南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

明らかな動揺

2010-02-12 18:26:46 | インドネシア
いよいよ、物語はクライマックスに差し掛かってきました。
月曜日に退院し、メディカロカに向かった。彼らは遅い、私が先に着き、菊池先生と相談したが、結局、予以前と同じく、原因はわからず、「帰国を勧めることはできない」、「じゃあ、どうすればいいの?」と聞いたら、先生は、「ほかの検査、(まだの、MRI+MRA)などの検査をできるところで、してもらってください、」だけだった。そんな検査はとっくにやっていて、この医師には結果も伝えてあった。ご本人忘れているのだ。専門が循環器なので、どうしてもそっち方向に行ってしまう。「モルヒネは何の意味がない」とか、「三半器管に障害が在るのではないか」と、見当違いのことしか言わない。何度も言っている、脈拍が飛んでしまうことや息苦しくなることについて何も説明しない。この医者じゃ、どうしようもないと思っていたので、帰国前の単なる確認だった。

下手ノとうどウが遅れてきて、入ってきて、話しを聞き始めた。二人とも、「問題ないです」という言葉を期待しながら、「どうですか、日本へ帰すことができますか?」
菊池医師曰く、「危険です。責任は持てません、シンガポールでも、だめです。チャーター機で行くにしても、医師や看護婦の付き添いが無ければ無理です、帰国を強行し、途中で引き返したり、途中の国に着陸したりすれば、何億円もの損害賠償金が発生する可能性があります。」彼らにとっては予想しなかった、ショックな言葉だった。
 下手ノの戸惑いが、顔に現れた。下手ノとうどウの、大落胆したように態度がガラッと変わった。私の体が持つか持たないかより、悲しいかな、その損害賠償金のことが、今度は最重要綱目としてインプットされてしまった様だ。基礎知識や行動手段を何も持たないので、態度が単純に見え見えに現れる。帰国など、とんでもないと、180度考えがひっくり返った。今度は、「K社長が飛行機に乗るなと言っているから、悪いことを言わないから、帰らないで、病院でじっとしていてくれ」。というのです。「悪いことは言わないから帰れ、」といった、根拠を聞きたい。
朝、退院してきたにもかかわらず、また、入院を押し付けられたが、菊池医師も下手ノもうどウもインドネシアの病院事情などなにも知らない。「どこの病院がいい?」私に聞く、MRI+MRA機器病院を選ぶのは私でした。私は、インドネシアから脱出しやすいように、空港に一番近い、国立心臓センター(ハラオアンキタ)に行くことにした。私にとっては、皆さんが側にいることが邪魔なだけ、いれば、分かってもらえるわけが無いのに、説明をしなければならない。
どこの病院へ行くにしても、彼らが一緒ということになれば、時々、気絶しそうになる病人の私が、彼らの世話をしなければならない。私にとっては病気で苦しんでいるうえに、厄介者が付いてきて、彼らに気を使わなければならない。
その日の夕方も、マリアさんに手伝ってもらって、入院手続きをして入院した。その間大男の彼らは何もしないで、見張るように、くっついてきているだけである。私から厄介者と思われている事に気が付かない。
しかし、私の帰国決行の決意は変わっていなかった。インドネシアにいたらどうにもならないことが分かった。決行するしかない。

下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまったPT.KITAGAWAです。
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下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。

ここから今日に話。K社のEPTE解除の関係書類を担当している女性が私のところへ面接に来た。来月末までの再々延長で勤めているが、仕事はなく、たまに、ベアチュカイ (税務署、税関)からの書類や修正の依頼があったとき、書いて下手ノのサインをもらうだけだという。最初、昨年の10月末までの予定だったが、今は三月末までの契約になっているそうで、それが、過ぎても、また、延長になると思う、と、言っていた。その通りだと思う、今年中にEPTEを切れるかどうかも疑問だと思う。ということで、彼女が、K社を見捨てない限りは、私の所へ来る可能性は少ない。
もう一つ理由がある。例の私を落としいれた通訳が送ってきたのでした。通訳は、私に後ろめたさを感じているのでしょうか、車から降りてこないで、彼女の面接が終わるまで車で待っていて、車から出ることはなく、帰って行った。
当然、自分の手柄を誇示するために、通訳の作り話を下手ノに報告するでしょう、そうすれば、今日面接した彼女は、下手ノから怒られると同時に、次の勤め先は紹介すると、口から出まかせを言われるでしょう。本当は早く下手ノを捨てて私のところへ来れば、楽しく一緒に仕事ができるはずだから、下手ノが彼女の将来のことを考えて、今月末で解雇をしてくれればいいのだが、そんな、器量は全くないでしょう。
もう一人、早く、辞めさせられた女性の方がベアキュカイにコネが効くことを承知している。下手ノはそれを知らないから、若い方の女性を残したのです。もう一人の女性の方を重用していれば、父親がベアチュカイの高いポジションにあるので、EPTEはすでに切れていたことでしょう。
 KPK議長だったアンタサリさん、殺人教唆の罪で、一審判決禁固18年を言い渡された。直ちに上告したが、この判決に対する世論の動向が注目されます。相当な、騒ぎが予想されます。一般市民はアンタサリの無罪は、はめられたと、思っている人が多い。
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手柄アピール

