25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ランク付け

2019年08月20日 | 社会・経済・政治

 今日の「モーニングバード」を見ていても、羽鳥慎一司会者は煽り運転をして挙句に傷害を負わせた宮崎何某の経歴を紹介し、彼の実像に迫ろうとするのだが、軽々には言えないことは十分にわかっているだ。ただ、宮崎何某は「天王寺高校」に行っており、その天王寺高校を大阪でもトップ5に入る「頭のよい子のいく高校」と言ってしまう。そしてこの高校から「東大に9人、京大に47人」が入って、宮崎何某は「関西学院大学」でこれも「頭の良い人がいく大学だ」と言う。テレビも羽鳥もこんな点が質が悪い。東大へ行かずとも、関西学院に行かずとも「頭のよい人はいくらでもいる」。学歴や肩書で人を判断してたら間違えてしまうことはもう現代に生きる人は知っている。佐川元税務庁長官など「頭が良い」と言えるのか。そもそも頭が良い、というのはどういうことか。羽鳥に定義つけてもらいたいものだ。記憶力がよいことを頭が良いというのか。忠実に勉強してきて優秀な成績をおめた人を頭が良いというのか。バカバカしい。

 テレビはこういうくだらない区別を平気でやる。テレビ局側にいる人たちも少々考えればわかるはずだ。

 常連コメンテーターの玉川徹はテレビ側の人間である。彼は「正義」は嫌いだ、と言っていた。宮崎何某がもしかしたら、自分のやっていること、例えば「熱いお茶を出して店主に4時間も説教した」というのは自分はいいことしてやったんだ、と思っているのかもしれない。いいことをしている思ってやっているとそれは実は悪いことかもしれない。こういうことは鎌倉時代の親鸞さんが言ってきたことだ。玉川徹のこういうコメントは切り口も鋭く、納得することも多いのだが、今日の経歴のところで何も言わなかった。頭が良いだのなんだのは不要のはずだ。宮崎何某は関西学院大学に行ったからと言って頭が良いわけではなく、佐川元長官とて頭がよいとは思えない。

 東大がえらいだの、京大が今やトップだのランク付けをマスコミはしたがるが、実は庶民のほとんどはあまり縁がないので、そんなランク付けがどうでもよいと思っている。インテリの方がコンプレックスでもあるのか、ランク付け、区分けをする。

 いったいいつまでこういう意識が続くのだろう。つまらないことだ。

 



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