後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔534〕後期ゴシック彫刻を歩く⑱ 初めてミュールハウゼンの農民戦争博物館を訪ねました。

2022年11月17日 | 美術鑑賞
 ドイツの臍と呼ばれるアイゼナハで、エルケさんのお連れ合いのウヴェさんのお墓参りをしたり、エルケさんから思いがけずにファイト・シュトースの写真集をいただいたりしたことなどを以前ブログに書きました。

 その翌日、9月20日(火)のことです。アイゼナハからバスに乗ってミュールハウゼンまで行きました。初めて農民戦争博物館を訪ねるためでした。
 福田緑写真展「リーメンシュナイダーを歩く」を開催したとき、緑はよく「農民戦争博物館には行ったことがありますか。」と聞かれたそうです。そんなことがあって一度は農民戦争博物館に行きたいと思っていたのです。

 バスに小1時間揺られて、初めての町、ミュールハウゼンに着きました。コルンマルクトにある旧修道院の聖クルシス教会が農民戦争博物館に改装されていました。ドイツ農民戦争の経過、ハイライト、余波などについて常設展示されていました。
 別館には彫刻や絵も多数展示されていて、充分見応えがありました。

 写真は、町中にある農民戦争指導者トーマス・ミュンツァーの銅像や展示場の外壁などです。








〔533〕後期ゴシック彫刻を歩く⑰ ウルム大聖堂とウルム博物館は行くたびに発見があります。

2022年11月16日 | 美術鑑賞
 9月8日(木)、5日間、文字通り寝食を共にしたドイツの友人たちとお別れの日でした。ウルムでの最終の夕食会にシルヴィア、ヴィリー、アンゲリカ、そして私たち3人が顔を揃えました。クラウスは仕事の関係で残念ながら欠席でした。
 シルヴィアからプレゼントをいっぱいいただき、また旅のあれこれに花が咲きました。

 この会食の少し前、私たち3人はウルム大聖堂とウルム博物館を訪れました。
 何回か訪れているウルム大聖堂に、マウホと工房作と言われている「バルバラ祭壇」があるのを認識していませんでした。光を落とした左陣にそれはありました。撮影が難しかったのですが、お目にかけましょう。



 ここではハンス・ムルチャーのキリスト像が有名ですが、外壁にあるのはレプリカで、堂内にあるこちらがオリジナルです。





 ウルム大聖堂から数分のところにあるウルム博物館にエヴァ・ライステンシュナイダー博士(写真集第Ⅴ巻所収)を訪ねました。在館されていて一緒に写真を撮らせてもらいました。



 ここで1冊、気になる本を見つけました。(写真は部分)ニコラウス・ヴェクマンのビンゲン祭壇について書かれています。この本が旅の最後に思わぬ「悲劇」を生み出します。わずかの時間の余裕を見つけた私たちは、フランクフルトから西数十キロのビンゲンの駅に降り立ちました。ところがここにビンゲン祭壇はありませんでした。インフォメーションで調べてもらったらホーエン・ツォレルン城の近くのテュービンゲンにあるということでした。嗚呼!
 もちろん良いこともたくさんありました。ニコラウス・ヴェクマンの作品を数多くの博物館・美術館で見つけることができたからです。

〔532〕後期ゴシック彫刻を歩く⑯ 念願のズエルモント・ルートヴィヒ美術館(アーヘン)に行きました。

2022年11月16日 | 美術鑑賞
 旅行計画を立てる段階で、同行の啓子さんがケルンに行きたいと言われたので、それならケルンに宿泊して、アーヘンまで足を伸ばしましょう、ということになりました。ケルンからアーヘンはわずかの距離です。美しいアーヘン大聖堂はドイツ世界遺産登録第1号です。啓子さんにはお勧めの場所でした。
 我々夫婦がアーヘンを訪れたのは1回だけです。アーヘン大聖堂ではミサの時間待ちをして入場しました。その時に食べたヴルスト(ソーセージ)がとても美味しかった記憶があります。