2010-02-11 19:22:26 | 人間
それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人の下手ノ、うどウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。
うどウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。
この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、うどウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からうどウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、うどウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話を社長に向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元O常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。
それを受けて、下手ノ してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「K社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。K社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないK社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。K社長が言っているといえば効き目があると思った下手ノの口から出まかせとしか思えない。愚かな人だ。
帰国し、挨拶にいた時、K社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。

私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。


ここからは、今日に話です。タンゲランの硬質PVCのパイプメーカーから技術アドバイスを依頼され,いってきた。ポリマー粉末から、グレーのどこでも見ることができるパイプを作っていた。ラインでサイズなどの印刷も同時にしていた。インドネシアでは最先端の技術である。しかし、製品の外観や楕円など、日本なら商品にならない程度のものが多かった。その点について、改善点を指摘して上げた。添加剤の知識は私以上で、学ばせていただくことも多かった。
また、ローカル会社の価格の安さが分かった。彼らは、彼らなりの原料入手手段を持っているのです。まともな価格の半値以下で入手できるので、私たちが原料を入手できる価格で製品を売ることができるのです。こういう、集団(一種のマフィア)の中に私が入ることはできない。
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インドネシアのジャカルタにしかないバジャイ(三輪タクシー)とインドネシアの至る所にあるカキリマ(手押し屋台)のミーアヤム(鶏肉ラーメン)
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底なしBEGO

2010-02-10 18:09:42 | 人間
 この前後の何日かの投稿を、ぜひ、ジャカルタ新聞やジャカルタ日本大使館、日本領事館、ジャカルタ日本人会の方々にも読んでいただきたいと思う。弱い人、自分で行動できない人なら、自殺でもしかねない状況だと思います。
発病して二日後、会社代表の下手ノに状況を電話で知らせたとき、電話で最初に、日本人の医者からは「飛行機に乗ることはたとえシンガポールでも保障できない」といわれた、と話したのに、また、AIUの保険が効かない病院でも後で領収書をまとめて請求すれば全額、もどってくることはわかっていたのに、下手ノから出た言葉、「太田さん、悪い事いわないから、日本へ速く帰った方がいいよ。」「なんで、そんな保険が効かない病院に行くんですか」見当違いのことを言うので、「有難うございます。迷惑かけてすみません。」と決まり文句で答えておいた。(彼は、領収書とともに申請すれば即日、保険会社から振り込まれることを知らない)
 
知識、行動力が私の100分の1も無い人が、何も知らないのに、私に、「悪い事言わないから」と、上から物をいう、面白い。苦笑してしまった。日本語の使い方も知らない。「悪いこといわないから、自分で日本の医者に確認してよ、」と言いたい。
一週間後、国立心臓センターに入院している私の部屋へ来て、私が立って対応しているのに、件の下手ノ、いきなり、部屋にあった椅子にのけぞる様に座りこんで、「具合はどうですか」私は、現状と、今までどこの病院へ行ってどんな検査をしたかを説明し、日本人がいる病院にも二箇所行って、日本人の医者の診断を受け、どうしたらいいかも聞いた。日本人医師は、危険だから「飛行機は勧められないシンガポールでも責任は持てない」と、言われたことをまた告げた。下手ノもうどウも、ぜんぜん聞いていない。下手ノ、全く私の話を無視し、「太田さん、早く日本へ帰ったほうがいいよ」と、怒るように、言った。うどウは「金持ちは皆、シンガポールへ行くのに」と捨てるように言った。あほか、この人らはと、改めて思った。とにかく、厄介者は早くインドネシアからいなくなって欲しい、それだけだ。葬式でも出すことになったら一大事、自分たちでは何も手段はないし、独自に情報を集める事ができない、能力が無いので、その気持ちだけ。

