フルート吹きのほっと一息

フルートのこと、音楽のこと、作曲家のこと。そして愛犬トム君との日々。
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古典派とロマン派の同時代性

2013年04月26日 | 作品あれこれ

クラシックの音楽は バロック → 古典派 → ロマン派 → 近現代 とおおまかに時代を分けるのですが,この「古典派(クラシック)」という名前はモーツァルトの時代に自分達がベーシックであると主張し最初に使われたそうです。バロック音楽という言葉も古典派の時代に生まれました。「いびつな音楽」という意味があり,古典派の人達が古い音楽にケチをつけたわけです。同様にロマン派という言葉も古典派の時代につけられた悪口?です。2013年を迎えた現在はどの時代の音楽も気分よく聞き流せるくらいごく自然に受け入れられていますが、私達が実際に演奏する時はこの時代様式を非常に意識します。

学生の時、恩師増永弘昭先生は4回のフルートの実技試験の曲を入学直後に決めさせていました。選択はまさに、4つの時代のモノを1曲ずつ。そしてレッスンでは作品の時代の様式を学ばせていました。これが現在に至って非常に役に立っています。当時は「教わった通りに再現するしかなかった」感覚も長い長い年月をかけて「明らかな様式の違い」として読み取ることができるようになり音楽の取り組みがいっそう楽しいものとなっています。

さて、昨年の秋にモーツァルトのフルートハープの協奏曲の第一楽章を演奏してみたのですが、協奏曲なので、当然カデンツァがあるわけです。フルートとハープの両方の絡むカデンツァなので自分で作るには難しく、出版されているカデンツァを利用しました。それがカール・ライネッケのカデンツァ。ソナタ『水の精』のライネッケはフルート吹きになら非常に有名なロマン派の作曲家です。

ロマン派の時代のメンデルスゾーンが当時ポピュラーに演奏されていなかったバロック時代のバッハの作品を世に送り出したのとはちがい、ロマン派の時代に古典派のモーツァルトの作品が演奏されていたことをライネッケのカデンツァに出会うことによってはっきりと同時代性を認識し興味深い思いをしました。

古典派の作品にロマン派のカデンツァをつけるのは違和感があるという演奏者もいます。私も実際のコンサートの演奏中にこのライネッケのカデンツァをどう持って行こうかなと最後まで考えつつ演奏していました。つまり古典派らしく緻密な端正さを求めるのか,ロマン派らしくドラマティックな展開を表現するのか。結論としてはその時その一瞬でドラマティックな表現を選びました。

モーツァルト自身の音楽の展開も充分にドラマティックだったのです。ライネッケのカデンツァは華を添え天上の音楽へと更に導いているように聴こえました。25年も前にシュミッツ先生が公開講座で「モーツァルトは短い生涯の中で古典派とロマン派の両方の扉を開いています」という様なことを仰っていましたが,なるほど確かにと納得が行き大変に面白い感覚でした。

5/19のコンサートではこの協奏曲の第二楽章を演奏します。さて、どう作るかなと楽しみデス。

 

写真は19年前のウィーンかな。

 

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