 私たちにとってどうしてもアーヘンに行きたかったわけがあります。ズエルモント・ルートヴィヒ美術館を訪れたかったのです。
 1994年、国立西洋美術館と愛知県美術館で「聖なるかたち 後期ゴシックの木彫と板絵」展が開催されました。この時、ズエルモント・ルートヴィヒ美術館の木彫や絵が数多く来日したのです。大部な図録が発行され、私も少し前にネット購入したことはこのブログで紹介しました。さらにこの時、「芸術新潮」(1994年7月号)でこの展覧会の特集をしているのですが、解説を書いているのが植田重雄さんです。

 9月17日(土)、駅から40分は歩いたでしょうか、少しわかりにくいビルのあいだに美術館はありました。雑誌や図録で何回も見ていた懐かしい木彫に「再会」し、心が躍りました。他には来館者もなく、心ゆくまで鑑賞に浸りました。





  やはりアーヘン大聖堂は見どころ満載でした。





〔531〕文化放送「アーサービナード ぽこりぽこり」で塚越敏雄さんが「本当の教育って何ですか」というテーマで話しました。

2022年11月15日 | メール・便り・ミニコミ
 ブログでお馴染みの塚越敏雄さんからメールが届きました。ラジオで話したことの文章化です。間違いなく一読に値するものです。
 文章が鮮明ではなくてごめんなさい。
 
◆いつもお世話になっています。腰越の塚越です。
 
 先日、文化放送「アーサービナード ぽこりぽこり」という番組に呼ばれ、
「本当の教育って何ですか」というテーマで話しました。ラジオ放送後、数日た
ち、文化放送からCDが送られてきました。
 
 聞き直してみると、放送当日とは違った新たな発見もあり、文字化することを
決意しました。やっとできあがりました。
 
 添付しますので、お読みください。
 
 t417mabui@nifty.com 塚越敏雄












〔530〕後期ゴシック彫刻を歩く⑮ リエージュ(ベルギー)までマウホを探しに足を伸ばしました。

2022年11月15日 | 美術鑑賞


 9月16日(金)、ケルンからリエージュ(ベルギー)までマウホを探しに足を伸ばしました。歴史に詳しくはないのですが、リエージュがドイツだったときにはリュティヒと呼ばれていたようです。ダニエル・マウホはウルムで修行し実績も積み上げましたが、最終的にはリュテッヒに工房を構えたようです。だから作品もこの地に数多く残っています。
 小雨降る中、3人が訪れたのは聖ポール大聖堂と聖ジャック教会でした。町中に建つ教会は意外と見つからないものです。
 ようやく見つけた聖ジャック教会で、マウホの図録(写真集第Ⅴ巻所収)に書かれていた聖人の石彫を2体どころか8体も発見したのは驚きでした。しかし、柱の高いところの彫刻なのではっきり見えなかったり、写真もうまく撮れなかったりで苦戦しました。いくつかお目にかけましょう。







 マウホ作品で一番見たいのが図録の表紙を飾っている聖母子像です。聖ジャック教会から2キロほどでしょうか、グラン・クルティウスという博物館があります。
 傘を差しながら、自動車が渋滞する脇を黙々とすり抜けていきました。グラン・クルティウスらしき建物に辿り着いたのですが、周辺を道路工事していて入り口を見つけるのが大変でした。
 聖母子像はガラスケースに入れられて常設展示されていました。光が反射して撮影は困難でしたが想像通りの美しい聖母子像でした。
 嬉しかったのはマウホ系のレリーフ作品が2体あったことです。

 今回の旅行でマウホの旅はほぼ終了しました。ドイツの友人たちの力を借りて代表作を見尽くした感があります。

〔529〕後期ゴシック彫刻を歩く⑭ オットーボイレン・ケンプテン・エーレンシュタイン・ヴィッピンゲン、マウホとグレゴール・エーアハルトを堪能しました。

2022年11月14日 | 美術鑑賞
 ヴィリーは「緑たちの旅行 2022年」という9月4日(日)から9月8日(木)までの旅程表をプリント1枚にまとめて作ってくれました。朝の食事から夕食までの詳しい日程表です。彼はその他にも自分の運転する地図をプリントアウトしてファイルにまとめているのです。毎回頭が下がります。
 アンゲリカの家では毎日心づくしの豪華な食事をいただきました。
 シルヴィアとクラウスの購入した広大な野外地では、彼らの友人を呼んでのバーベキュー に舌鼓を打ちました。