見舞いどころか、裏付けもなく、ただただ、早く、インドネシアから消えろと、いいに来たのです。私は、孤軍奮闘、何とか、帰国できるような状態したいと、あちこちの医者に相談しているのに、その手伝いをしようという考えも、毛頭ない。出来ないので仕方が無いが、せめて、私の邪魔だけはしないように願いたいだけなのですが。

ここから、今日の話。50日ぶりに、マリアさんが来て、安心が増えた。部屋から鼠の糞が消えて清潔になった。妊娠したのだろうか、そのことについては話題にしない。

日系の中小企業で、日本人が一人しかいない会社が多くある。その中で、何社かは長期で勤務し、本社には交代要員がいそうもない会社である。そういう会社の中で、私が把握している数社は、その日本人が独裁者のように振る舞い、従業員いじめをしている。そういう会社から、今回、何人かをすく出すことができる機会を得たので、その動きを具体的にしている。高給で引き抜くのではなく、今より安い給料で来てもらえるのです。私が仲間意識で人を使うことは、今の従業員から、保証されるからです。仕事は楽しく、リラックスしながら出来るのが何よりです。怒鳴られながら、では、インドネシア人だって手伝う気になれない。
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軟質ポリエチレンですが、こんなに非の打ちどころが無いチューブ・パイプを提供できるのはPT.NANBUだけです。
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どうしようもない

2010-02-09 17:36:05 | 人間
 Mariaさんが突然、戻ってきた。迎えに行って、戻ったのが24;00近かった。
ずっとさかのぼって、このパニック障害発病の一年半前ころ、それ以前は、うどウとO社長だったので歯止めが利いていたが、下手ノが社長になり、かなり程度が低いお二人さん、下手ノとうどウがそろった状態で会社を任されることになった。鈍の二人だがプッツンだけは早い。プッツンされて、説明しても、「何のことを言っているのかわからん」とまた。プッツンされる。駄々っ子のようなもの、そのうち、プッツンされても、そのまま、相手にしないようにしたので、なお、程度の低い同志が、意気投合して、勝ち誇る。おまけにインドネシア語を覚えようとしないで、作り話のゴシップを情報として伝える通訳を重用した。言っていることは全て誤りの言いがかりだけ、自分で確認できないのです。多数決の世界なので、こちらはどうしようもない。
彼らが私に文句を言ってくることは、自分が直接何をされたということではない。私は、彼らから頼まれれば何でも、直接手伝っていた。彼らに被害を与えたことは一度もない。私はアドバイスもした。そのようにやれば、なにもかも、うまくいくし、本社からも、従業員からも好かれるはずである。しかし、気の毒なくらい、全く、出来ないことだった。
彼らの怒りは、私が、他の誰かの手助けをした、そそのかしたという情報を通訳から聞いたという話だけである。私にしてみれば、心当たりのないことばかりだった。
他の人が、何故、私を悪く言うのか、攻撃するのかと聞いても、答えないという。A社のナガサワは、自分が追い出されるかも知れなかった、と、言っていたそうです。
これから書くことは、この事を踏まえての話になる。
 
今度は、三年半ぐらい、さかのぼって、帰国する前、とどめの、程度の低さを食らった話。

2006年6月26日 月曜日の朝、8時過ぎ、ここから、私の試練が始まった。ほとんど、突然、目眩がして、立っていられなくなり、今までに無かったことでしたので、自分自身びっくりで、病院へ直行、リッポチカランのシロアムという、総合病院です。クリスチャン系でインドネシアでは指折りの有名病院です。
しかし、病気はなんだったんでしょうか、結局、医者の見立てでは、血圧も血液検査の結果も、良好すぎるくらいだという。そのほか、心電図も正常。反射神経機能も全く問題なし。歳と疲れからだという。本当かな?と思いますが、そのまま、泊まっていても、進展は無いと判断し、目まい止めの薬というものをもらって、早々、翌日12時に出てきてしまった。何度も気絶しそうになるので、退院したその足で、家の近くのアニッサ病院へ行った。貧血と診断され、増血剤を処方され家に戻った。
その後も、どうしようもないので、アニッサ、ジャカルタのSOS,竹の子診療所、メディカロカ、プルタミナ、国立心臓センター(ハラパンキタ)、竹の子診療所、アニッサ、メディカロカ、国立心臓センターの順に二週間、渡り歩いた。
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下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
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この表紙の女性はMaria(Blitar)Iyoh(Pangandaran),Udah(Karawang pusat)の三人です。全員結婚しています。
押出成形工場の準備状況。新工場の裏側、元PT.KITAGAWAと右にPT.MANDAMが見える、その前のローカル所有の土地がある。MANDAMは以前から購入交渉をしているが、なかなか、売らないそうです。
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パニック障害

