25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

人の間にいてこそ

2014年11月17日 | 文学 思想
 沖縄はまだ半袖シャツで過ごすことができた。いつも思うことであるが、この島はいつも低気圧で覆われている。スキッとした青空を滅多にみない。それに風が強い。この沖縄がリゾートにて適しているとは思えない。台風。曇り、風。エアーチケットや宿の予約にいつも心配する。
 その沖縄に5日いて、帰ってきた。内地は寒かった。高速船の中で、ぼんやりと考えた。何を読み、何をするか。仕事の日も決まっている。
 いつも、11月が待ち遠しい。11月にハゼ釣りをする。同じ頃イガミ釣りが盛んになるが、2年前に磯で転んでから止めた。春になるとチャンポコという巻貝をを採りにいく。3つ楽しみだったのが2つとなった。その他にキスやカサゴを釣りにいくが季節の情趣には欠ける。沿岸ものから外れて、ヒラメや鯛が釣れるところに住んでいるのだから、一度は釣りに行ってみたいと思う。しかし一人でいく気持ちにならない。こんなとき釣り仲間がいればよいと思う。
一人で桜も紅葉も美しいものであるが、二人で見る桜・紅葉も、三人で見るのもよいものである。さしずめ、釣りは一人よりは二人以上が絶対的におもしろい。

 ハゼを釣る場所まで車では30秒。歩いていけば2分というところにある。カサゴやキスも歩いて2分。チャンポコを採るには車で7分。大コチやヒラメを狙うなら、小舟があればよい。(父には小舟があったが、僕にはない)。鯛を釣るならもっと沖にまでいく必要がある。コブ付きの鯛である。
 銀座数寄屋橋の「すきやばし次郎」は鯛は握らないという。関東で良い鯛がとれず、明石の鯛にかなわないのだそうだ。代わりに東北のヒラメを握るのだそうだ。
 こんな話を昔、地元料理屋での雑談で話していたら、こっぴどく、「ウチの鯛もコブ付きやで。何が明石の鯛や。ここのは荒磯の鯛やで」と言われた。それで別のある日、尾骨にコブがついているかどうかを見せてもらい、実際に食べてみた。これが美味いのだ。養殖のものも新しいと違いはないなど魚屋さんがいうが、全く違うのである。
 コブ付きの鯛を生涯に一度は釣って、食べてみたい。

  紅葉を見にいく、という趣もある。春の桜と秋の紅葉。人はあと何回みれるかと生き急ぐように見物に出かける。特に僕の周囲を見渡すと、60代にそんな季節感へのこだわりや執着がある。僕にはあまり「絶対見る」という気持ちがない。

 ちょっと出かければ見えるのである。
 海の磯。海の砂浜。海の堤防。川があり、渓谷がある。近くには湖もある。そんな自然暮らしだけで1年が過ごせるかと思うと、決してそうではない。自然とのつながりもよいがそれ以上に人間とつながっていたい、という気持ちがある。どこかで社会とつながっていたいという気持ちがある。魚や桜を相手にしているというのはやはり味気のないものだ。人の間にいてこその桜や魚だと思う。

 今日は早く寝て、明日に備える。ちょっと疲れたので、考えることも明日に延ばす。