 さて、オットーボイレン・ケンプテン・エーレンシュタイン・ヴィッピンゲン…と後期ゴシック彫刻のある地方都市を彼らの車で案内してもらいました。これだけ見回ることは、私たちだけでは到底叶わないことでした。

 「オットーボイレンのマイスター」はハンス・トーマンではないかという説がありますが、まだ確定はしていないようです。いずれにしてもオットーボイレンは訪ねてみたいということで、オットーボイレン修道院に行きました。ここには博物館があるのですが残念ながら改築中でした。それでもパンフを手に入れ、「オットーボイレンのマイスター」の部屋が有ることは突き止めました。何時の日か再訪を考えています。

  ブラウンシュタイン・ヴィッピンゲンではマウホの「ヴィッピンゲン祭壇」、ブラウンシュタイン・エーレンシュタインではグレゴール・エーアハルトの「エーレンシュタインのマドンナ」を比較的順調に拝観できました。









 ところが、ケンプテンの聖ローレンツ教会でマウホと工房の「マリアの戴冠」を探したのですが、ここには現存しませんでした。現在はマリエンカペレの個人蔵になっているということを突き止め、マリエンカペレに導いてくれたのはシルヴィアでした。
 マリエンカペレは小さな教会でした。日本から訪ねてきたということもあってか、鍵を開けて、丁寧に話もしてくれました。ため息が出るほど「マリアの戴冠」は素晴らしく、輝いて見えました。




〔528〕後期ゴシック彫刻を歩く⑬ マウホのガイスリンゲン祭壇はドイツの友人によって開かれました。

2022年11月14日 | 美術鑑賞
 9月4日(日)、コロナ禍の中の久しぶりの海外旅行で成田からフランクフルトに飛ぶとき、友人の啓子さんと我々夫婦は相当緊張していました。ドイツ入国はかなりコロナに対して緩くなってきたとはいえ、万が一にも外地でコロナに罹ったらどうしようというプレッシャーがありました。
 しかし、シュトゥットガルトで出迎えてくれたドイツの友人たち(二組の夫婦、シルヴィア、クラウス、アンゲリカ、ヴィリー)の顔を見たらそんな不安はどこかに吹き飛んでしまいました。なるようになれ、楽しむしかない! です。
 彼らとの行動は4泊5日(3泊はアンゲリカ宅、1泊はケンプテンのホテル)でした。

 9月5日(月)、彼らの運転する2台の車に分乗してガイスリンゲンに向う途中、レヒベルクハウゼンに立ち寄りました。マウホと工房作の聖人像が数体あるのです。





 最終目的地はガイスリンゲンで、ここには写真集第Ⅴ巻で紹介したマウホのガイスリンゲン祭壇があるのです。シルヴィアがしっかり事前に教会と連絡をとっておいてくれて、鍵を開けてくれました。
 この祭壇の魅力はマウホらしい優しく慈愛に満ちたマリア像と、彫刻としては今までに出合ったことがないような「煉獄の炎」が下部のプレデラに配置してあることです。写真集ではウルム博物館提供の写真が際立っているのでご覧になってください。









  彼らとの旅はまだ続きます。

〔527〕後期ゴシック彫刻を歩く⑫ ビーゼルバッハはダニエル・マウホへの一本道でした。

2022年11月14日 | 美術鑑賞
 そもそもダニエル・マウホへの関心を高めたのはウルム博物館で見たマウホのカタログがきっかけでした。大部な本のため旅途中での購入はためらわれたのですが、日本に戻ってきてから、多少高価ではあったのですが、ネット購入をしました。それというのも、このカタログを責任編集していたのは、ウルム博物館の彫刻写真掲載でお世話になっているエヴァ・ライステンシュナイダー博士だったからです。
 マウホは日本でほとんど知られていない後期ゴシック彫刻の大家です。私たちの写真集第Ⅴ巻にはライステンシュナイダーさんのご厚意で多くのマウホ作品を掲載することができました。おそらくマオホの日本デビューではないかと思います。

 今回の「後期ゴシック彫刻を歩く旅」の多くは「マオホを歩く旅」になっています。写真集に掲載したマオホ作品に加えて、カタログから情報を得て、新たなマオホ作品に出合う旅でもありました。