2010-02-08 17:37:04 | 試練
翌日09:30 最後の砦である、勧められた総合診療科で受診した。袴田医師である。とにかく、「あらゆる、検査結果が正常。これだけ正常な人は珍しいくらいだ、90-100まで生きますよ」。と言われながら、出された、症状チェック表、
1 息苦しい2 目眩がする 3 頭痛がする 4 頭が重い  5 動悸が気になる 6 胸が痛む 7 目の乾き 8 唾液が減少(口の渇き) 9 寒気 
10 手足がしびれる 11体のあちこちでちくちく感じる 12気絶はしないがしそうになる 13死の恐怖を感じる 14 他人と話しをしている時は症状が現れにくい 
15 一人でいるのが怖い16  それらがおさまっても、それらに対する恐怖心。
17 音に敏感になる。18 脈が飛ぶ。
続いて、見せられたのが、生活状況、1 普段疲れを余り感じない。2 頭脳を常に使っている。3 スポーツは盛んにやる。 4 職場でストレスを感じるが逃げない。
全てが、私に該当した。典型的な、不安症候群(パニック障害)と断定された。「ぴったりの薬があります。主な症状は二週間程度でなおります。」しかし、薬は三種類あり、どれも90%の人に効くということで、まず、其の一種類目から試し始めました。
コンスタンという薬が劇的に効いた。気絶しそうになる事は全くなくなった。それだけでも、不安の90%は解消した。
現在は、パニックはなくなっています。でも、まだ、以前の恐怖が忘れられず、また何か気絶しそうになるのではないか何処にいても、なにをしていても不安です。
 ほとんど発病前にもどっています。
  症状がほとんど消えた一ヵ月後、完全帰国の為の手続きと、身の周りの整理の為にインドネシアへ戻った。一週間ほどの間、親しい方たちに挨拶を済ませ、2006年8月25日PT.KIIと完全に切れた。三人の代表者の元で9年間非常に充実していたが、四人目の代表者のヘラノが着任してからは最悪でした。
 仕事を獲得できないし、獲得したわずかな仕事も、間違えて、大損の見積もりを出し、やればやるほど損を大きくしていたのに、本人たちは、大儲けをしていると思い込んでいた。早く、私に入場されると、そういうことが、全て、引き継ぎで明らかになってしまうので、わざと、無血開城を遅らせていると勘繰りたくなる。そういう会社が、解散する状態を書いてあります。今は解散したPT.KITAGAWAの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。目からうろこになるでしょう。
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この表紙の女性はMaria(Blitar) Iyoh(Pangandaran),Udah(Karawang pusat)の三人です。全員結婚しています。
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一人でなくて良かった

