林秀雄らからのはがきや、家族との写真、あるいは愛用のTシャツも展示した。谷川さんの足跡は、展示室の外の廊下の壁に年譜を貼りだして伝える。その長さは約30メートルにも及ぶ。
 展覧会のもう一つの目玉は、谷川さんと親交があるミュージシャンの小山田圭吾さんらも参加した映像インスタレーションだ。ひらがな詩「かっぱ」「いるか」「ここ」を朗読した谷川さんの声と各文字などの映像を1文字ずつ、24のモニターで連続的に見せる。「分解されることで、言語のエレメント(要素)としての面白さが出てきて新鮮だった」と谷川さんも語った。
 詩人と、詩人がつむいだ詩。そのいずれをも、この展示は分解していく。
 ■「言葉なきもの」への憧れ
 「私が死んだ後の展覧会という印象は否めない」。展示を見た谷川さんはメディアの取材にこう語って、笑いを誘った。
 でも生きたまま解剖台に載せられることへの抵抗はないらしい。「自分にこだわらない人間なので、書くときもそうだけど、距離を取って自分を見られる」
 今回、展示されている詩「自己紹介」がまさにそうだ。自らの日常を描きながらもユーモアを交えドライに描写していく。「斜視で乱視で老眼です」「夏はほとんどTシャツで過ごします」「私の書く言葉には値段がつくことがあります」
 谷川さんは「自分なりにプライバシーをあらわす限界がある」とも話した。つまり「私」を材料にしても「本当の私」を見せることに禁欲的なのだ。「詩人はカメレオン」というのも持論だ。「私」は何にでも変身できる巨大な器。だから谷川さんの詩は多くの人を魅了するのかもしれない。「谷川さんの宇宙は広大。色んな引き出しを開けて魅力の謎を読み解くのが今回の展示」とナナロク社の川口さんはいう。
 たしかに、謎を解く鍵になる詩が展示されていた。「私」が自らの臓器たちに離別をする「さようなら」という詩。「もう私は私に未練がないから/迷わずに私を忘れて/泥に溶けよう空に消えよう/言葉なきものたちの仲間になろう」
 言葉によって、言葉以前の存在に触れるのが詩人。そう語ってきた谷川さんにとって「言葉なきもの」は憧れの存在であり、懐かしき仲間だ。そこに少しでも近づこうと詩人は言葉を紡いでいる。(赤田康和)

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