 10月4日(火)、ハンス・ムルチャーの聖母子像などを拝観した次の日のことでした。
 アウグスブルクから西に電車・バスを乗り継いで約2時間のところにビーゼルバッハがありました。ここにはダニエル・マウホの代表作「聖家族を描写した翼付き祭壇」が安置されているはずです。緑がフランツ・クサーヴァー礼拝堂に連絡を取ると拝観はいつでも可能であるというのです。



 親切なバス運転手に促されてビーゼルバッハのバス停に降り立ちました。見渡す限りの野原です。道は左右に一本ずつ、ビーゼルバッハの標識を頼りにコロコロを転がしました。途中魚の養殖所があったり、水鳥が群れていたりのどかなところです。



 十数分砂利道を歩いて、道が左右に分かれたところに小さな可愛らしい礼拝堂が見つかりました。フランツ・クサーヴァー礼拝堂でした。
 本当に小さな堂内は無人で、正面に「聖家族を描写した翼付き祭壇」がドーンと構えていました。親切なことにライトも付けられるようになっていました。





 もう一体、マウホ作品が左側の壁に設置されていました。こちらもカタログに掲載されているものです。



 夢中で撮影させていただきました。感謝のみです。

〔526〕後期ゴシック彫刻を歩く⑪ 二度目の正直、ハンス・ムルチャーの聖母子像に遠目から会えました。

2022年11月13日 | 美術鑑賞
 10月3日(月)、ポリングの「妖しくない聖母子像」に対面した次の日のことでした。 アウグスブルクからランツベルク・アム・レヒ(レヒ川のランツベルクの意)までは40分足らずのところでした。ロマンティック街道に位置するランツベルクを最初に訪れようと思ったのは2019年のことでした。この時は他の訪問都市との兼ね合いで残念ながら見送らざるを得ませんでした。
 今回どうしても行きたかったのは、ここに後期ゴシック彫刻家の先駆け、ハンス・ムルチャーの聖母子像があるからです。この聖母子像はバクサンドールを初めとして数多くのドイツ語文献に掲載されているのです。その重要性についてはこれからの研究になります。





 この日は曇り空で雨でも降るのではないかという日和でした。たぶん普段よりもレヒ川の水量は多かったのでしょう。
 比較的たやすくマリア被昇天教区教会に辿り着きました。教会内は何処も収穫祭のためか野菜や花で美しく飾られて華やかです。





 お目当ての聖母子像は内陣深く、左側の壁面にありました。普段からそうなのでしょうか、綱が張ってあって内陣には近づけません。画像を大きくして遠目からシャッターを切りました。間近に鑑賞できない無念さはありましたが、やっと会えたという歓びのほうが勝っていました。



 この日はもう一箇所訪問の予定がありました。ランツベルクからアウグスブルクを通り越してドナウ・ヴェルトに向かいました。ここもやはりロマンティック街道の町です。近くを流れるのはもちろんドナウ川です。







 マリア大聖堂にはグレゴール・エーアハルトの「秘跡室の彫刻飾り」があります。写真集第Ⅴ巻所収のグレゴールのカタログに掲載されています。
 肝腎の下部の彫刻部分が頑丈に鉄柵で保護されていて、判然としませんでした。

 この日のトランクを置いての「遠足」は気楽で、充実感がありました。 

〔525〕後期ゴシック彫刻を歩く⑩ フライジング博物館の開館式に招待されました。

2022年11月13日 | 美術鑑賞
 9月30日(金)はラインベルガーの「アンナ三代像」、10月2日(日)は同じくラインベルガーの「妖しくない聖母子像」を拝観したということをブログに書いてきました。
 今回はその谷間の10月1日(土)のお話です。
 この日我々はミュンヘンからほど近いフライジングにいました。フライジングは日本のガイドブックにも載っていないようなところですが、昔からキリスト教では重要な地域だそうです。またドイツで一番古いビール醸造所があるところだそうです。以前日本のテレビで放送していましたよ。





