後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔524〕後期ゴシック彫刻を歩く⑨ ラインベルガーの「妖しい聖母子像」は妖しくなかった! です。

2022年11月12日 | 美術館・博物館鑑賞
 10月2日(日)、サロメさんに取りはからってもらってラインベルガーのアンナ三代像を拝観した2日後のことでした。私たちはインゴルシュタットからアウグスブルクに移動しました。
 ホテルにトランクを預けてすぐに向かった先はポリングでした。アウグスブルクから約1時間半でヴァイルハイムに着きます。休日のためヴァイルハイムから小さな町ポリングにはバスもありません。やむなくタクシーに乗ることにしました。タクシーは正規の料金がはっきりしなかったり、チップのこともあり緊張します。

 ポリングに赴く目的はまたもやラインベルガーの「妖しい聖母子像」を拝観するためです。バイエルン国立博物館に所蔵されていると思って同館のヴェニガー博士に聞いたところ、修復を終えてポリングの教会に戻っているというのです。
 「妖しい聖母子像」とは私が勝手に付けたニックネームです。前ブログで触れたラインベルガーの白黒図録やバクサンドールのやはり白黒の写真を見て親しみを込めて付けたのです。あまりかわいくない逞しいキリストを抱えるマリアの視線が斜めに彷徨っている風に妖しく見えたのです。



  ポリング修道院は大きくて立派な建物でした。約束の時間より少し早く行くと、収穫祭のミサが行われていました。ミサが終わって着飾った人々が出てきました。出口ではパンなどを売っているようでした。



  邪魔にならないように堂内に入らせてもらいました。収穫祭のため花や野菜で美しく飾られていました。
 お目当ての「妖しい聖母子像」は右手上方にすぐに見つかりました。あれあれ、妖しくない! 堂々と気品のある聖母子像でした。修復を終えて、色彩が鮮やかに戻ると印象がずいぶん変わるものです。今後一切「妖しい聖母子像」とは呼ばないことにします。

 こんな小さな町にも素敵なレストランがすぐ近くにありました。
 帰りはコロコロを転がして見渡す限り野原の気持ちよい一本道を帰りました。遠くに牛などがいたりして、実にのどかです。
 これでラインベルガーの旅も終わりに近づきました。




〔523〕後期ゴシック彫刻を歩く⑧ ラインベルガーのアンナ三代像に導いてくれたのは修道女・サロメさんでした。

2022年11月12日 | 美術館・博物館鑑賞
 9月29日(木)、私たちは初めての地、インゴルシュタットに宿泊していました。2019年のドイツ旅行の時、残念ながら訪れることができなかった町です。インゴルシュタットは私たちにとってハンス・ラインベルガーのアンナ三代像がある町でした。
 ラインベルガーは後期ゴシック彫刻の最終盤を飾る大彫刻家です。個性的でユニークな彫刻は群を抜いています。近代への橋渡しをした作家ですが、日本ではほとんど知られていません。
 ラインベルガー彫刻に導いてくれたのは50頁足らずの小さな図録(写真集第Ⅴ巻所収)でした。モースブルクにあるラインベルガー祭壇のある教会で購入したものでした。
 その表紙を飾っていたのがインゴルシュタットのアンナ三代像でした。緑の調査で、この像はグナーデンタール修道院にあることがわかりました。

 インゴルシュタットの駅からバスに十数分乗って旧市街に着きました。グナーデンタール修道院を見つけるのに一苦労。ようやくそれらしき建物を見つけ、重い扉を押してなんとか受付らしき窓口のインターホンを押しました。人がいないのかなと諦めかけたとき、年輩の修道女さんが顔を見せてくれました。訪問の趣旨を伝えると、明日ならお見せしましょうということで、翌日、指定された時間に伺ったのでした。

 9月30日(金)、修道女のサロメさんはカードや絵はがきを用意して待っていてくださいました。緑からはドイツ語の手紙とお礼を差し上げました。





 修道院の正面には等身大以上の聖母子像が据え付けられていました。この像もラインベルガーに関係したものであるということでした。



 そして待望していたアンナ三代像は右脇にドーンと構えていました。修復を終えたということもあって、色鮮やかで、堂々たるものでした。もう少し小ぶりのものを想像していたのです。彼女曰く、この像はラインベルガーの最高傑作だということでした。実物を前にして、なるほどと合点しました。