2014年の6月に「道徳の教科化に反対する陳情書」(下掲)を清瀬・憲法九条を守る会を代表して、東京の清瀬市議会に提出しました。総務文教委員会では2対3で否決、本会議でも正確な人数はわかりませんが否決されました。このブログで取り上げたのはこの陳情書をみなさんに読んでもらいたいからです。
6月に総務文教委員会に赴き陳情書の趣旨を短時間で説明しました。(係の人からは3分と言われていましたので。)その後委員から質問を受け、委員会の討議に移っていきました。清瀬市のホームページでは議事録としてこのことを記録しているのですが、私の趣旨説明と質問に対する答弁は一切載せられていないのです。実は趣旨説明から質問は「休憩中」という扱いなのです。
一番問題なのは、この陳情書の内容についてどこにも掲載されていないことです。それを知りたい人は市役所まで行って見せてもらうことしかできません。ホームページでは委員会でも本会議でも、議論の詳細は延々と記録されていますが、肝心の陳情の内容がどこにも出ていないのです。
もう一つ問題なのは、委員の質問に対する私の答弁が終了したら、委員の議論を聞いているだけで一切感想なども言えないことです。
あまり長くなると読むのがいやになってしまうでしょうからこれでやめますが、みなさんは道徳の教科化や陳情の扱い方についてどうお考えでしょうか。
道徳の教科化に反対する陳情書
〔陳情の趣旨〕
識者懇談会の提言を文部科学省は中央教育審議会に諮問し、2018年度にも「道徳の教科化」の実施の見通しだ。算数や数学、国語のように検定教科書を導入し、道徳の評価もするという。道徳教科化の理由も判然とせず、むしろ弊害のみが懸念される。市議会としてもこれに反対し、国に意見表明することを要請したい。
〔理由〕
そもそもなぜ道徳の教科化必要なのか、その理由が明確ではない。第二次安倍内閣において「道徳の教科化」という主張は2011年の大津市におけるいじめ自死事件をきっかけとしている。しかしながら、2006年、第一次安倍内閣においても道徳の教科化は言われており、牽強付会はまぬがれない。そこで安倍教育改革における道徳教育改革は、強い「日本を取り戻す」ために求められる、国民統合へ向けた中心的課題の位置にある、と指摘する論者もいる。戦前の修身の復活を想起する者も多いのではないだろうか。
ところで、道徳の教科化は教育学的に可能なのだろうか。道徳に関する科学が学問的には構築されていない。さらに文科省では、教科化について、免許を有した専門教師が、教科書を用いて指導し、数値等による評価を行うとしている。それぞれ問題を含んでいるが、とりわけ評価については看過できない。たとえば、学習指導要領では、5,6年生の道徳の内容として「郷土やわが国の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、郷土や国を愛する心を持つ。」があげられている。はたして、どのような数値評価が可能なのだろうか。記述式評価にすれば良いという文科大臣の談話も伝えられるが、これとて容易なことではない。
さらに、道徳における教科書問題は避けて通れない。現在は各学校で副読本を使用する場合もあるが、教師が意欲的に教材を選択し、子どもの学習意欲を喚起する取り組みも多いだろう。豊かな道徳的心情を養うためには、教師の幅広い知識や研究が不可欠だ。次のような指摘にも耳を傾ける必要がある。
「本来は教科書に頼るのではなく、先生が身近な問題やテーマで授業を工夫し、多様な見方、感じ方から、個人の尊厳や思いやり、互助、勇気、答えがすぐ出ない問題も考える。それが基本でありたい。」( 毎日新聞社説「道徳の教科化 規格化はそぐわない」2014年1月12日)
修身の国定教科書が戦前の日本の軍国主義化に果たした役割、天皇制・天皇主権を支える背景になったという歴史をもう一度思い起こす必要がある。
清瀬市議会議長
粕谷いさむ様
清瀬・憲法九条を守る会 福田三津夫
〔参考雑誌〕
*特集「政治が強いる道徳を超えて」『教育』2013年9月
*特集「道徳の教科化に抗して」『生活教育』2013年12月
*特集「道徳の教科化にどう立ち向かうか」『生活指導』2014年8,9月
