日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

発音が難しい(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 68)

2018年08月13日 | 日記
古典の曲を覚えるためCDを聞くのですが、同じ古典の曲なのにCDによって歌の発音が微妙に違うことがあります。誰のCDが正しいのか、工工四ともまた違うわけで。これが私を悩ませる原因なのですが、やはり「工工四」の表記が、実際の発音どおりでないことがその原因ではないでしょうか。
それにしても、歴史的仮名遣いというのは書いてあるとおりに読むわけでないので、実に器用な芸当をこなしていると思います。こんな表記方法は、おそらく日本語以外に他の国には無いと思います。

現代工工四(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 67)

2018年08月12日 | 日記
「66号」で「かじゃでぃ風節」の表記について書きましたが、歴史的仮名遣いで混乱を招くのならば、(いくら古典であっても、)いっそのこと現代仮名遣いによる「題名」及び「声楽譜」を記した工工四があっても良いのではないでしょうか。題名も歌詞も耳で聞いたとおりに書いてある「現代工工四」なるものが出てきたら、演奏する人(またはCD)によって発音が違ったりしなくて良いのになあ。

かぎやで風節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 66)

2018年08月11日 | 日記
「かぎやで風節」と書いて、「カジャディフウブシ」と読みます。
そもそも「かぎやで風節」という表記は、歴史的仮名遣いであって、「ちょうちょう」を「てふてふ」と書くのと同じ。その証拠に「かぎやで風節」の工工四では歌詞も「けふの(今日の)・・・」と記載されています。
もし仮に「かぎやで」という言葉が存在するとしたら、何という意味でしょうか?
そういう言葉はありません。やはり「てふてふ」と同じことなのです。
この歴史的仮名遣いの表記方法は、伝統的な「工工四」にのみ許されるものでしょう。ところが一般的には「かぎやで風節」と書いて「かじゃでぃふうぶし」と読むのは沖縄方言の「なまり」と勘違いしているフシがある。そうではありません。
先に「かじゃでぃふう」という言葉ありきです。
今に受け継がれる「工工四」は、現代で言う「歴史的仮名遣い」による記載方法しかなかった時代に作られたものであり、それがそのまま現代に受け継がれているだけなのです。
あえて現代仮名遣いに直さないのは、そのほうがいかにも古典らしい感じがするからでしょう。
また、変更するには相当勇気が要り、ヘタに手を出せないのかもしれません。
とにかく、現代において一般的に表記するには、発音どおりに「かじゃでぃ風節」と書くべきです。
(過去に似たような内容で「琉球新報」でも取り上げられています)

何年経過?(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 65)

2018年08月10日 | 日記
古典を習い始めてから何年たったのか、確認してみました。ガラケーのカレンダーをずっとさかのぼってみます。すると第1回が2011年12月17日(土)となっています。今は2018年8月なので何と6年と8か月も経っているではありませんか。途中には父親の認知症の対応のため名古屋まで習いに行くことが出来なかったりして、2回ほど中断しているのですが、あっという間に月日は流れています。さて、あと何年続けられるでしょうか?

紋付き袴姿で歩こう

2018年08月09日 | 日記
先日、コンクールは紋付き袴スタイルで受験しました。受験が終わって琉球新報社ビルから宿泊しているホテルまで、着替えのため歩いて向かいましたが、紋付き袴姿でいると、皆さん避けて通りますね。真夏の沖縄で紋付き袴姿はかなり目立ちます。