人間、一度にすべてわかるということはないものだ。その時の興味の範囲や方向性によって、理解を遮断してしまうことがある。
小説を読んでもそうである。二度目を読む本というのはそうめったにあるものではないが、2回目になると新しいことに気づくことが多い。前はどんなふうに読んでいたのだろうと、不思議に思う。漱石の小説は2回読んでいる。「三四郎」と「それから」と「門」は3回読んだ。3回以上読んだ本は吉本隆明のいくつかの本、それに三島由紀夫の「豊饒の海」である。村上春樹の本は読んでいないのもあれば1回だけ読んだのもあり、「1Q84」と「ノルウェーの森」が再読している。この頃は見事なセリフにマーカーをしている。
僕は限られた時間内で教える仕事をしている。結構若い人が対象である。大人だからわかるまで教えるということはしない。僕の話の受け取り手は、試験があるから試験にでる内容だけは覚えようとする人もいるし、全部を聞きもらさないぞ、という人もいる。もちろん、眠そうな顔をしている人もいる。そのそれぞれにその時では実感として理解できないことも多々あるようだ。あとになってわかる。もう1回聞いて、よりよくわかるという場合もある。
物事を理解していく場合、原理原則というか、幹の太いところを理解しておくと、それから伸びる枝葉にまでつながっていき、大きな理解を得ることになる。それが枝葉ばかりに気をとられていると、原理原則がわからなくなってしまうこともある。
例えば、筋肉というのは息を吐くと緩む。吸うと緊張状態になる。神経で言えば、息を吸うのは交感神経を高める。息を吐くと副交感神経を高める。こういうのは原則的なことだ。筋肉に痛いところがあって、それをなんとかしたいときに「痛いところからその反対の方向に息を吐いていく」という動作を数回行うと、痛みがとれる。コリや筋肉のつっぱりは筋肉が不均衡になっているからだ。筋肉は一方が縮まれば一方は伸びるという拮抗性をもっている。この時に使うのは呼吸であり、もっと言えば自律神経なのである。筋肉が痛いからと言って、湿布をする。揉む、などというのは原理原則ではない枝葉のことなのだ。
女性の顔や首について言えば、顔の筋肉も深いところから硬直し、さらに短縮してくる。深い筋肉がそうなると上の筋肉が短縮下分下に下がることになる。シワやたるみというのはその結果である。硬直し、短縮してくるのはコラーゲンやカルシウムの量も関係してくる。したがって深層筋、中層筋と柔らかい筋肉を維持させることができたら、アンチエイジング的なケアをすることができる。
1回や2回では見落としがあるので、特に気をつけなければいけないが、多くの人は試験さえ通ればよいということになる。大学受験などもその典型であった。僕は歴史は世界史をとったのだが、受験後1ケ月のうちにほとんど忘れてしまっている。そしてヨーロッパの過酷な戦争の歴史のことなどはわすれ、ヨーロッパは先進国が多く、EUなどを作って仲良くやっていると思っている。どうしてEUを作らなければならなかったのか。それは国境のある小さな国同士が戦争ばかりしていたからだ。戦争をすれば国土は荒廃する。もういやだ、と、コリゴリだとなったのだ。あまりにも各国が緊張状態に長い年月続いていたのだ。そんな世界の現代史を高校の授業では教える時間はないから、僕らは自分で知っていかなければならない。
全く違った観点から見てむると、また違ったことが見えてくるという場合もある。リードヴィッヒ2世から見れば、とかワーグナーから見れば、とかである。最近 「1Q84」から、ヤナーチェクへ。それからワーグナー、ワーグナーからリードヴィヒ2世、ドイツのお城、祝祭劇場のあるバイロイトとつながっていき、オーストリアとつながり、さらにショスタコビッチやストラビンスキーやフォーレ、シベリウスと知っていった。ようやくヨーロッパをもっと知りたいと思うようになった。旅行もしたいと思うようになった。
小説を読んでもそうである。二度目を読む本というのはそうめったにあるものではないが、2回目になると新しいことに気づくことが多い。前はどんなふうに読んでいたのだろうと、不思議に思う。漱石の小説は2回読んでいる。「三四郎」と「それから」と「門」は3回読んだ。3回以上読んだ本は吉本隆明のいくつかの本、それに三島由紀夫の「豊饒の海」である。村上春樹の本は読んでいないのもあれば1回だけ読んだのもあり、「1Q84」と「ノルウェーの森」が再読している。この頃は見事なセリフにマーカーをしている。
僕は限られた時間内で教える仕事をしている。結構若い人が対象である。大人だからわかるまで教えるということはしない。僕の話の受け取り手は、試験があるから試験にでる内容だけは覚えようとする人もいるし、全部を聞きもらさないぞ、という人もいる。もちろん、眠そうな顔をしている人もいる。そのそれぞれにその時では実感として理解できないことも多々あるようだ。あとになってわかる。もう1回聞いて、よりよくわかるという場合もある。
物事を理解していく場合、原理原則というか、幹の太いところを理解しておくと、それから伸びる枝葉にまでつながっていき、大きな理解を得ることになる。それが枝葉ばかりに気をとられていると、原理原則がわからなくなってしまうこともある。
例えば、筋肉というのは息を吐くと緩む。吸うと緊張状態になる。神経で言えば、息を吸うのは交感神経を高める。息を吐くと副交感神経を高める。こういうのは原則的なことだ。筋肉に痛いところがあって、それをなんとかしたいときに「痛いところからその反対の方向に息を吐いていく」という動作を数回行うと、痛みがとれる。コリや筋肉のつっぱりは筋肉が不均衡になっているからだ。筋肉は一方が縮まれば一方は伸びるという拮抗性をもっている。この時に使うのは呼吸であり、もっと言えば自律神経なのである。筋肉が痛いからと言って、湿布をする。揉む、などというのは原理原則ではない枝葉のことなのだ。
女性の顔や首について言えば、顔の筋肉も深いところから硬直し、さらに短縮してくる。深い筋肉がそうなると上の筋肉が短縮下分下に下がることになる。シワやたるみというのはその結果である。硬直し、短縮してくるのはコラーゲンやカルシウムの量も関係してくる。したがって深層筋、中層筋と柔らかい筋肉を維持させることができたら、アンチエイジング的なケアをすることができる。
1回や2回では見落としがあるので、特に気をつけなければいけないが、多くの人は試験さえ通ればよいということになる。大学受験などもその典型であった。僕は歴史は世界史をとったのだが、受験後1ケ月のうちにほとんど忘れてしまっている。そしてヨーロッパの過酷な戦争の歴史のことなどはわすれ、ヨーロッパは先進国が多く、EUなどを作って仲良くやっていると思っている。どうしてEUを作らなければならなかったのか。それは国境のある小さな国同士が戦争ばかりしていたからだ。戦争をすれば国土は荒廃する。もういやだ、と、コリゴリだとなったのだ。あまりにも各国が緊張状態に長い年月続いていたのだ。そんな世界の現代史を高校の授業では教える時間はないから、僕らは自分で知っていかなければならない。
全く違った観点から見てむると、また違ったことが見えてくるという場合もある。リードヴィッヒ2世から見れば、とかワーグナーから見れば、とかである。最近 「1Q84」から、ヤナーチェクへ。それからワーグナー、ワーグナーからリードヴィヒ2世、ドイツのお城、祝祭劇場のあるバイロイトとつながっていき、オーストリアとつながり、さらにショスタコビッチやストラビンスキーやフォーレ、シベリウスと知っていった。ようやくヨーロッパをもっと知りたいと思うようになった。旅行もしたいと思うようになった。