端っこに参加している某同好グループでは 定期的に小講演会を実施してきていて 毎回カルチャーショックにまみれボロボロで帰宅していた。その刺激は後々大量の気づきに繋がり ショックがほどほどに自分の脳みそを活性化?していたような感じ。
ところが コロナ到来以来 全面的にオンラインに切り替わった。2度ほどPC挑戦してみたが 使えこなせてないこともありいまさら聴けないコッソリ質問なども かなり心臓がデカくないと ちょっと無理なので ここ2年ほどご無沙汰している。
政治学者の御厨貴先生はお元気そうで ひさびさながら能登地震について意見開陳があった。要約すれば?自然災害に加えコロナの流行そして戦争の勃発により 日本は危機と災害(災後を含む)の常態化が進んだ‥と指摘。云わば「危機の日常化」ということなのだろう。政治への感度がにぶっている現実に諦めず 危機の「常態化」への念入りな考察を求めていた。
能登の場合は 「今すぐ高いところに逃げること!」などテレビの絶叫避難指示に なんでや?と思ったが 三週間が経過して あくまで感覚的ながら3.11を踏まえ いまだに初動遅れ+支援の小出し+後手後手の感じ の状況を挽回していない。
指示発令が遅いのは ひとえにトップの責任で それは被害拡大と助かる命の無事の救出と早期の災害復旧に直結する。今後の防災専門家の綿密な分析を待ちたい。
例年に較べ 雪が少なくわが家の雪掻きは暇そうにしているが やっぱり里山は雪があり 近傍の展望台は訪問者も無く寂しそうであった。
この災難は 姑息な戦術のみに精力を消耗せず 丁寧に危機戦略を展望する意欲が必要。状況は 政治世界の不安定に乗じ権謀術数で別の何かを目論んでいるかのようである。派閥解散は 被災者早期救援にも利権政治改革にも 役に立たない。いつもの論点ずらしで時間稼ぎ。
環境の変化は高齢者へ厳しい打撃を与える。すでに限界は超えた だろう。ニュース断ちしても涙目の日が続く。
「耳そばだてて雪原を遠く見る:飯田龍太」