 私たちにとってフライジングは大聖堂であり、博物館です。後期ゴシック彫刻の宝庫でもあるのです。しかし博物館はずっと改装中で入館できませんでした。

 しかし、この日、フライジング博物館の開館式があり招待されました。招待してくれたのはバイエルン国立博物館のマティアス・ヴェニガー博士でした。開館に深く関わった方です。
 実はこの日、彼は外国に出張の予定が入っていたのですが、私たちのために出発を1日遅らせてくれたのです。
 開館式は午後からということで、午前中はフライジング大聖堂で待ち合わせました。膨大な彫刻群のレクチャーを緑はヴェニガーさんから受けることになります。その解説は難解で、まさに機関銃のようでした。(掲載する彫刻はいずれもエラスムス・グラッサーの作品です。)





 昼はご自宅に招待してくれて、なんと美味しい米料理をいただきました。お連れ合いのルースさんの手作りでした。

 午後2時くらいからフライジング博物館の開館式が始まるということで、我々4人は会場に急ぎました。そもそもフライジング博物館に我々がどうしても行きたかったのは、エラスムス・グラッサーなどの良質の作品が数多く所蔵されていたからでした。
 入館を待って長蛇の列ができていました。開館祝いのために地域の人々が着飾って来館しているのです。ジーパンとヤッケの私は場違いという感じでした。
 入館すると一階のホールではすでに開会の挨拶が始まっていました。満席なため立ち見客でごった返しています。ホールは4階まで吹き抜けで、各階から覗き込めるようになっています。
 しばらくしてコンサートが始まりましたが、演奏の様子が良くわからなくて退屈なので、2人でお目当ての展示物を見に行きました。ここでもヴェニガーさんが来てくれて解説してくれました。展示に携わった専門家から話を直接聞けるのは我々ぐらいなのではないでしょうか。ルースさんは我々が迷子にならないか気を遣ってくれているようでした。



  今回はちょっと人が混み合って慌ただしかったので、別の機会にじっくり見回りたいと思った次第です。
 我々はインゴルシュタットに戻らないといけないので、少し早めに博物館を後にしたのですが、ヴェニガーさんが駅まで送ってくれました。

〔524〕後期ゴシック彫刻を歩く⑨ ラインベルガーの「妖しい聖母子像」は妖しくなかった! です。

2022年11月12日 | 美術鑑賞
 10月2日(日)、サロメさんに取りはからってもらってラインベルガーのアンナ三代像を拝観した2日後のことでした。私たちはインゴルシュタットからアウグスブルクに移動しました。
 ホテルにトランクを預けてすぐに向かった先はポリングでした。アウグスブルクから約1時間半でヴァイルハイムに着きます。休日のためヴァイルハイムから小さな町ポリングにはバスもありません。やむなくタクシーに乗ることにしました。タクシーは正規の料金がはっきりしなかったり、チップのこともあり緊張します。

 ポリングに赴く目的はまたもやラインベルガーの「妖しい聖母子像」を拝観するためです。バイエルン国立博物館に所蔵されていると思って同館のヴェニガー博士に聞いたところ、修復を終えてポリングの教会に戻っているというのです。
 「妖しい聖母子像」とは私が勝手に付けたニックネームです。前ブログで触れたラインベルガーの白黒図録やバクサンドールのやはり白黒の写真を見て親しみを込めて付けたのです。あまりかわいくない逞しいキリストを抱えるマリアの視線が斜めに彷徨っている風に妖しく見えたのです。



  ポリング修道院は大きくて立派な建物でした。約束の時間より少し早く行くと、収穫祭のミサが行われていました。ミサが終わって着飾った人々が出てきました。出口ではパンなどを売っているようでした。



  邪魔にならないように堂内に入らせてもらいました。収穫祭のため花や野菜で美しく飾られていました。
 お目当ての「妖しい聖母子像」は右手上方にすぐに見つかりました。あれあれ、妖しくない! 堂々と気品のある聖母子像でした。修復を終えて、色彩が鮮やかに戻ると印象がずいぶん変わるものです。今後一切「妖しい聖母子像」とは呼ばないことにします。

 こんな小さな町にも素敵なレストランがすぐ近くにありました。
 帰りはコロコロを転がして見渡す限り野原の気持ちよい一本道を帰りました。遠くに牛などがいたりして、実にのどかです。
 これでラインベルガーの旅も終わりに近づきました。




