水天宮に向かって歩いて行く道の右側つまり隅田川
側は焼け跡になっていた。頃焦げの木の破片もなかっ
た。学校に接している家並みを前日とは言え壊してお
いたのは本当によかったと思いました。もし壊して後
片付けをしてなかったら,有馬国民学校も焼けてしまっ
たかもしれません。
道を歩きながらも父や兄たちのガックリしている姿
を見るのはとても辛かったのですが、母と姉はそうい
う父達を気遣っているようでした。
新大橋通りに出て左に曲がり本町の方へ歩き出しま
した。新大橋の方を振り返るとまだ燃えているようで
空を赤々と焦がしていました。銀杏八幡宮の辺りに来
たとき、爆音が聞こえたので空を見上げると4発の大
きな飛行機(あれがB29だと思いました)が何機も何
機も飛んでいました。新大橋の方から飛んできて銀座
の方へ向かっているなと父達が話していました。その
方向もまだ空が赤くなっているのでまだ燃えているよ
うでした。私は早く高射砲で撃ち落としてくれないか
と思いましたが、B29の爆音以外には何の物音も聞こ
えませんでした。
やがて小網町から兜町へ渡る橋のところへ来ました。
さすがに父達も疲れたと見えて橋のたもとのところへ
少し休むことにしました。するとその角のビルからま
だ若い女の人が出てきて、「大変でしたね。お疲れでし
ょうね。今白湯しかありませんがお持ちしますのです
こしお休みになっていて下さい」
と言って家の中に入っていきました。休んでいると
きにもB29は低空でいろんな方向へ飛んでいきました。
私はずいぶん悔しい思いをしました。
さっきの女の人が大きなお盆に7個のコップを持っ
て出てきました。私たちはここでも他人の親切な心に
であったのです。「小さいお子さんはこれをどうぞ」
と言って渡してくれた温かい白湯は甘い味がしまし
た。私は涙が出てしまいました。あの味は一生忘こと
が出来れるません。 白湯を頂いて私たちはお礼を言
い本町に向かいました。橋(多分鎧橋という名前だっ
たと思います)を渡って証券取引所の前を右へ曲がり、
私はその後どう歩いたのかわかりませんでしたがどう
にか従兄の家に着きました。私はすぐに寝てしまいま
したので、その後の話は朝まで分かりません。朝明る
くなるとすぐ目が覚めました。今日は家のあったところ
へ行くというので私も連れて行ってもらうことにしました。
そこで大変な物を見ることになってしまいました。