寓居人の独言

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想い出話 K教授のこと(20130814)

2013年08月14日 10時33分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ある年、ベビーブーム世代の子供が大学入学時期になり、大学志願者の増加にともなって、文部省の指示により全国の大学で学生定員を増やし進学希望者の増加に対応することになった。

 筆者の友人のいた大学でも、初めに一般教育のための新講座を作ることになった。ところが学部内での新講座の取り合いになり、当時圧倒的に求人数の多かった化学系の学科に所属することが決まった。そこで、実験系の講座にすることが決定し、教授以下の人選に入ることになった。そこでまた学科内での勢力争いが始まった。結局口数の多いH教授の第2講座にすることになった。そして人選が始まった。その結果、某公立大学のKという方を招聘することになった。通常の教授選考では業績、学会での活性度、学生の指導能力、人柄、等々が調査され報告される。しかしこのKという方については緊急ということで推薦した教授に一任するということで人選が終わってしまった。
 数年が過ぎて、新任教授の講座の活性度を見るとほとんど論文が出ていないことに気がついた。それで活性度の高い助教授を入れようということになり人選が始まった。そしてMという方をある私立大学から迎えることになった。この方については前記の条件がすべて調査され、報告された。誰もが納得する報告書に期待が高くなった。M助教授がきてからうなぎ登りに論文が出るようになり、その講座の大学院進学希望者が増えた。
 これで話が終わればよいのだが、K教授については思わぬ落とし話が付いていた。噂では、教授になったときの論文は、卒業論文、修士論文、博士論文の3編しか無かったということや、前任大学では雀鬼といわれるほど麻雀に溺れていた。等々のことが話題に上った。しかし、運のよいことかどうかは不明であるが、学内の長の付く席に次々と座り、事務系の人は困っていたという。というのは会議があるというのにすっぽかして麻雀店に行ったり、学生と囲碁を打ったりして会議に出席しないことがたびたびあったという。
 友人はこんなことも言っていた。K教授は学問の最高会議の会員になって会議に出席している最中に電話で麻雀をやろうと呼び出されると急用が出来たといって途中で退出してしまうことが目に余るほどあったという。
 さらに、今風にいえばパワハラを思う存分使用していたという。それはM助教授の独立昇格問題が他の講座の教授たちから提案されるとまだ時期尚早といって拒否していたという。ちなみにM助教授の実力はどの程度だったかというと、着任して10年が過ぎたときその講座の発表論文は200編を越えたという。学会でも専門委員会の長を勤めるなど精力的に活躍していた。
 M助教授は、残念なことに昇格する前に突然事故で亡くなってしまった。するとK教授は、昇格人事は数ヶ月前に決定していたので遡って昇格させるという決定をした。これもまた暴挙というしかないと友人は嘆いていた。
 M教授のいなくなったK教授の講座の発表論文数は年間2編ほどにがたっと減少してしまったという。つまりいろいろなことがあったが、M助教授の功績は絶大であったということになる。その陰に隠れ、自分の無能さが表面に出るのが怖くて昇格人事を渋っていたともっぱらの評判になってしまったと言うことである。
 筆者はこのような内容のことを書くのは躊躇していたのだが、友人も亡くなり、これからの大学教授に、K氏のような方を選出しないようにという意味で書くことにした。
  この話を友人に聞いたときKを嫌いなための誹謗と思ったが、噂話として読んでいただければそれでよいとする。傍証を固めたわけではないが事実であったらしい。