2010-02-07 18:13:27 | 思い出
 今から思い起こすと大変な試練の日々でした。人の手助けだけを考えて行動している私が、強烈なパワハラの対象とされた事実を一週間にわたって書きます。同じような被害の体験者も多いと思う。今は解散したPT.KITAGAWAの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。人生が開けます。
 現在 発病以来約三年半近くになります。すでに、ほとんど、普通に戻っています。原因がはっきりし、其れに合った薬を飲み続けているからです。病名はパニック障害(不安症候群)です。原因は過度の筋肉疲労と脳の使いすぎと神経の使いすぎだそうです。神経があちこちで誤動作をしてしまう立派な病気です。
インターネットで検索すれば詳しく知る事ができます。
こんなに分けが分からない大変な病気があったとは、全く知らなかった。あちこちで、いろいろな検査を繰り返しましたが、CTスキャン MRI+MRA 24時間レコーディングホルター、心電図、各種エコー、平衡機能検査、胸部、頚部X線、勿論血液、尿検査も全て異常なし。
インドネシアでは、国立心臓センター(Harapan Kita)、たけのこ、Medikaroka、Siloam、SOS,PERTAMINA ANISSA,それらも、二回三回のところもありました。いずれも、的確な病名を指摘してもらえなかった。すべての科から、数値的には正常として見離された。心臓などはこの位の不整脈は誰にでもあることで、いちいち、騒ぐのは臆病すぎるとまで、言われた。ただし、竹の子とアニッサは神経安定剤を処方してくれたので、若干の効果はあった。
 この間、ずっと私の手伝いをしてくれたのがお手伝いのマリアさんでした。彼女は運転免許を持っていたので、真夜中でもジャカルタの病院へ送ってくれたし、入院中は病院から学校に通ったりして、何時もそばにいてくれた。私の病気は別名、孤独恐怖症候群ともいいます。一人の時、色々な症状が出やすいのです。またそれが恐怖になると、なお、出やすくなる。マリアさんがいてくれてどれほど助かったか知れない。
日本では日本医科大成田空港クリニック、そして、静岡県立総合病院、耳鼻咽喉科、神経内科、循環器科、からは見離され、その代わり、神経安定剤のデパス錠0.5mgを処方してもらった、これがとんでもないことになった7月26日、就寝21:00前に飲んで寝た、27日朝 4:30目がさめた、その時から、ひどいことになった。薬が切れたリバウンドだった。息苦しい、両手足はしびれ、痙攣し、しばらく我慢しようかとも思ったが、ただごとではないと感じ、タクシーで県立病院の救急医療室に飛びこんでしまった。
これが、ラッキーだったというか。救急医療室に着いたとたん、ほとんど、意識がなくなってしまったが、医者の診断は過呼吸障害だという。血液中の酸素が多すぎ炭酸ガスが足りないという。呼吸をできるだけ止めるように言われた。紙袋を顔に被せられた。息苦しいのは酸素が多すぎるのに、一生懸命呼吸をしようとするから、なお、酸素が多くなってしまう。初めて知った。(インドネシアではこんな症状が何度もあって、其の都度、死の恐怖を感じた。)
間もなく、正常に戻った。血液検査、胸のX線写真も全く問題なし、その他もやはり、全部正常。明日の朝、総合診療科にかかるようにアドバイスされ、家に戻った。

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果物はCimpedakです。今が旬です。臭いはドリアン、姿はナンカ、味は独特の甘さです。
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目的の一部

2010-02-06 18:08:01 | 情報
 インドネシアの色々な技術を育てようと思って、押出成形技術と金型製作の指導をしてきたが、ここ、二年余りは、装置の製造、押出機、バキュームボックス付きの冷却水槽、引取機、ナイフカッター、丸のこカッター、リバース付き引っ張り力自動調整の巻取機のインドネシア国産化の指導をしてきた。まだ、100%満足に機械とは言えませんが、それらを買い上げ、次の改良機を注文しています。現在まだ、増設中ですから、どんどん注文して、其のたびに使い安くなっていくし、故障も少なくなっている。もう少し、改良が進んだら、インドネシア国産機として、売り出そうと思っている。
 そして、間もなく、原料製造(ペレット製造)に指導もスタートする。そのきっかけのために、既に、原料(コンパウンド)つくりをしている会社を訪問し、経営者の人柄をチェックしようと思う。今日も午前中に二社訪問した。
 分かりにくい場所で、はっきりいって、環境は汚い。しかし、それがインドネシアローカル企業のスタートです。そういうところが成長するように手伝いたいのです。
 まだ、明らかにできないが、私には、相当大量に原料を使う予定がある。そのためにも、育てることが、私が面倒をみる会社のインドネシア人に対しても利益になるのです。

 透明HIPSは非常に特殊で、以前、透明半硬質PVCを使っていた製品で、PVCが嫌われて、他の樹脂を探していた時期があって、客先からは、良い原料が無いかと良く聞かれていた。私は透明HIPSが、成形性がいいので、勧めて、製品を提供した。しかし、それらの製品は今A社でやってしまっている。私が、これらの製品を取り戻そうとすると、A社が、今の高価な原料を使っていては、赤字になるくらいの価格を客先に出さなければならない。彼らが知らない、知っても、成形が難しくて、出来ない、そしてより安い原料を使って、品質、物性とも、より優れた製品を提案することになる。こういう手段をとる客先は四社ある。