*特集「学びが壊される『道徳の教科化』」『子どものしあわせ』2015年2月
*特集「道徳の『教科化』批判」『教育』2015年5月
6月に総務文教委員会に赴き陳情書の趣旨を短時間で説明しました。(係の人からは3分と言われていましたので。)その後委員から質問を受け、委員会の討議に移っていきました。清瀬市のホームページでは議事録としてこのことを記録しているのですが、私の趣旨説明と質問に対する答弁は一切載せられていないのです。実は趣旨説明から質問は「休憩中」という扱いなのです。
一番問題なのは、この陳情書の内容についてどこにも掲載されていないことです。それを知りたい人は市役所まで行って見せてもらうことしかできません。ホームページでは委員会でも本会議でも、議論の詳細は延々と記録されていますが、肝心の陳情の内容がどこにも出ていないのです。
もう一つ問題なのは、委員の質問に対する私の答弁が終了したら、委員の議論を聞いているだけで一切感想なども言えないことです。
あまり長くなると読むのがいやになってしまうでしょうからこれでやめますが、みなさんは道徳の教科化や陳情の扱い方についてどうお考えでしょうか。
道徳の教科化に反対する陳情書
〔陳情の趣旨〕
識者懇談会の提言を文部科学省は中央教育審議会に諮問し、2018年度にも「道徳の教科化」の実施の見通しだ。算数や数学、国語のように検定教科書を導入し、道徳の評価もするという。道徳教科化の理由も判然とせず、むしろ弊害のみが懸念される。市議会としてもこれに反対し、国に意見表明することを要請したい。
〔理由〕
そもそもなぜ道徳の教科化必要なのか、その理由が明確ではない。第二次安倍内閣において「道徳の教科化」という主張は2011年の大津市におけるいじめ自死事件をきっかけとしている。しかしながら、2006年、第一次安倍内閣においても道徳の教科化は言われており、牽強付会はまぬがれない。そこで安倍教育改革における道徳教育改革は、強い「日本を取り戻す」ために求められる、国民統合へ向けた中心的課題の位置にある、と指摘する論者もいる。戦前の修身の復活を想起する者も多いのではないだろうか。
ところで、道徳の教科化は教育学的に可能なのだろうか。道徳に関する科学が学問的には構築されていない。さらに文科省では、教科化について、免許を有した専門教師が、教科書を用いて指導し、数値等による評価を行うとしている。それぞれ問題を含んでいるが、とりわけ評価については看過できない。たとえば、学習指導要領では、5,6年生の道徳の内容として「郷土やわが国の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、郷土や国を愛する心を持つ。」があげられている。はたして、どのような数値評価が可能なのだろうか。記述式評価にすれば良いという文科大臣の談話も伝えられるが、これとて容易なことではない。
さらに、道徳における教科書問題は避けて通れない。現在は各学校で副読本を使用する場合もあるが、教師が意欲的に教材を選択し、子どもの学習意欲を喚起する取り組みも多いだろう。豊かな道徳的心情を養うためには、教師の幅広い知識や研究が不可欠だ。次のような指摘にも耳を傾ける必要がある。
「本来は教科書に頼るのではなく、先生が身近な問題やテーマで授業を工夫し、多様な見方、感じ方から、個人の尊厳や思いやり、互助、勇気、答えがすぐ出ない問題も考える。それが基本でありたい。」( 毎日新聞社説「道徳の教科化 規格化はそぐわない」2014年1月12日)
修身の国定教科書が戦前の日本の軍国主義化に果たした役割、天皇制・天皇主権を支える背景になったという歴史をもう一度思い起こす必要がある。
清瀬市議会議長
粕谷いさむ様
清瀬・憲法九条を守る会 福田三津夫
〔参考雑誌〕
*特集「政治が強いる道徳を超えて」『教育』2013年9月
*特集「道徳の教科化に抗して」『生活教育』2013年12月
*特集「道徳の教科化にどう立ち向かうか」『生活指導』2014年8,9月
*特集「学びが壊される『道徳の教科化』」『子どものしあわせ』2015年2月
*特集「道徳の『教科化』批判」『教育』2015年5月