絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

冷静に話しても

2007年03月18日 14時14分58秒 | Weblog
金曜日の1時間に渡る話は、結局先生も次から注意すると
いう事になったけど、その、注意するという舌のねも
乾かないうちに、今度はうちのを見ていると
将来が危ぶまれる、とか、他の子に優しい言葉がないとか
(つまり女の子との口喧嘩の場面ばかりみているので)
このままではいかん、とかいろいろと
まるでわかったようなことを言い出してきた。

なんなのだろう?気が済まなかったのか?
いまはそのことでなく、ドリル事件のことや先生の指導に
付いて話しているのに、なにか反論したかったのか
「あの子は家の人が知らないこんな悪い面がある」と
言いたかったのか、よくわからないけど。。。

うちのが友だちがいやな思いをしないように気配りしたり
いろいろ相手のためにしていることなどは
先生には決して見えない部分なのか?
「先生は神さまじゃないですから、先生の見たある一場面が
その子のすべてではないでしょ?親にも同じことが
言えますが、悪いところを矯正してやろうとするような
目線で教育の対象を見るべきではないと思いますよ。」
と言ってはみたものの、なんかひどく虚しい気分に襲われた。


今日もどうしてもその話になり
こんな場面ではどうだったのか、こういうときには先生は
どうしたのか?とかいろいろ子どもと話した。

子どもがいうには、男対女になっているのは
先生が女の子が悪い場面でもいつも男の子を叱り、
どんなに説明しようとしても男子の話は聞かず
結局女子の作り話を事実として男子が悪かったという
ことにするからだ、とのこと。

年度初めの家庭訪問で先生が言ったことで
ものすごく気になったことがあったが、それは
「高学年の女子の扱いには気をつけるように
年配の先生からは言われている」とか
「全うなことを言っても、保護者が聞き入れない
時代なので、どんな人ともぶつからずにうまく
やっていくのが今の時代の教師像ではないかと思う」
という二つの点だった。
それをこの人は忠実に実行しているんだなと
感じた。つまり、ややこしい女子を怒ったりしない。
(悪くても)
うるさい親の子どもにはきついことを言わないようにする。
同業者である教員の子どもにはきつくあたらない。
などなど…

こんなの書いていても全くまったく虚しいことだ。
この先生の親も教員だそうだ。
たぶん現職だろう、だからそんな姑息なやり方になるのだ。
つまりベテランのずるさそのものだ。
先生は若いんだから、ベテランの真似でなく
まっすぐ子どもとぶつかっていったらどうですか?
真摯な気持ちでやって下さいよ。
と、いってみたけど、そんなことに思い及ぶひとならば
はなからこんなことにはならないはずなのだ。

いつもいつもことあるごとに「勝手だね!」と
教師とクラスメートに言われ続けてきた子達は
どんなにいやだろう。。。
どんなに卑屈な気持ちになるだろう。。。
いつもいつも先生からしかられるたびに
「ねえ、ねえ、みんなみてみてあの態度,どう思う?」
といわれて、他の子からダメだしされ続けた子どもたちは
どんなにどんなにくやしいだろう。。。

ほんとに「ふざけるな!!!」と
その子ども達を代弁して言っておこう。。。

うちの子どもいわく、もしこのクラスに
先生の不公平や理不尽に抗議する何人かの男の子達が
いなくて、みんなが黙って先生に従う子どもばかり
だったら、いまごろ学校に来れなくなる子どもが
いたと思う、と。
なるほど、ほんとにそうだ。
よく「こころの病にならなかったことだ」



小学校で

2007年03月18日 02時04分08秒 | Weblog
ここ何日か更新が滞ったのは、子どものことで
また『事件』?が起きてそのことで毎日家族で
話し合ったりしていたからなのです。

六年生を送る会が火曜日にありまして
その次の日、水曜日のことでした。
子どもが学校から帰ってきて、ランドセルを
あけるなり「あれ?なんで、○○のドリルが入ってるの?」
といっているので「隣なの?」と聞くと
「すぐ隣じゃないけど、横の班」と言います。
「間違って入ったのかな?」
「机が離れてるから入るはずないのに。」
「電話してあげたら?探してるよ。」
「うん、・・・明日でいいや」
「ふーん」

で、そのあとは、夕飯やらでばたばたと忙しく
していてこのことをふたりともすっかり忘れてしまい
結局次の日の朝、これを返したのですが
それをみた先生が渡し方が気に入らん!と怒り出して
きて、この女の子に謝れ!という話になりました。

うちのにしたら、身に覚えのないことで
(つまり荷物が交じり合う可能性のない席だから)
ドリル配る人が間違えたんだか、女の子が落としたのを
拾ってくれた人が間違えてうちの机に置いたのか
なんにしろ、わるいことをしたわけでもないのに
「ごめんなさい」を結局言わされたのでした。

学校から帰るなり、今日こんなことがあった、
というので、どういうことなのかすぐ学校に電話しました。
すると、担任は平然と、渡し方が悪かった、ごめんねこれ
といって渡すべきだったという。
「へ?それってどういうことですか?」
というと、悪いとかそんなことではなく
「ごめんね」という言葉を添えて渡したほうが
これから長い人生生きていく上で人間関係が
スムーズに行くと思いますから!という。
(子どもには、「あんたがごめんねを言いさえすれば、
それで○○さんの気が晴れるんだから」と言ったそうです)

はあーーーーーー????なんじゃそれ!!!
「え?悪いことをしたわけでもないのに謝るんですか?
そんなのおかしいと思います」と言っても
なんかかんかどっかの指導マニュアルからとって
きたような言葉で反論してきました。

「そんな社交辞令のごめんねなんて、子どもに教える
ことじゃありませんよ」というと今度は
昨日のうちに連絡してあげなかったことをとりあげ
思いやりがないだの、人に優しくしないだのと
糾弾してきました。
こちらもバタバタしていて忘れていたことが
そんなに責められることなのでしょうか?
これがもし誰かが故意にドリルをうちの子の荷物に
入れたのだとしたら?身に覚えのないことでも
入っていたらそれは自分の罪なのか?

この先生のやったことは結局屁理屈をつけて
子どもを怒りたかっただけなのです。
ドリルがなくてコピーをとってあげた、
そういう自分の用事が増えたことも、
うちの子が昨晩のうちに知らせていたら、なかったとか
ドリルを誰かが隠したんじゃないかと先生自身が
気をもんだとか、つまり私的感情で「自分に対して」
謝らせたかっただけなんじゃないかと正直思います。

あと、4日でこの担任も終わりですが
何をどう考えても納得いかないので、金曜日の放課後
学校へ出むいて行きました。

そのときはまだ6限目が終了してなかったので
校長先生にも話そうかと思ったらもっとややこしい
保護者の面談中なので、仕方なく教頭先生に
おおまかなことをしゃべって時間をつぶしていました。
教頭先生いわく「僕だったら、謝らないね」
「指導の基準が根本的におかしいんですよ。
あれこれ問題が生じてきたときが学びのときなのに
まったくそういう前向きの指導がないんですよ。
世話かけないで!と子どもに愚痴っているんですよ」
「それはいかんね~(名古屋弁)」

そのあと、1時間くらい話しました。
私は正直言って、今回のこと以外のことも
子どもから教室の細かい様子を聞いて本当に本当に
心底ぞーーーーーーーーっとしました。
というのも、この先生、わざわざ自分が子どもたちを
注意するとき、自分の責任で叱らず
子どもらに「あれ、みてみて、どう思う?この態度」
といってその子どもの悪いところを皆にジャッジさせて
いたのです。
注意のたびに子どもら同士の糾弾が行われるので
毎日が子どもによる子どもの裁判、状態になっていて
こんなのでいいクラスになろうはずがないってなもんです。

ウーーーー、すごく長くなってしまった。。。。
続きはまた明日。






恒例「六年生を送る会」

2007年03月14日 09時12分52秒 | Weblog
昨日は小学校の「六年生を送る会」があり、朝から学校へ。
もちろん六年生の保護者が多いのだが、他の学年の保護者も
子どもたちの頑張って準備した出し物を観に来る。

これで通算5年間、毎年毎年みている。
今年度のはじめには、うちの学校どうなるのか!?というくらい
子どもたちはうるさかったが、昨日は随分と静かだった。
先生方のご指導のおかげか、それともやはり興味のあるものに
対しては静かにできるということなのか?

毎年思うことは、それぞれの学年に担任の先生たちの
カラーがでる、ということだ。
見ごたえのあるもの(歌でも劇でも)は、
ああ、やっぱりあの先生だもんね、という感想になる。
どれだけ影響力があるのか、どれだけ指導が入ったのか
そんなことを思う。

自分の子どもの学年についていえば、
指導はほとんどなく、自分たちのやり方のみで
劇をやった、という。さもありなん。。。
なにいってるんだか全くわからない寸劇の集合だった。
しかし、子どもたちはそれでもじぶんなりに
一生懸命考えて、自分たちの力でできる精一杯を
演じているのだった。
中身はどうあれ、基本的な「大きい声でゆっくりという」
とか、そういうことくらい指導があってもいいんじゃないかと
いつもながら『指導する側』の姿勢に
つい思いが及ぶ。

学校のこういう発表の場にいくと、いつも思う。
「ああ、この子たち、もっとできるのになぁ」とか
「充分にやる気はあるのに」とか。

子どもたちが持っている何かを充分に発揮できるように
教師は存在するのじゃないのか・・・
子どもの伸びていく姿を目の当たりにするからこそ
「教育」の喜びがあり、また醍醐味があるんじゃないのか?
学校はただの「お預かり」じゃないだろうに。。。
子どもの成長をやりがいと感じる「熱い」先生はどこにいる?

こんなこというと失礼だけど
使命感より権利行使の「普通」の人ばかりだなあ。。。

いよいよ近づく

2007年03月13日 19時58分03秒 | Weblog
朗読の日がいよいよ目前に迫ってきた!
うーーーーーー、ほんとにどんなふうに読めばいいのだ?
わ、か、ら、な、い、よーーーーーーー!!

先生が録音テープを添削してくださって、ご自分が読んだのも
テープに入れてくださったのだが、それを聞くと、
ますますどう読んでいいのかわからなくなる・・・

まあ、当日の出だしの声のトーンに任せる、ということに
しておこう。。。
(いいかげんじゃん

バスの中で

2007年03月12日 10時27分09秒 | Weblog
バスにもいろいろあるが、路線バスではなく高速バスというのがある。
高速道路を使うバスである。
ご存知のように、形態は全員着席の旅行型チャーターバスと同じ。

電車の中でお化粧する女性のことはもう言い尽くされたけど
昨日、この高速バスの中で、お化粧ではなく『マニキュア』を塗る人がいた
これは、正直言って閉じ込められた車内でシンナー系の臭いがたまらなくくさい


同じバスで、以前ものすごい香水の臭い(匂い、と書けないよー)の人もいたっけ。
そのときは、この人何日もお風呂はいってないのんか?とか思ったが。
そのにおいでバスに酔いそうになった。。。

もう、はっきり言って、香水はほのかに自分が気づく程度の量にしてほしい。
部屋にはいってきただけで、匂いでその人とわかるのは光源氏だけでよろしいわ。


ミッドランドスクエア

2007年03月11日 23時49分00秒 | Weblog
本日はとても慌しい一日だった。。。
あっちこっち三人で出かけて、そうだ、この地域でいま一番ホットな
『ミッドランドスクエア』にも入った(行ったとも買い物をしたとも言えない)。
結構な人出で、前に進むしかない、自分の行きたい方向にいけない、
あっというまに我知らず4階まで行かされていた・・・
うーーーーん、どれも自分には無縁のもの。
が、結構お店の中にも人はいっぱいいた。

ある靴のお店に、中年の身なりの良い?奥様二人がズカズカと入っていくのを見た。
うちの一人の人が、入るなり店員にウィンドーにある靴をとるよう言っている様だった。
その様子が通路を歩く私たちにはウィンドー越しに丸々見えていたのだ。

・・・そのとき!!私の後ろの男性が叫ぶ!!!
「ねえねえ!!いまの金持ちそうな服着たババア見た!?
 絶対、靴買ったよなー!!!」
う・・・あまりのリアリズムに笑うしかないわたし・・・

ミッドランドスクエア。。。いま一番注目されるこのビルのなかで
訪れた人はきっといろんなことを感じるだろう。。。



バージョンアップ

2007年03月10日 14時49分55秒 | Weblog
アニマル浜口の『笑いビクス』
ジャンケンをしながら笑う
「ワッハハー!ワッハハー!ワッハハッハ!!」

くだらないなぁ、、、、と思いつつ声に出してみると
結構これがばかばかしくもおもしろくって、つい笑ってしまうのはなんで?

子どもにこれやってみたらおもしろいよ、といったらバカにされた
子どもいわく
「かなしーときー!母親がアニマル浜口の真似をするときー!!


