後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔282〕弁護士・柳原敏夫さんからの緊急の「近況報告:子ども脱被ばく裁判の最終書面提出と感想」です。

2020年07月05日 | メール・便り・ミニコミ
 以前にブログでご紹介させていただいた弁護士・柳原敏夫さんからの緊急報告、提言をいただきました。じっくり向き合いたいと思います。

●福田さま

柳原です。
すっかりご無沙汰しています、いかがお過ごしでしょうか。
世間はコロナ災害で一変してしたようですが、私自身は殆ど変わらない毎日です。
見えない恐怖のコロナ災害の前から、見えない恐怖の放射能災害で、放射能との接触を避け、脱被ばくの問題と向き合ってきていて、コロナとの接触を避け、脱三密のライフスタイルは織り込み済みだったからです。

2014年8月の提訴以来、福島地裁でやってきました、子どもたちに避難の権利の実現を求める「子ども脱被ばく裁判」が今月末で審理終了し、先日の1日に、私たちの主張を集大成した最終準備書面を作成、提出してきました。

以下は、その書面を持参して福島に向かう朝書いた殴り書き風の感想です。

子ども脱被ばく裁判、311以後、理不尽、不条理の極みにある福島の現実に対する異議申立ての集大成、憤怒の書面を提出(2014.7.1)
https://darkagejapan.blogspot.com/2020/07/blog-post_4.html

この書面は弁護団にとって6年間の裁判の集大成の血と汗の結晶の書面です。
その血と汗が結晶となっていく過程でクリアになったことは、
311以後に出現した、正義と不正義が入れ替わった世界、被害者と加害者が入れ替わった世界、科学と偽科学が入れ替わった世界、一言で言ってあべこべの世界、
その理不尽、不条理の極みにあるのが福島の現実で、この書面はこれに対する異議申立ての集大成、憤怒の書面だということでした。

そしたら、311以後、新たに出現した、理不尽、不条理の極みにある福島の現実に対して徹底した異議申立てを続ける人たちのことが思い出され、
その一人として山本太郎が強く迫って来ました。
311後のあべこべの社会を正せる政治家は、福島の現実に対して徹底した異議申立てを続けてきた人、山本太郎のような人しかいないと改めて実感しました。

上のブログの結びの
「この憤怒の書面が「一粒の麦として地に落ち、死んで」、311以後のあべこべの世界を正す大きな声として実を結ぶことをひそかに願っている。」
の「一粒の麦」とは聖書のことではなく、吉野源三郎の「同時代のこと」の結びの言葉に触発されたものです。
それについては、私の冗長なコメントではなく、吉野の原文を添付します。








今回の準備書面は、私にとっても40年近い法律家としての集大成の書面でした。
添付の文章に出てくる、クループスカヤがレーニンの棺の脇で生まれて初めて語ったように、私も40年に一度くらいはあけすけに語っていいのではないかと思い、これともう1つ、以下の感想を書きました。

太郎再発見:311後のあべこべの社会を正せる政治家は山本太郎しかいない(2020.7.3)。
https://darkagejapan.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

埼玉県民の私には選挙権がないのでこれ以上行動できませんが、彼の可能性に注視して頂けたら幸いです。

最新の画像もっと見る