今年の1月25日に清瀬市で開催された「チェルノブイリ法日本版の学習会」(ブログ〔248〕参照)の報告を、連れ合いの福田緑が市議会便り(布施由女の発行している「ゆめ通信」)にしたためました。
その通信をお送りしたところさっそく岡田俊子さんからメールが届きました。柳原敏夫さんのコメントも読み流すのにはもったいないので、ブログで紹介したいと思います。通信の紙面とオンライン会議での柳原さんの映像も見ることができますよ。
●岡田俊子さんのメール
コロナ騒ぎで大変ですが、皆さまお変わりございませんか?
こちらもネット活動に変更して なんとかやっております。
ゆめ通信が届きました。
とても分かり易く、読みやすいですね。ありがとうございました。
柳原さんがチェルノブイリ法日本版の会のMLで報告して下さいました。(転送します)
皆さまにも早くお仲間に入って頂きたく またお会い出来るのを楽しみにしております。
●柳原敏夫さんのコメント
皆さん
柳原です。
コロナ災害の中、いかがお過ごしでしょうか。
本日、今年1月に東京都清瀬市で行なった、チェルノブイリ法日本版の学習会の報告書が届きましたので、以下に紹介しましす(無党派の市議の方の通信です)。
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/200505YumeNewsLetter.pdf
今月初め、この報告書のチェックをしていて、思ったことがありましたので、以下に書きました。
コロナ災害が騒がれた時、まず私が衝撃を受けたのは、2003年に大流行した(新型コロナウイルスの先輩格)SARSのワクチンすらまだ完成できていないという記事を読んだ時でした。ウソだろ、あれから17年も経って、まだできていないなんて!?いったいこの間、何やっていたの、感染症の研究者たちは。
だったら、我々にできることは、放射能と同じで、ひたすら有害物資から逃げること。それが被ばくしないこと、接触しないこと。
311で、私たちの科学技術は放射能に勝つことはできない、だから避難するしかないのだと思い切り殴られるように教えられたとき、あくまでも、この情けない姿はあくまでも放射能という人間の手に負えない途方もなく強烈な存在のせいだからだと言い聞かせてきました。
しかし、またしても、私たちは勝つことはできない存在と遭遇する羽目になり、有害物質(有害生命)から逃げるだけという科学技術以前の原始的な対策しかない目にあったとき、
放射能だからと考えるのは根本的におかしい、間違っていると思わざるを得なくなりました。そう感じるのはおかしいでしょうか。私だけでしょうか。
私が思うことは、「金の切れ目が科学技術の切れ目」だということです。かつて大流行したSARSのワクチンができなかったのは、おそらく完成前にSARSが終息してしまったからで、患者もいないのに、ワクチン開発になんかに研究費は出せないと打ち切りになったからだと思います。
要するに、儲からない限り、科学技術をそちらに振り向けない。
一方では、米ソ冷戦のおかげで、たった半世紀足らずの核兵器開発で、人類全体を40回殺戮するに足りるまでの核兵器能力を達成したのに対し、
他方で、低線量被ばく、内部被ばくによる人体と環境影響・対策の研究に金を出しても儲かる見通しがない、だから、SARSのワクチンと同じで、いつまで経っても低線量被ばく、内部被ばくに対する科学技術の水準は全くといいほどあがらない。
そのことを最も鋭く教えてくれたのは、公害を告発し続けた宇井純からでした。
半世紀前、宇井純が言いたかったことは、私たちの科学技術が本質的に、人間の命、健康、環境の保全にとって無力であり、敗北しているということでした。
だから、水俣病に対して補償金が支払われる態勢ができたとしても(それはむろん必要なことですが)、それで水俣病が解決したことにはならない、水俣病は、それを生み出した、本質的に人間の命、健康、環境を粗末にする私たちの科学技術が抜本的に変わらない限り、解決したとは言えない。
だから、彼の口癖は「水俣病は終わっていない」でした。科学技術の本質は依然、金儲け主義であり、変わっていなかったからです。
そのツケが回ってきたことを、半世紀後に、頭から冷や水を被るように分からせてくれたのが2011年原発事故、2020年コロナ災害でした。
311の後、被ばくの恐ろしさを説いた一人が前松本市長の菅谷さんでした。同時に彼は、原発事故のことをすぐ忘れてしまう日本人を嘆いて、「難治症悪性反復性健忘症」と命名しました。
ただ、彼はそれ以上、あなたたちこそ「絶滅危惧種だ」とは言いませんでした。
しかし、宇井純はちがいました。彼は半世紀前から、公害を通じて明るみにされたおかしな現実、恐ろしい現実を、ごまかさずに、ズカッと「私たちの科学技術は腐敗している」「私たちは滅び行く世界に住んでいる」と言いました。
だから、もし今、宇井純が生きていたら、ハッキリ「今、わたしたち日本人は絶滅危惧種だ」と断言したと思います、
けれど、日本人の弱点を一番ズカッと批判した彼のような正直さ、誠実さが、実は、日本を公害による絶滅から救ってきたのだということを、このたび、改めて知りました。
だとしたら、今、原発事故やコロナ災害による絶滅から日本人を救うのは、宇井純のような正直さ、誠実さだと思うのです。
先日5月9日のネットデモで、私が言いたかったことも、宇井純から教えられたことでした。以下がそのときのつたないスピーチです。
https://www.youtube.com/watch?v=5FAP7fjOE3s&feature=emb_logo
その通信をお送りしたところさっそく岡田俊子さんからメールが届きました。柳原敏夫さんのコメントも読み流すのにはもったいないので、ブログで紹介したいと思います。通信の紙面とオンライン会議での柳原さんの映像も見ることができますよ。
●岡田俊子さんのメール
コロナ騒ぎで大変ですが、皆さまお変わりございませんか?
