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著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

クラシック音楽

2015年03月27日 | 音楽
男子のフィギアスケートを見ていて、ふと思った。スケーティングのバックでかかってくる音楽、例えば、「ミッションインポッシブル2」の音楽とクラシック音楽のどちらのレベルが高いのかと。おそらくこの問いは愚かである。「海の上のピアニスト」のピアノ曲がクラシックになるか、というのと同じ問題である。

 クラシック音楽というのは何度も何度も好まれて演奏され残ってきた音楽のジャンルをいうと思う。「ミッションインポッシブル2」の音楽も素敵であり、過去のシベリウスやストランビンスキーよりもよほどよいと思うが、問題は生き残るか、という話である。映画やミュージカルなどの裾野も相当広がっている。ポップスとて同じである。その中で未来に100年、200年と生き残って、演奏されればクラシックとなる。

 音楽を音そのものとして聴くか、ストーリーとして聴くか、大きなテーマとして聴くか、いろいろである。モーツアルトの音楽を聴いていると、音そのものと遊んでいるように聞こえる。だが、だんだんと「憂い」のメロディーが出てくる。未完の「レクイエム」に近くなってくると音楽に影が忍び込んでくる。

 ヴェートーベンは音を遊びのようにとらえていなかった。音楽に深みを与えたといわれるのだろうが、音にそもそも深みがあるのか、それはわからない。確かに、最後の「大フーガ」や「弦楽四重奏」は音の複雑さはあるように思えるが、嬉々として音楽を奏でるモーツアルトとどう甲乙をつけるのかわからない。

 ブラームスはヴェートーベンを引き継いでいるように思える。ロマン派を作り出していくブラームスであるが、その影響はヴェートーベンである。ヴェートーベンはモーツアルトから多大な影響を受けているように思える。

 そうすると音楽は人から人への受け継ぎであることがよくわかる。そして現在も親しまれているのがクラシック音楽なのだろう。「ミッションインポッシブル2」や「海の上のピアニスト」や「イングリッシュペイシャント」はクラシックになり得るのか。引き継いでいく人が入ればなり得る。この移り変わりの激しい世で、炭酸水のように瞬時に悦を得て、忘れられてしまう運命もあるのかもしれない。

 芸術をする人が増えすぎているのだろう。モーツアルトの時代と比べるべきもない。
 現代から未来は芸術を水割りにしてしまうようなものだ。
 未来の姿を見たいと思うが見えない。こういうことはちょっと残念だ。


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