エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

おみなえし

2017年09月16日 | ポエム
今日は、台風を待つ一日となる。
風対策などは既に終った。
心静かに、襲来を迎え撃つつもりである。

さて・・・。
女郎花、おみなへし、とそれぞれ表記する。
漢字表記、旧仮名表記である。
また「おみなめし」「粟花」「血目草」と表現しても季語である。

秋の風情に、ぴったり合致する野草である。
秋の七草の一つで、ぼくの大好きな野草でもある。



真万葉集に・・・。
「手に取れば袖さへ匂ふ女人部師(おみなへし)この白露に散らまく惜しい
も」
古今集には、こう歌われている。
「名にめでて折れるばかりぞ女郎花われ落ちにきと人に語るな」

「女郎花はいかなる歌にも女にして詠みはべるなり。発句にもその心あるべし」
と「梅薫抄」にある。

風に嫋やかに揺るる風情が、そう云わしめているのだと思惟するのである。







「女郎花ゆっくり歩く杣の道」







ススキに合う野草は、女郎花をおいて他に無い。
ススキと云えば、飯田蛇笏の句である。
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」とある。

蛇笏翁は、このかな表記の句に至るまでかなりの推敲を重ねておられる。
推敲の都度発表されているけれど、この句が嚆矢であろう。

かくありたい・・・そう思う今日この頃である。
自分の句を愛し大切にする、そうした姿勢である。
句は一人歩きするけれど、成長に合わせて推敲を重ねる句との対峙である。

蛇足だけれど、男郎花は白い花である。
白いのだから、かなり見栄えが良いかと思うのだけれど・・・そうでもない。



おのことしては、かなり寂しい。


        荒 野人

曼珠沙華

2017年09月16日 | ポエム
曼珠沙華が、そここで咲き誇っている。
けれど、注意したいのは咲くと同時に老いてゆくのである。
すぐに、枯れ細い一本の蘂になってしまう。

我が家の近くの曼珠沙華は、赤白黄と三食揃い踏みである。
それぞれに風情があって、目を楽しませてくれる。



この花の根に毒があるとも思えず、徒にその姿に魅入ってしまう。
美しいものには、毒があると云うのは本当だ。
この花を俳句に詠うのは、優しそうでいてなかなかに困難だ。



今年の繪硝子の俳句コンクールに一句だけ、そっと潜ませた。
あの、ピンと張り切った花に神の怒りの形を見たと詠んだ。
美しいだけでは、面白くないからである。



毒がある花だと云った。
畦道に咲いているのは、稲田をモグラなどの野生から守る為である。

神田の畦に奇麗に咲いていた。







「畦に沿ひ神田護る曼珠沙華」







この風情に秋の深まりを見るのは、ぼくだけであろうか?
時空を超える美しさこそが、曼珠沙華である。


          荒 野人