〔523〕後期ゴシック彫刻を歩く⑧ ラインベルガーのアンナ三代像に導いてくれたのは修道女・サロメさんでした。

2022年11月12日 | 美術鑑賞
 9月29日(木)、私たちは初めての地、インゴルシュタットに宿泊していました。2019年のドイツ旅行の時、残念ながら訪れることができなかった町です。インゴルシュタットは私たちにとってハンス・ラインベルガーのアンナ三代像がある町でした。
 ラインベルガーは後期ゴシック彫刻の最終盤を飾る大彫刻家です。個性的でユニークな彫刻は群を抜いています。近代への橋渡しをした作家ですが、日本ではほとんど知られていません。
 ラインベルガー彫刻に導いてくれたのは50頁足らずの小さな図録(写真集第Ⅴ巻所収)でした。モースブルクにあるラインベルガー祭壇のある教会で購入したものでした。
 その表紙を飾っていたのがインゴルシュタットのアンナ三代像でした。緑の調査で、この像はグナーデンタール修道院にあることがわかりました。

 インゴルシュタットの駅からバスに十数分乗って旧市街に着きました。グナーデンタール修道院を見つけるのに一苦労。ようやくそれらしき建物を見つけ、重い扉を押してなんとか受付らしき窓口のインターホンを押しました。人がいないのかなと諦めかけたとき、年輩の修道女さんが顔を見せてくれました。訪問の趣旨を伝えると、明日ならお見せしましょうということで、翌日、指定された時間に伺ったのでした。

 9月30日(金)、修道女のサロメさんはカードや絵はがきを用意して待っていてくださいました。緑からはドイツ語の手紙とお礼を差し上げました。





 修道院の正面には等身大以上の聖母子像が据え付けられていました。この像もラインベルガーに関係したものであるということでした。



 そして待望していたアンナ三代像は右脇にドーンと構えていました。修復を終えたということもあって、色鮮やかで、堂々たるものでした。もう少し小ぶりのものを想像していたのです。彼女曰く、この像はラインベルガーの最高傑作だということでした。実物を前にして、なるほどと合点しました。






〔522〕後期ゴシック彫刻を歩く⑦ フラウエンシュタイン(オーストリア)では「シュッツ・マドンナ」に救われました。

2022年11月11日 | 美術鑑賞
 グレゴール・エーアハルト(ミヒェル・エーアハルトの子)の「シュッツ・マドンナ」はフラウエンシュタイン教区教会(オーストリア)にあるはずです。





 10月11日(火)、リンツから約1時間、ローカル線に乗って遠足気分でフラウエンシュタインに向かいました。さらにバスを降りて、さて、小トランク(愛称コロコロ)を引いて教会まで丘を登ろうとしたその時でした。一台の車が我々の前に止まったのです。若い女性が降りてきて、行き先を聞いて、車に乗りなさいと誘ってくれました。まさに「シュッツ・マドンナ」の出現でした。車ではそこから10分ほどでしたが、徒歩で上れば1時間以上はかかったことでしょう。

 小さな教会は無人でした。静かに戸を開けると正面に「シュッツ・マドンナ」が鎮座していました。写真では何度も繰り返し見ていた「懐かしい」像です。実物は写真より遙かに素敵でした。そこからは無言でシャッターを切りまくりました。







 小さなパンフを購入し、若干のお礼をして清々しい気分で教会を後にしました。



 リンツに戻って城博物館に行ってからも良いことが続くものです。ここではシニアは無料でした。パッサウ派、ケーファーマルクト派、アルトエッティンク派など後期ゴシック彫刻が目白押しなのでした。誰もいない十もの部屋を二人占めしました。

〔521〕後期ゴシック彫刻を歩く⑥ 28体のブロンズ像にただただ圧倒されました。(インスブルック、宮廷教会)

2022年11月10日 | 美術鑑賞
 インスブルック(オーストリア)の宮廷教会に、等身大以上の28体のブロンズ像があることを認識したのはつい最近のことです。
 我々の後期ゴシック彫刻の旅はリーメンシュナイダーから始まって同時代の彫刻家の作品に向かっていきました。そのほとんどが木彫と石像でした。ブロンズ像が意識にのぼってきたのはペーター・フィシャーに出合ってからです。ニュルンベルクのゼバルドゥス教会のブロンズの墓に魅せられ、写真集でも紹介することになってしまいました。(緑写真集Ⅳ巻所収)

