日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

階段を降りる(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 72)

2018年08月21日 | 日記
先日名古屋で稽古をつけてもらったとき、師匠から鋭い指摘を受けました。まあいつも指摘ばかり受けてる私ですから、珍しくもないのですが。
それは白瀬走川節(シラシハイカーブシ)を歌ったときのことです。確か「階段降り」と言われたと思います。要するに階段を降りるように節がドスンドスンと降りてくるようだということです。琉球古典音楽では「次第下げ」(シデーサギ)(次第上げもあります)と言って、滑らかに歌うのがその特徴です。もちろんそうでない部分ではメリハリが必要ですが、「次第下げ」は重要です。
師匠は、その「次第下げ」のお手本を実演して見せてくださいました。そのメロディーは非常に滑らかに下がってきて、とても沖縄らしい感じがしました。
うーむ、私はいつになったら、あのレベルまで到達できるだろうか?

正座

2018年08月20日 | 日記
琉球古典音楽では、「正座」が必須です。でも最近正座をする場面が極端に減ってます。お坊さんがお経をあげるときぐらいでしょう。でもその場面でも、正座は減っています。先日父の一周忌がありましたが、自宅の畳の部屋でお坊さんがお経をあげるとき、膝を痛めているということで、お坊さんも「座椅子」持参でした。結局その場の参加者のほとんどが正座を途中で断念し、最後まで正座していたのは私だけでした。
琉球古典音楽で鍛えた「正座」が、効果をあらわしました。
えっ?肝心の古典の曲はどうなのか?そっちのほうはさっぱり?

曲が入らない(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 71)

2018年08月16日 | 日記
さて、次の課題曲である「作田節」ですが、何度聞いてもなかなか頭に入りません。メロディーが単調で眠くなり、気が付いた時には曲が終わってます。これが古典らしさ(個人的古典らしさ度数100!)と言われればそうなのですが、これではいつまでたっても覚えられません。道のりは遠いです。

稲穂も揺れる8月15日(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 70)

2018年08月15日 | 日記

本日は8月15日ではありますが、近所の田んぼでは、もうすっかり稲穂も膨らみ、垂れ下がり始めています。あと何日か経てば「作田節」や更には「稲まづん節」の世界になります。

「作田節」(ちくてんぶし)
(琉歌の記載)穂花咲き出れば 塵泥もつかぬ 白種やなびき 畔枕
(歌う時の発音)(ふばなさちじりば ちりひじんちかん しらちゃにやなびき あぶしまくら)
(意味)稲の穂花が咲き出ると 塵や泥もつかないで 白い種を包んでいる穂は重さになびいて あぜを枕(にするほど垂れ下がる)

「稲まづん節」(いにまじんぶし)
(琉歌の記載)ことし毛作や あんきよらさよかて 倉に積みあまち 真積しゃべら 
(歌う時の発音)(くとぅしむづくいや あんちゅらさゆかてぃ くらにちんあまち まぢんしゃびら)
(意味)今年の稲作は 本当に豊作で 倉に積み余すので (外の地面に)真積しましょう

琉歌(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 69)

2018年08月14日 | 日記
琉球古典音楽の歌詞は、七五調の「和歌」と違い「琉歌」という「八音・八音・八音・六音」の歌でありますが、その琉歌を大和言葉で作り、琉球風の発音で歌っているのですね。しかもその表記に歴史的仮名遣いが加わって、もう訳が分かりません。
そういえば小学生の時、例えば「ワタシワ」の「ワ」は「は」と書き、「オキナワエイク」の「エ」は「へ」と書くのだと、先生から教わったときと似たような気分です。変則ルールは嫌いで、あの時から勉強が嫌になりました。