南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

パニック障害から脱出成功

2010-02-14 17:27:49 | 喜び
胃癌の切除の麻酔から目が覚めた時以来のまだ、生きていたという感動でした。しかし、自分の苦しみのほかに、邪魔な余計な苦しみが在っただけに、試練は長かったし、精神的に理不尽を強く感じていた。生き返ったという感覚は数段大きかった。
 まず、何とか早く、日本で、体を治し、次にやるべきこと、やらなければならないことができる体に戻さなければならないことを直ぐに意識した。 再起を課して、必ず治すと誓った。しかし、現実は厳しさが続いた。もうだめだと思ったことが何度あった。

 早速、いくつかの、近所の開業医を回ったが、何の改善もなく、やはり、息苦しくなったり、気絶しそうになったり、ヒドイ、症状は続いた。約、一か月の間に、三回、タクシーで総合病院の救急外来へ夜中に駆け込んだ、しかし、いずれも、原因付いて明快に答えを出してもらえなかった。何より厳しかったのは、頻繁に心臓の鼓動が休んでしまうことでした。必ず、また、動きだすから生きているわけですが、其の都度、もうだめだと思わされた。約、一か月経過後、過呼吸になって、死ぬかと思うくらいに、体が冷たくなり、ガタガタ震えが来て、気が遠くなることを感じた。小康状態で、救急外来に駆け込んだが、其のベッドで待っているとき、また、ヒドイ症状になって、大声で、苦しみ、不安を叫んでしまった。他の優先患者の方にいっている看護婦がすっ飛んできて、私の顔の上に紙袋を被せた。「すぐ、良くなるから、そのまま、呼吸を出来るだけしないように」と言い残して、直ぐ、いなくなってしまった。
その通り、二三分で、震えも冷えも、嘘のように無くなってしまった。ほっとしたところへ、医者がやってきた、症状と私がとった行動を説明した。そして、今は、症状が消えてしまっていることも話した。医者曰く、「今日はもう帰っていただいて、明日、総合診療科で受診してください」とアドバイスを受けた。
この病院の精神内科、外科、耳鼻咽喉科、心臓外科には相談に行っていたが、総合診療科というのがあることを知らなかったし。それらの科の医者から勧められもしなかった。
うつ病など、精神的な原因がはっきり数字で出てこない病気の相談に乗る科だった。簡単にいえば精神病の診療に当たるところでした。神経の誤動作は何を検査しても分からない、症状だけから病名を割り出し、治療に当たるのです。前にも書きましたが、ここで、パニック障害と宣言され、薬を飲んで、其の時から心臓が止まることは全くなくなった。それ以来、何年か後の今も、止まることはない。それだけで、私にとっては十分でした。その他の症状はまだ続いていたが、もうそれで、行動できる、出来ないは私の気持ち次第になったと感じた。発病から約三ヵ月間の苦闘でした。
死んだ気になったのだから、しばらくの休みののち何でもできると改めて思った。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
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下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。

今日の話、久しぶりにジャカルタ、スディルマン、スナヤンのラトプラザへいってデスクトップ二台、ラップトップ二台、スキャン付きのプリンター一台、プリンター、FAX、スキャン機一台を購入した。全部で、22万円くらいだった。実に安い。数年前に比べれば三分の一である。
インドネシアでは一級のIT機器を扱っているモールの一つです。ジャカルタの中心地にあるので、外国人の客が多い。価格も、グロドックやマンガドゥアなどと比較しても高くはない。インドネシアに不慣れな日本人にはここを紹介している。
ラトプラザの内部のほんの一部と、正面出入り口の様子、雨だったので、車まで送るアルバイトをしている少年がいた。ここは地下駐車場が広いので、この仕事はあまりもうからないと思うが、地上の駐車場が広いショッピングモールでは良い仕事になるので、大勢の子どもがこの仕事をしている。雨季は彼らにとって小遣い稼ぎのキャンスである。
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