アメリカ映画の特撮技術というか映画製作技術には参る。世界が市場だからできることなのだろう。「プロメテウス」にも参ったが、SFもの、アクションものでアメリカ映画がぶっちぎりに圧倒する。遊園地のジェットコースターに乗っているみたいだし、二時間の炭酸飲料水かとも思う。「バットマンVSスーパーマン」は一種のゴジラ映画である。ビルなどは次々と破壊される。人間には破壊願望があるのではないかと思うくらいである。
毎日一本は予告編をチェックし、メモして、TSUTAYAに借りにいく。
この三十年で日本の名目GDPは1.5倍。アメリカが4.1倍、イギリスが4.9倍、韓国は17.8倍、オーストラリアは7.4倍、シンガポールは9.8倍、中国はなんと75倍である。2010年に日本の名目GDPは世界で三番目に陥落してからわずか7年で中国の名目GDPは2.5倍である。
アメリカはますますすごい映画を作れるはずだ。中国はハイブリッドを経なくても、固定電話を飛ばして携帯に行ったように、ハイブリッド車や新幹線を作らずとも一足飛びにEV車に飛び、リニアモーターカーにいくはずだ。
日本は経済成長は30年で1.5倍しかなかったのに歳出を2倍にしてしまった。成長産業が育たなかったのだ。しかも円高を放置していた。
戦後日本の荒地からの復興は社会主義がもたらした成長で、それを資本主義だと言い通してきた。バブル崩壊後、戦後からの復興はすでになく、成熟した社会になっていて、停滞期が30年も続いている。社会主義から抜けるかまっとうな資本主義に入っていくかの期間が今もなお模索中と言っていいだろう。
一方でアメリカやEUは資本主義を抜けていく状況にある。ところが資本主義の先のシステムモデルがない。資本主義の終わりに近づいているという論者もいるが、それは外の世界のことであり、日本ではまだ終身雇用制だし、正社員が既得権益を持っているし、競争原理が働きにくい制度や習慣、規制が跋扈している。
政治家や金融業界の専門家や経済学者は何をもって毎日生きているのだろうかと思う。いいときもあれば悪いときもあるさ、悪くなったって、5,6年もすりゃ、またよくなるさ、ぐらいの鷹揚さで世を見ているのだろうか。会って、話を聞いたこともないのでわからない。
アメリカ映画を見ていて、映像の技術進歩に驚かされるが、資金規模のすくないヨーロッパなどの映画は技術進歩よりも安上がりの映画で内容面を深めているように思える。ビートたけしの映画がフランスで評価されるのは、映像制作のIT技術ではなくて、リアルさと人間の暴力性という業のようなものと、時に見せる不思議な感覚である。そして映画に出口がない。それは日本の社会そのままを映しているように見える。
30年で世の中は変わったのだなあ、とこの頃つくづく思う。リアルな社会の変化(成長から停滞へ)は始まったとき、ぼくはあまりその変化を敏感に感じ取れなかったと後悔、反省しきりであった。ああ、なあ、と思うばかりである。