南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆西伊豆半島

2016-02-29 22:47:20 | 

 2600 久しぶりに三津シーパラダイスへ、沼津のインターから南下し、沼津の町を通り、狩野川を渡り、なお南下する。ちょっと、40年以上前に独立した時の工場に寄ってみたくなって、本線からわき道にそれて、行ってみた。志下(シゲ)という地名だ。周りには干物の工場が沢山あって、ちょっと臭かった。今はどうか、季節ではないかもしれないが、臭くはなかった。50坪ほどの貸工場、並んだ、奥の方だ。ここで、ポリカペンダント用のPCチューブを冬でも曲げてもクラックが入らないチューブを工夫してつくった。おかげで、1ラインで、毎月4トン(900円×4000Kg=360万円)の原料を使い、700万円程売り上げた。また、オンラインでの6ナイロン面取りスパイラルチューブも日本で初めて作った。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html

孫と一緒だったが、彼女たちにとっては、何の意味もないことは分かっているが、ここが、おじいちゃんが、会社を作った場所だよと、つぶやいた。

 

そこから、なお南下し、三津シーパラダイスへ、お決まりのイルカショーそして、餌やりなど、彼女たち、二回目だが、初めてのように、十分、楽しんだようだった。私も、十分、満足した。昼食は、彼女たちの希望でパスタ、大盛を注文、すごい食欲、数年前には、フライドポテトで十分だったのに。こいつら、遺伝子、四分の一かあと、眺めてしまった。

 

なお南下し、大瀬崎を通過、土肥に向かった。フェエリーで帰るためだった。14時半過ぎに港に着いたが、10分ほど前に出港したばかりだった。次は17時20分だという。さてどうしよう。すぐ近くの金山跡へ行ってみた。私は眺めていたが、砂金採り体験に夢中、時間を十分、つぶすことができた。老眼では見えない、小さな金をいくつか手にして大喜び、家について、第一に報告したことは、そのことだった。私は、何より金は重いってことを、比重の概念を理屈っぽく,おじいちゃんは物知りだぞと、彼女たちに話してやって、分かったかどうか、自己満足した。

http://otaenplaext.net/newpage107.html

フェリーの中も、追いかけっこで走り回っていた。そして、それを見ていて、おじいちゃんをするのも、そんなに長い期間は残っていないなと思う。二三年すれば、相手にされないだろうなと思う。

孫 元気 遺伝子

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする