時間の関係で、いろいろな本を並行して読んでいるのだが、最近読みすすめている書籍に
野村総研 チーフエコノミスト 主任研究員の肩書きを持つリチャード・クー氏の”追われる国の経済学”という書籍がある
この書籍を読みすすめた感想は、とにかく、中央銀行の金融政策にほぼ特化した、金融政策による経済運営学とも言うべきもので
あまり一般の人の実学には向かないものなのかもしれない。しかし、クー氏が、これまで主流派経済学者が犯した数々の見落としを指摘している点
確かに、素直に評価できる部分はあると思う
ただ、読みすすめていると、クー氏も主流派経済学者の犯した論理的間違いをそのまま踏襲している面があるのは残念だ
一番の勘違いはクラウディングアウトを本気で信じていることである。
クラウディングアウトとは、経済用語で、国の国債発行が多額になると、市中のお金が国債で吸い上げられ、民間がお金を借りにくくなること
資金不足により貸出金利の高騰を招いて経済に悪影響を及ぼす、という現象をさすのだが
基本的にこのクラウディングアウト現象を信じる人は、銀行の信用創造のシステムに対する理解に、本質的な誤解がある。
政府が国債を発行しても、それによって民間の資金が枯渇するということは、基本ありえない
銀行は民間の預金を貸し出しているわけではないからだ。
クー氏は、まあ、こうした本質的な誤解をしているように見える
今の日本の問題は、バランスシート不況という言葉があるとおり、政府のバランスシートの健全さに重点が置かれた政策決定がなされていることであり
国民の税負担の増加と政府支出の削減によって、経済がデフレから全く脱却できない、ということにあるのだが
本書で語られているのはもっぱら、バブル崩壊のショックをやわらげる方法であるとか、インフレを抑制する方法であるとか
どこか的が外れているような気もしてならない。見方を変えれば、アメリカのFRBのような中央銀行関係者のうけを狙った書籍のようにも読める
もし、クー氏が日本経済のことを念頭に置いて書いているならば、”
クー氏の指摘するとおり、”魅力的な投資が見当たらない状態”にあるこの日本において、どうすれば魅力ある投資を作り出すことができるか?”
について論ずるべきだろう。
クー氏は銀行の役割について、モラルなどなく、ただ信用ある借り手に貸し出しするだけの”儲け第一主義の単なる金貸し”と見ているところがある
しかし、銀行とは本来”信用創造”、つまり、お金を創造する権限を与えられている特別な存在である。
公的機関でもあるのだ。少なくとも日本ではそうであるべきであるというのが私の考えだ。
お金を発行する発行主体である以上、発行に義務と責任が伴うのは当然である
銀行は経済の健全な発展に対し、責任ある立場であるべきである
ならば、銀行は単なるバブル的投機案件に資金提供して、バブル経済を作り出すことが使命ではあるまい
銀行が今考えなければならないのは、将来的にこの日本が高度な経済成長を遂げるために必要な分野に資金提供することである。
日銀はまだ起こりもしないハイパーインフレや経済恐慌を恐れてデフレ脱却をできないようではダメである
だが、それでも日銀のマイナス金利政策の継続はやりすぎである。
今の日銀は、異次元緩和と言われる金融緩和策をずっと続けているが、効果は限定的にとどまっている
にも関わらず、日銀当座預金の余剰金にはマイナス金利がかけられ、銀行の継続的な負担になっている。
このままでは民間銀行の体力にも陰りが見えてくるだろう。いや、現に日本の金融機関は弱っている
もっとなすべきことの本質を掴まないといけないんじゃないか?
読んでいて、そんなことを感じさせる一冊である。