 10月13日(木)、ザルツブルクからインスブルックに移動してきたのですが、どうも身体が重いのです。この旅行中初めての発熱でした。すぐに検査キットで確認したのですが、ありがたいことに陰性でした。
 翌日の午前中、大事をとっていたのですが、どうやら動けそうなので、宮廷教会に足を運ぶことにしました。教会はホテルから徒歩30分ぐらいに位置していました。

 教会内に足を踏み入れたとたん、ブロンズ像に圧倒され続けました。息が苦しいという感覚に到ったのは微熱のせいではありませんでした。教会内には2,3人のグループがいるだけで、ほぼ貸し切り状態でした。まさに彫像と対峙する沈黙の世界。





  鉄細工に囲まれた巨大な空(から)の墓石を取り囲むように屹立するブロンズ像の一体一体を前から後ろから丁寧にカメラに収めていきました。皇帝マクシミリアンⅠ世は自分の霊廟にと定めていましたが、意に反してヴィーナー・ノイシュタットに埋葬されたということです。
 実は緑はこの時、一眼レフで撮影していてました。その重量もあってか、私に1日遅れで熱を出すことになってしまったのです。こちらも陰性でほっと安堵しましたが。

 私が一番待望していたのはラインベルガーの像でしたが、もらったパンフによるとなんとフィッシャーは二体、シュトースも一体造っているのでした。驚くことにラインベルガーとフィッシャーはデューラーとの共同製作であったようなのです。





  パンフやガイドブックには優雅な女性像が掲載されることが多いのですが、私にとって最も刺激的な像はラインベルガー・デューラー組です。飛び抜けて動的で個性的です。バランスよく優雅なのはフィッシャー・デューラー組でしょうか。シュトースのそれも丸みがあり優しい感じが好きです。どの作品が誰の作品か当ててください。









 そうそう、1つ書き忘れていました。この宮廷教会に来たかったわけです。グレゴール・エーアハルトの作品があるということだったのです。写真集第Ⅴ巻に掲載したグレゴールのカタログのなかにそれがあったのです。しかしながら、教会のパンフにはその記載がありませんでした。謎が1つ残りました。



 まあ、いずれにしてもこの空間に身を置かないことにはその荘厳さは実感できないでしょう。インスブルックに来られた際には是非足を運ばれることを勧めします。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。

〔520〕後期ゴシック彫刻を歩く⑤ オーストリアのマウアの祭壇も必見、それは凄まじいものです。

2022年11月09日 | 美術鑑賞
 10月8日(土)、アダモフで衝撃を受けた次の日でした。ウィーンから列車で1時間と少しのところにあるドナウ川沿いのメルクに到着します。ローカル線に乗り換えてさらにそこから2駅、ここでタクシーを拾って教会に行くのがいいだろうとは教会の人の話でした。ちょっと金額が高いなと思いながらも土曜日にはバスもないようでした。
 小さな教会に入ると2,3人のグループが祭壇をしげしげと眺めていました。一人の男性が祭壇を指さしながら解説しているようでした。時折アダモフという地名が聞こえてきます。どうやらアダモフとこのマウアの祭壇を比較して話しているようでした。話はなかなか途切れることがなく、私たちはその邪魔をしないように撮影に入りました。

 ゆっくり眺めると、この祭壇も凄いものだなあと実感できます。
 テーマはやはりマリアの昇天でしょうか。マリアを囲む天使たちの表情が独特です。緑によると歌を歌っているというのです。マリアを祝福する天使たちの歌声が聞こえてくるようでした。この天使たちはおとなしくじっとして歌ってはいないようです。表情豊かな天使たちというのはアダモフと共通しているようにも思えるけど、マウアの方が少し穏やかのようです。蛇がとぐろを巻いているような雲の表現はどこかアダモフと関連があるようにも思えます。







 Zwettlとマウアは約50キロの距離です。ケーファーマルクト祭壇(緑写真集Ⅲ巻所収)のあるケーファーマルクトとZwettlとマウアはほぼ正三角形で結べる地点にあります。何らかの交流があったと考えてもあながち間違いではないように思います。果てしなく想像が膨らみます。





 教会の貴重なパンフレットです。
 帰りはバスがなく、地元のある家族にタクシーを呼んでもらって帰りました。