こちらもネット活動に変更して なんとかやっております。
ゆめ通信が届きました。
とても分かり易く、読みやすいですね。ありがとうございました。
柳原さんがチェルノブイリ法日本版の会のMLで報告して下さいました。(転送します)
皆さまにも早くお仲間に入って頂きたく またお会い出来るのを楽しみにしております。
●柳原敏夫さんのコメント
皆さん
柳原です。
コロナ災害の中、いかがお過ごしでしょうか。
本日、今年1月に東京都清瀬市で行なった、チェルノブイリ法日本版の学習会の報告書が届きましたので、以下に紹介しましす(無党派の市議の方の通信です)。
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/200505YumeNewsLetter.pdf
今月初め、この報告書のチェックをしていて、思ったことがありましたので、以下に書きました。
コロナ災害が騒がれた時、まず私が衝撃を受けたのは、2003年に大流行した(新型コロナウイルスの先輩格)SARSのワクチンすらまだ完成できていないという記事を読んだ時でした。ウソだろ、あれから17年も経って、まだできていないなんて!?いったいこの間、何やっていたの、感染症の研究者たちは。
だったら、我々にできることは、放射能と同じで、ひたすら有害物資から逃げること。それが被ばくしないこと、接触しないこと。
311で、私たちの科学技術は放射能に勝つことはできない、だから避難するしかないのだと思い切り殴られるように教えられたとき、あくまでも、この情けない姿はあくまでも放射能という人間の手に負えない途方もなく強烈な存在のせいだからだと言い聞かせてきました。
しかし、またしても、私たちは勝つことはできない存在と遭遇する羽目になり、有害物質(有害生命)から逃げるだけという科学技術以前の原始的な対策しかない目にあったとき、
放射能だからと考えるのは根本的におかしい、間違っていると思わざるを得なくなりました。そう感じるのはおかしいでしょうか。私だけでしょうか。
私が思うことは、「金の切れ目が科学技術の切れ目」だということです。かつて大流行したSARSのワクチンができなかったのは、おそらく完成前にSARSが終息してしまったからで、患者もいないのに、ワクチン開発になんかに研究費は出せないと打ち切りになったからだと思います。
要するに、儲からない限り、科学技術をそちらに振り向けない。
一方では、米ソ冷戦のおかげで、たった半世紀足らずの核兵器開発で、人類全体を40回殺戮するに足りるまでの核兵器能力を達成したのに対し、
他方で、低線量被ばく、内部被ばくによる人体と環境影響・対策の研究に金を出しても儲かる見通しがない、だから、SARSのワクチンと同じで、いつまで経っても低線量被ばく、内部被ばくに対する科学技術の水準は全くといいほどあがらない。
そのことを最も鋭く教えてくれたのは、公害を告発し続けた宇井純からでした。
半世紀前、宇井純が言いたかったことは、私たちの科学技術が本質的に、人間の命、健康、環境の保全にとって無力であり、敗北しているということでした。
だから、水俣病に対して補償金が支払われる態勢ができたとしても(それはむろん必要なことですが)、それで水俣病が解決したことにはならない、水俣病は、それを生み出した、本質的に人間の命、健康、環境を粗末にする私たちの科学技術が抜本的に変わらない限り、解決したとは言えない。
だから、彼の口癖は「水俣病は終わっていない」でした。科学技術の本質は依然、金儲け主義であり、変わっていなかったからです。
そのツケが回ってきたことを、半世紀後に、頭から冷や水を被るように分からせてくれたのが2011年原発事故、2020年コロナ災害でした。
311の後、被ばくの恐ろしさを説いた一人が前松本市長の菅谷さんでした。同時に彼は、原発事故のことをすぐ忘れてしまう日本人を嘆いて、「難治症悪性反復性健忘症」と命名しました。
ただ、彼はそれ以上、あなたたちこそ「絶滅危惧種だ」とは言いませんでした。
しかし、宇井純はちがいました。彼は半世紀前から、公害を通じて明るみにされたおかしな現実、恐ろしい現実を、ごまかさずに、ズカッと「私たちの科学技術は腐敗している」「私たちは滅び行く世界に住んでいる」と言いました。
だから、もし今、宇井純が生きていたら、ハッキリ「今、わたしたち日本人は絶滅危惧種だ」と断言したと思います、
けれど、日本人の弱点を一番ズカッと批判した彼のような正直さ、誠実さが、実は、日本を公害による絶滅から救ってきたのだということを、このたび、改めて知りました。
だとしたら、今、原発事故やコロナ災害による絶滅から日本人を救うのは、宇井純のような正直さ、誠実さだと思うのです。
先日5月9日のネットデモで、私が言いたかったことも、宇井純から教えられたことでした。以下がそのときのつたないスピーチです。
https://www.youtube.com/watch?v=5FAP7fjOE3s&feature=emb_logo