 もう一つ 重要なプロジェクトが動き出そうとしている。そのためにも必要なことである。
 今日の一番傑作な事故(不謹慎?)この事故によってMM2100は入る車ストップしてしまい、東西から来た車が本線を塞いでしまい、のぼりも下りも何十キロメートルに渡る大渋滞になり、東西100kmにある工場や会社に大きな影響を与えたし、多分、病院へ行けずに亡くなった人も多かったのではないかと想像する。
NTTと電話回線や光ケーブルについて押出エリアに関してお願いをした。

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いい加減にして

2010-02-05 18:49:18 | 仕事
鬼は外、福は内の豆まきの日でしたか。インドネシアの鬼はどこ?こういう習慣は無いようです。
こういうことになるのではないかと、あまり期待していなかったが、ジャックだかダックだかに、お願いしてみることになった、ワーキングワービザの申請と取得でしたが、やっぱり、時間が足りないと、断られてしまった。書類は返してくれないし、今の会社の延長についての申請についても一連の申請もやる気が無いらしい。
 そこで、今までも私的にお願いしていたローカルのエージェントに頼むことにした。最初から、そうしようと思っていたが、1200US$を払わなくて済むかもしれないと言われて、日系のエージャントに頼んだのでしたが、事務的に簡単に却下されてしまった。
ローカルエージェントに1200US$を払って、新しい会社のワークングVISAまで、一連の申請をすべやってもらうように頼んだ。これで、右往左往しないで、安心して、待っていればいいことになった。こんなことで、他人に振り回されたくないし、費用は自己負担なので、安くあげたいものです。

 まだバカな話が尾を引いているようです。或る会社が、日本から輸入している押出成形品の現地調達を目指して、成形をできる会社を探している。最初、私がいなくなった後のK社に見積もり依頼をし、安かったので、試作を頼み、製品が、できあがったが、K社は量産を引受けなかった。そうこうしているうちに、K社は解散してしまった。K社が二年ぐらい前に出した見積もりが、殆ど原料価格と同じだったのです。それに気がついた、日本人が、製品はOKになったが、その後、逃げまくったのでした。其の客先からの電話にも出ない、メールにも返事をしないで知らん顔を通した。
 客先はその事情を知らないので、その、とんでもない価格を指し根として、押出をできる会社を探している。そして、射出成型の会社に、どこかないかと、訪ねて、回っている。それらの、射出成型の会社の日本人が私に話を持ってくる。同じ話があちこちから来る。そして、そのバカバカしい、価格が示される。その都度、事情を説明しなければならない。成形は問題ないが、この価格については、お客さんもいつまでも引きずっていないで、自分で、適当な価格か、原料の価格そのままか、検討してもらいたいものです。新しい、会社になったら、私は直接、話に行くつもりでいます。いい加減にしてほしいと、全て、私に、話が、集合していますと。
 一か所から話が巻かれて、一か所に集まる。行く先が他にないのに、直接話をしに来ればいいのに。
 家の畑に妻が植えた菜の花と孫のアンジェリーナマユミ
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ノウハウ技術秘密