笑う門には福来る、案外『笑いビクス』いいかも

花粉

2007年03月09日 17時47分12秒 | Weblog
今日はめいっぱい花粉が飛んだんじゃないだろうか?
やけにくしゃみが出る。
今年は予報ではたしかあんまりひどくないということだったが
その時期が早く来て、ひどくないんだかなんなのかわからない。。。
スギ花粉のない世界に行きたいなあ…
ずっと薬を飲んでいるので、昼といわず夜といわず眠い。。。
なに?薬のせいではなかろうって?
うーーーーん、あたらずといえども遠からず。。。


夕方の時間

2007年03月08日 18時15分34秒 | Weblog
こんな時間はかたぎ?の主婦はご飯つくりに余念がないはず…
かくいう私はもうできているからいいのだ。。。

ところで昨日同じような時間帯に、BS2で熊川哲也さんのバレーを
やっていました。ご覧になった方はおられますか?
クラシックバレーというと古典的なものばかり想像しますが
今回のは全然違う、彼の演出によるものでした。
すごくよかったです、バレーって全然素人でわからないけど
なにか胸にせまるものがありました。
たぶん音楽が相当な役割を果たしているのでしょうけど
熊川さんも終わってから「すばらしかった、不覚にも涙してしまいました。」と話したら、
あの女アナが「そ、そんなに…」と受けていたのが非常に失礼に思いました。

実を言うと最後の場面では私もなぜか涙が出てきたのでした。
熊川さんの自己満足ではないと思ったりしました。

寒いのだ。。。

2007年03月08日 10時36分29秒 | Weblog
寒さ暑さも彼岸まで、、、いつもの年なら当たり前の寒さが
今年は身に染みるのだ~~~
なにせ、めちゃくちゃな暖冬のためにすっかり薄着でいた皮膚が顔が
冷たさに対応できない…
(昨日の朝は屋根に雪が積もってました)
もういいかなと思っていた灯油だって買いに行かねばならぬ、
やっぱストーブ壊れたときにガスにすればよかったかな?
でも、器具そのものの寿命はガスでも灯油でも変わらないし…
などなど、あれこれ「考えている」私はまさに『生きて』いるんですよね?
池田晶子さんふうにいえば?(レベル低すぎ

石垣りんの「私の前にある…」の詩も
読みの練習すればするほど、どうよめばいいのかわからなくなり
ひとつの同じトーンに見える口調にも
思い出の部分あり、独白の部分あり
広く女性全員にむけて発している部分もあり。。。で
ますます迷路に入り込んでしまった状況。
結局は読む自分がどう解釈しているのか、そういうところに
回帰していくのでした。



アンチ・ソフィーの世界

2007年03月07日 10時25分47秒 | 
魂を考える

法蔵館

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「41歳からの哲学」はすぐ読めてしまったので(短いコラムを所収)
いまはこれを読んでいます。
この中に「ソフィーの世界」酷評があり(自著「悪妻に聞け」より抜粋)
面白い。自分もずいぶん前にソフィを読んだ記憶があるけど
全く!内容を忘れてしまっていた。(『君の名を』、じゃないが忘却の彼方)

生きるために考える、のでも
考えるために生きている、のでもなく
生きることはそのまま考えることであり、考えること事態が生きるということだ
ということが、歯に衣着せぬ語り口で書かれていて気持ちいい。

朗読発表会近づく

2007年03月07日 10時15分12秒 | ボランティア
私の前にある鍋とお釜と燃える火と―石垣りん詩集

童話屋

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へたな上に練習不足な私なのに、ずうずうしくも参加表明してしまい
今頃後悔…けだし名言「後悔先に立たず」

蓋を開ければ、30人弱いるはずのボランティアの方達
8人しか出席しないじゃないか、、、どういうことだ~~~
(指導してくださった先生に失礼じゃないの?)
ほとんどがご自分のことにすべてを注げるような年齢の方なのに、、、
こういうときこそ、日頃若いもんに厳しくおっしゃる「礼儀」ということを
お示しいただきたいものですわ。
って、別に恨みがあるわけじゃございません。

それにしても、朗読って難しいですね(いまさらながら)
強い声で言わなければ、もやもやで相手に何も伝わらないし
かといって気張った声だと青年の主張ならぬ「おばさんの主張!?」に
なってしまいまして…

はっきりとした言葉では一本調子」になってしまうのを
どうしたら「語るように」いえるのでしょうか?
う~~~~~~~む。
棒読みではきっとなんにも伝わらないのでしょうね。
どうしよーーーーーーーーー

旅の余韻も

2007年03月05日 11時35分48秒 | 
インテリジェンス 武器なき戦争

幻冬舎

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そろそろアタマを切り替えて、日常生活に復帰しないと、、、
ということで、いま読んでいるのはこれ。
外交「ヘタ」と言われる日本ですが、ほんとのところはどうなんでしょうか?
外交とはどういうことなのでしょうか?
評論家の「食えない餅」論議よりはるかに面白いこと請け合い!?
興味のある人はどーぞ