ほぼほぼオンリーワンの酒造りで他と一線を画す木戸泉酒造を訪ねました。
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今期でその高温糖化乳酸菌添加もとを始めて60年の節目を迎えています。
前回造りの時期におじゃましたのは9年前の2008年、まだ秋場前杜氏の時でした。
その時に次世代の杜氏として秋場杜氏の下で蔵人だった現蔵元杜氏の荘司勇人さんとお昼のまかないをごちそうになりながら話したことを今でもはっきりと覚えています。
「僕が継いでもこの独特の醸造法、そして吟醸酒は造らないという伝統は変えるつもりがありません」
勇人さんはそう言い切りました。
実はその時が木戸泉酒造の底で、生産量が400石を切るくらいまで落ち込んでいました。
そんな苦境にあってもまったくブレていなかった勇人さんでした。
そして今回もゆっくり話をすることができました。
生産量は550石まで回復しました。漫画でも取り上げられたAFS(アフス)は今期なんと25本も仕込んだそうです。
そのAFSは1980~1990年代の約20年間製造していなかったのです。
実はAFSは木戸泉にとっては特別な仕込みではなく、酒母そのもの、つまり酒母をビン詰めしたものがAFSです。
したがって、正確にいうとAFSを造っていなかったのではなく、AFSとして販売も取り置きもしていなかったということです。
なぜ?という僕の質問に対して、勇人さんは「簡単な話です。売れなかったからです」と答えてくれました。
そのAFSを復活させたのは勇人さんです。先々代つまり勇人さんの祖父勇さんの伝統を復活させたかったからです。
元々AFSは長期熟成酒でした。現在のように生や新酒で販売するようになったのは、復活させた後の話です。
節目を迎えた木戸泉酒造の掲げるテーマは「変わらない価値、変わっていく価値」だそうです。
今回AFSの造りを再確認してきましたので、ご紹介いたします。
朝8時、麹、蒸米を入れた酒母タンクにお湯をはります。仕込み温度は55℃くらいからスタートです。一仕込みに300㎏の米を使用。
昼過ぎに酒母の表面に冷水を打ちます。これはその後に添加する酵母菌と乳酸菌に最適な温度にするためです。
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左から7号酵母、球菌(乳酸菌)、桿菌(乳酸菌)です。
それぞれ順番に添加します。先代の父荘司文雄さんが静かに見守っています。
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翌朝、手入れという仕事をします。前日に表面に添加した乳酸菌と酵母菌を温度が下がったところまで広げる仕事です。乳酸菌や酵母菌が生きられる温度を素手で確かめながらかき混ぜていきます。
全体がまんべんなく同じ深さまでではありません。当然タンクの側面に近づくほど冷めるのが早くなりますので、中心から側面に近づくにしたがって深くなります。つまりドーム型のイメージです。
繊細な感覚と経験が必要な、杜氏の大切な仕事のひとつです。
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この後も温度が下がっていくにつれて深くまで数回手入れをします。
そして3週間ほどで酒母(AFS)が出来上がります。
最後に木戸泉酒造の蔵人をご紹介します。
アメリカ人、雅楽の演奏者、植木職人、阪大卒の若者と蔵人も木戸泉らしく異色の人々でした。
ちなみに阪大と木戸泉は切っても切れない縁があります。AFSのネーミングとなったAの安達源右工門さん、Fの古川薫さんは共に阪大出身です。
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設備や造りや賄いまで9年前とほとんど変わりがない木戸泉でした。
変わらない木戸泉がこれから行う「変わっていく価値」に興味津々です。
(O.K)