南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆昔が蘇った

2019-03-07 23:16:58 | 押出成形

 3701 http://otaenplaext.net/newpage311.html これは、50年前の経験の記録です。12ナイロン 11ナイロンのチューブを、日本で初めて、私が作ったときの話です。この時も、新しい成型方法を編み出した。

弘栄貿易とフランス人が東プラ精工へセールスにやってきた。24歳のころだった。リルサンの紹介だった。チューブのサンプルを持ってきた。ひまし油が原料ということもこの時、知った。その時の会話で、フランス人が盛んに、モチモチ、と言っていた。もっと複雑な発音だったが、そうしか聞こえなかった。五分五分、まあまあ、という意味だと直ぐに知った。そのニ三日後に、チューブの試作をして、簡単にできた。当時から今もグレード名は変っていない。BESNだ。O、P20、P40が後に着くが、可塑剤の量を表している。

 

その半年ほど前に、親会社の東レから12ナイロンのチューブ試作依頼があって、硬いナチュラルと比較的柔らかい可塑剤入りの原料でチューブを作って、当時ワンタッチジョイントなどの継ぎ手が売り始められた。その継ぎ手屋に納入が始まっていた。11ナイロンの方が、10℃ほど耐熱温度が高いということだったが、ほとんど同じで、見た目や触感では区別がつかない。私も、火をつけて見なければ分からない。使用する側は、まったく、区別がつかないでしょう。成形しやすいが、値段、なぜこんなにするの?滅茶苦茶高価。

 

で、何故、今日このことを書いたかと言うと、懐かしいクレームが入ったからだった。客先は折り曲げを繰り返すテストをするわけではないから、折れてちぎれてしまうというようなクレームではない。白くなってしまっているというクレームだ。今朝のミーティングで聞いた。カビかジャムー(キノコ)の胞子ではないかといっていた。胞子が付かないようにプラスチックの袋に入れて出荷してみようなどと、対策が練られていた。早速、その胞子なるものを見てみた。瞬間、50年前が蘇った。

 

先ず、先に作った12ナイロンチューブ、三か月以上の在庫品、黒ではなかったが、白い粉がふいていて、表面がねとついていた。こりゃなんだ、と、東レに確認したら、可塑剤plasticizerが浮き出しているという。その後のリルサンでも同じだった。先入れ先出の徹底と、三か月以上在庫にしないようにと言うことと、可塑剤で害はないが、気になるなら水洗いをしてくださいなども注意をした。インドネシアの客先にも言って有ったが、何故、そんな注意をするのか分かっていない、今回の返品は1年以上在庫していたものだったという。一番ひどいのは、1年どころではない。この会社との取引は数年前からだから、その当時のものだと思う。私たちで、洗って再出荷することになる。

 

それにしても、これらの原料、改善されていないのですね。懐かしい事件でした。

 

MM2100のシンボル的、会社表示版、尋ねる会社があるかどうか、見て、確認した人はいないと思うが、私が、ここを始めて通った1996年4月には、既に有った。これが、ジャラントール建設のために壊され始めていた。別に無くてもいい物だから、何処かに移すことはないと思う。

可塑剤 白い胞子 50年前

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