25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

また「昭和史」再々読

2019年09月13日 | 社会・経済・政治
三度め、半藤一利の「昭和史」を読んでいる。

 田中 義一は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。 陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣、拓務大臣などを歴任した。(Wikipediaより) この男は天皇に対して張作霖爆破事件のよからぬ噂を天皇が聞いた。 田中は天皇に聞かれても、のらくらとのれんに腕押しで、真相を探ることも、処罰をすることもしない。陸軍から責められるのも嫌だし、天皇やその側近たちから文句を言われるのも嫌なことで、ただなんとなく時が過ぎていくのを待っている状態である。天皇はカンカンになって怒る。「田中を首にしろ」という。すると側近・重鎮の西園寺公望がこれまで田中はけしからん、首にしろと言っていたにもかかわらず、天皇は内閣総理大臣を首して政治介入することなどあってはなりません。と言い出す。そばにいる牧野伸顕などは呆れる始末である。

 このウヤムヤが関東軍の暴走を食い止められなくする。今度は柳条湖事件である。満州鉄道を爆破されたとでっち上げの事件を作り、張作霖の息子、張学良を追い出すのである。もちろん謀略である。天皇は猛反対するが、大元帥天皇の意思に反して、朝鮮にいる日本軍は関東軍を応援に向かう。大元帥の許可がいることなのに、このような指図をする幹部軍人は死刑ものだが、逆に出世していくのだから不思議だ。マスコミも煽り始める。煽ると新聞が売れる。国民は主戦論になっていく。 満州事変のことだ。ここから日中は悲惨な十五年戦争に突入する。

 何がきっかけで戦争状態になるかわからない。よくよく注意しなければならない。事件かもしれない。ちょっとした言葉なのかもしれない。
 どうやら戦争に突入していくのは、幹部軍人の知性、性格。それで事件への対処の仕方が変わってくる。田中義一のようなノラクラな筋の一本も入っていない男が総理大臣ではどうにもならない。

 昭和史のおもしろくないのは出てくる人物が面白くないのだ。傑出したものがいない。まあ、傑出しているものがいたら、十五年戦争も、太平洋戦争もやっていなかっただろうが。
 陸軍と海軍から大臣を出さない限り組閣できない。またこれがよくコロコロ変わる。強気の精神論だけが前に出てゆく。この精神論の被害者が国民の徴兵された兵士である。

 どうしてこんなことを書くかと言えば、何が起こるかわからない心配があるからである。日本はどんどん戦争のできる国になりつつある。
 先の戦争を反省していない大臣が入り、「なかったことにしたい」妄想にとらわれた日本列島人が少数いる。日本人の誇り、矜持、汚れのなさ、を言うコメンテーターもいる。まだ戦争の記憶は消えていない。だから事あると韓国と日本は張り合うし、靖国神社に首相が参拝すれば中国も怒る。アメリカの大統領でさえ靖国神社には行かない。
 なんだかまだ戦争は終わっていないのか、と暗澹とする。