2010-02-04 18:48:13 | 仕事
 専門的すぎますが、ついでですから、知っているぞということを少しだけ書き加えておきます。エンプラには、ポリアミド(ナイロン)、ポリカーボネート、ポリオキシメチレン(ポリアセタール)、などなどがあり、押出成形(Extrusion Molding)は超特殊です。超と言えば、超エンプラ、というのもあります。エンプラより以上に高熱に耐えられたり、金属のように固く、叩けば、キンキン、カンカンと音がするものもあります。航空機やロケットなどにも使われます。これらはもっともっと、難しい。
 鍋の焦げ付き防止にコーティングしてある樹脂はテフロンと言います。フッ素樹脂です。何百℃にも耐えるし、滑りが非常に良い。原料は熔けにくいので普通は粉末の状態から熱を加えて高い圧力をかけて、プレス成型が基本です。超高密度ポリエチレン(ウルトラ、ハイ デンシティ ポリエチレン)(UHDPE)と言って、やはり、スクリューで押し出そうとしても、スクリューの谷間の形(スパイラルチューブの様な状態)で出てきてしまい、そのままでは押出成形はできません。アロイと言って何か他の樹脂を混ぜて、成形をしやすいように溶融特性を変えて成形します。勿論、単一の場合の物性とは変わりますが、それでも、使えるかどうかはテストしてみる必要があります。しかし、何も形ができないよりは良い。こういうことが、技術者のノウハウというものです。工夫しなければできない、その工夫をできない人には成形ができないし、工夫して作った人に、何かを混ぜるなどごまかしだとか、客先をだましているとか批判する人です。
 こういう、工夫から、新材料が生まれるのです。ABS(アクリル、ブタジエン、スチレン)などは良い例です。三つの樹脂を混ぜて、成形しやすく、それぞれの樹脂の良いところを強調し、悪い点を打ち消しているのです。最初はこの樹脂も邪道と言われたのです。化学的に結合させるものもあり、単位ただ混ぜるものもあります。
 若いころ、ナイロンとポリカーボを混ぜて、真珠の様な光沢のある樹脂ができた。ころころ丸くして、真珠玉のイミテーションを作って、多くに人にプレゼントした。二三年後にテイジンからメタマーブルという商品名で混ぜたその原料が売り出された。
 また、粘度が低くて、押出成形ができない、射出の原料に熱硬化性樹脂のエポキシを混ぜて、粘度を高めて押出ができるようにした。これは、数年後カネボーにヒントを与え、彼らは溶融粘度が格段に高い、押出用の原料を作った。私の会社もその原料を月10トン以上使って、スパイラルチューブを作って大儲けをした。このノウハウは今、三菱エンプタというエンプラ原料の最大手に引き継がれている。
 私の顔を見ただけでは単なる爺さんですが、ちょっと過去の栄光でした。しかし、これからも、次の会社で新製品に挑戦します。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
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生みの親

2010-02-03 19:42:41 | 思い出
 ENGNEEARING PLASTIC(エンプラ)を高機能樹脂と訳していますが、これに対し汎用樹脂というのがあります。PVC(塩化ビニール)、PE(ポリエチレン)PP(ポリプロピレン)などがそれです。エンプラより10年ほど前に使われだして、水用のパイプや台所用品などが一般の人たちに使われるようになりました。1950年ころにバケツや茶碗や洗濯たらいなどが登場し始めました。現在でもこれらの樹脂の使用量が圧倒的に多い。
 
 私が、40年以上泳いできた世界は、汎用樹脂では熱に耐えられないとか、摩耗してすぐ使えなくなってしまうとか、直射日光に長時間耐えられないとか、静電気が濃く安いので火花が出やすいとか、その他の理由でも、汎用樹脂は使えないというという場合に使える特殊な樹脂の成型をします。

 その中でも、射出成型で作る製品は多くの会社で成形機を買ってくればできますが、押出成形をできる会社は日本でも数社しかありません。そのうち、なんでも、断らないで作るという会社は私が作った太田化工しかありません。ですから、勿論、インドネシアに限らず、東南アジアで、何でも引き受けることができるという人は私しかいません。実際に、私に相談されて、品質的にも価格的にもできませんと断ったことは、25歳の結婚したころから、どこにいても、ありません。
 K工業のエンプラのナイロン6を原料とする、エッジング、グロメット
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
を26歳のときに私が日本ではじめて作りました。真似をする会社はありますが、未だに、私が作った方法以外で、品質を超えて作っている会社はありません。K工業の発展の基礎になった商品で、未だにコンスタントに売れている商品です。K工業の殆どの社員はそんなことは知りませんし、私のことも知りません。K工業のインドネシア工場ではパワハラにあって、すごすごと逃げ出したのです。
 でも、インドネシアで多くの方に期待されていることが分かります。技術を持っていて、人にやさしいということは、どこにいても、必要とされます。死ぬまで必要とされるでしょう。インドネシアでなくても、ベトナムでもインドでもバングラディッシュでも、多分その期似れば中近東でも、東欧、アフリカの国でもどこでも必要とされるでしょう。
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 写真は、其の売れない会社と、売れて間もなく看板を変える会社です。
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enplaind

2010-02-02 14:11:27 | 情報
 何か引っかかっている日だと思ったら、結婚記念日でした。1970年大阪万博の年でしたから、40年です。何婚というのでしょうか。始めから共稼ぎで、妻が退職した三年前まで、続いた。結婚四年後には自分の会社を立ち上げました。その後、3年間は、収入全部を会社の設備を増やすことに使ってしまったので、妻の収入だけで、紐のような生活をしていた。知っている人たちからは笑いながらそう言われていました。私も、そう思っていた。
最近、10年以上は家族離散の状態になっているが、それぞれ、忙しいので、一緒に住んでいない方がお互いに良いのかもしれない。年に一回以上は全員がどこかに集合することがなんとなく習慣になっていて、その日が、大変楽しみである。まだ、別れてから一か月も過ぎていないが、今度はドイツに6,7月辺りに集合しようかなと計画を練り始めている。

