25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

井上陽水の歌詞

2019年11月28日 | 音楽 ポップス
 昨日の井上陽水の歌詞について論議する番組「Love Songs」だったと思うが、興味深かった。ぼくがイギリスから帰った1973年には井上陽水のアルバムが大ヒットしていた。ぼくはキャロルキングを聴いていて、クラシックなどにも手を出していた頃だった。あの字余りのような歌詞が気にいらず、陽水の歌はずっと避けてきたのだった。ところが「陽水トリビュート」が十年ほど前に出て、いろいろな歌手が歌っているのを聞いて、井上陽水って、いい歌を作っているんだと思ったのだった。

 そしてぼくは鈍感なのだろうか。歌詞は面白かったが、思い付きのコラージュみたいなもんだろう、と思っていた。ところが昨日4人の男女、作家やシンガーソングライターは真剣に歌詞について論じていた。

 リバーサイドホテルの歌詞には重複した同じ意味をした箇所がある。たぶんわざとそうしている。

 部屋のドアは金属メタル
 に浮かんだプールでひと泳ぎ
 川沿いリバーサイド

 チェックインなら寝顔を見せるだけ

  これは意味不明である。女の作家は「死んでいるのではないか」「川は三途の川で生の側と死の側の境にプールがあるのではないか」と言う。へえ、そんなもんかね。つまりこれは心中の歌だということになる。ぼくはチェックインの時に、バスで疲れたような顔して、男がカウンターでサインするときに眠そうな顔をしてそばにいたという程度の理解だったが、おお、「心中」と読むか、人それぞれだなあ、と思ったのだった。ぼくは熱心に陽水を追いかけてきていない。が昨日のいくつかの初期の作品を読んでいると、コラージュというのは当てはまっていないと感じた。歌詞に一貫して言いたいことがあり、それが一行の歌詞の前後と意味としても繋がっていた。どうやらつながってこず、切り貼りのコラージュのように思えたのは中期以降の作品なのかもしれない。ぼくはテレビで歌う気持ちの悪い妖怪っぽい歌い方の陽水とセットで印象に残っている。

 「帰れない二人」は一体どこに帰るのか、どうなるのか。「もう星は帰ろうとしている 帰れない二人を残して」 ぼくは単純にとても互いに好きあっていて、いつまで経って離れたくなくて、帰れない恋人どうし」という風に読むが、これも心中好きの女性作家はみちゆきの歌ととる。へえーーーーー。深読みすぎじゃないか。

 こんなとき作家が実はこうなんですよ、と言ってくれればいいが、決して言わない。それが有名作家の醍醐味である。テレビ好きな井上陽水はニタニタしながら歌詞論議を聴いていたことだろう。

 松任谷由実もやってほしいし、中島みゆきもやってほしいものだ。 
 
 


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