 私がBlogやWeb siteのPass wardやIDやURLの一部にenplaextindやenplaondoを良く使っています。意味が分かる人はほとんどいないと思います。狭い範囲の専門的用語です。この道に携わっている人はわずかですが、その人たちでも、詳しく説明できる人はもっとわずかです。
 ENGNEEARING PLASTIC EXTRUSION MOLDING INDONESIAが元です。その一部を抜き取って省略して使っています。日本語に無理やり訳すと、“インドネシアの高機能プラスチックの押出成形”になります。この仕事で、客先に技術的説明ができて、日本から輸入している押出製品ならなんでもできてしまう、引き受けることができる日本人、インドネシア人、他の外国人を入れても、インドネシアでは私一人です。一社、私が作った装置と私が引き受けた客先の、私が立ち上げた金型で成形をしている会社がありますが、私が与えたものを使って、製品を作っているだけですから、新しい仕事は取れないし、技術的説明や樹脂の選定などは全くできません。その上、品質管理の壺を知りませんから、不良品ができてしまった時の対策を迅速に取ることはできません。
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 暗雲立ち込める前方、こういう風景がここかしこにある。
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オタッ

2010-02-01 18:33:34 | グルメ
ジャワ島の各地で川の氾濫による洪水が起きている。現在はバンドゥンがひどいようだが、中部ジャワの大河ブンガワンソロBungawan Solo流域各地で大洪水が起きている。伝説を歌う歌詞のようにDi musim hujan meluap sampai jauh“雨季には遠くまで氾濫して最後には海に至る。”akhirnya ke laut水は茶色く濁っているし、乾季には干ばつになり、全然、ロマンにックな流域の風景ではない。

私はOTAです。パスポートもそうです。OOTAやOHTAではありません。私のメールアドレスはいくつかありますが、普段、インドネシアでは、otak-otak@makuta.co.idを使っています。cbnというインドネシアでは初期からある有名なプロバイダーです。一般的には自分の苗字か名前かその組み合わせを@の前に入れます。その次が会社名、そのあとは三四種類から選び、最期がidになります。名前@会社名.net,idを使っている人が一番多い。
 しかし、私のように最後に.co.idを使っている人も多い。また、私は会社の名前は入れてありますが、名前は使っていません。なぜかというと、otak(オタッ)の意味が“頭脳、脳みそ”です。私の苗字と名前の頭文字をつなげば同じです。そこで、otakを使えばインドネシア人に親しんでもらい、直ぐ覚えてもらえます。そして、話の種になります。
otak-otakにした方がもっと印象的ですし、インドネシア語もインドネシアのこともよく知っていると思ってくれます。ですから、日本人で、なぜか、を、分かる人はインドネシア通です。
otakを二つ繋げると有名な庶民の食べ物の名前になります。蒲鉾の細長いものをバナナの葉っぱで包んで蒸したり焼いたりしたものです。味は正に柔らかい蒲鉾です。小さいので二口で一本食べてしまいます。おやつ代わりにもおかずにもなります。
私の名前とメールアドレスを見て、インドネシア人はニコッと笑ってくれます。自分の名前をいうときにオタと言わないで、オタッと言うと、相手は怪訝な顔をします。

PT.K社、間もなく、いても意味が無い代表者と言われている人が帰国するようですが、一度、インドネシアにいる間に、会って、私をパワハラした理由を聞かせていただきたいと思います。他の人が聞いても話をしていただけなかったとか。私が間違えていたと納得させてください。そうすれば、私もあなたに謝ります。ぜひ、メールでもいいですから呼び出していただければいつでも訪問させていただきます。
もう一社の社長さんも、そうです。私が使用人でなく、対等な立場で、私が何でも言える立場で、私が漏らしたという、会社の秘密について、お話し、納得させてください。2人まとめて一緒にでもいいですから、二人で、同程度の人同士、私を批判していても仕方が無いでしょう。これだけ、お願いしても、シカトされるなら、この紙上で、知りえる事実をどんどん書きますから、それに対して、何らかの反応をおねがいします。何を訴えるのか知りませんが、訴えるぞと、脅かされたこともありますが、私の方から公に出してゆきます。

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