寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

囲碁の話 憑き(ツキ)が左右する勝敗?

2013年08月11日 07時39分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 何でも勝負事というものは、本来は実力のある方が勝つことになっている。と思うのが常識である。しかしそうとばかりは言えない。勝負事には何気ないちょっとしたことが原因になって思わぬ結果をもたらすことがある。
  プロの棋士でもポカをやることがある。かって名人位や棋聖位を手にした藤沢秀行棋士もポカをやって負けることがあったという。藤沢秀行棋士だからポカといわれるのであるが、素人の囲碁好きの場合は、読みが浅いとか相手の打った手を全く気にしなかったとかという場合が多い。このような場合にツキがなかったと表現することがある。
 ツキとは何だろうか。昔からいわれるツキというのは、狐憑き、オオカミツキとか言うのがある。落語の中でも狸ツキという話が出てくる。これらのツキはある人に狐、オオカミ、狸などが乗り移って神通力を発揮するというのが常である。落語の中に出てくる狸憑きでは夫婦が諍い(いさかい)をするとき必ず狸が出てきて妻に思わぬ力を発揮させるというのもである。つまり狸が妻に取り憑いて妻を危険から守ってくれるというわけである。私ども高齢者にとって願わしい憑きであるかも知れない。
  プロの棋士で趙治勲九段という方がいる。対戦相手を忘れてしまったが、対戦中に打った手が数十手後に効いてきたとき、解説の石田九段曰く「こうなることを読んでこの手を打ったのですかね。まさかね」というのを聞いたことがある。これは石田九段でも予想外のことであったらしい。 プロの棋士たちのすごい話はいろいろある。前にもある本の記事として紹介したことがある話だが、太平洋戦争の終戦直後の大阪で、夜店の詰め碁を商売にしている人たちがいた。ある夜一人のよれよれの男が将棋盤の前に立って詰め碁に挑戦した。お客がきたと店主?は喜んでいた。その男は、やがて駒を持って盤上に置き始めた。そして負けた。そして再度挑戦した。店主は何回やっても素人に負けることはないと高をくくっていた。しかし店主の顔色が変わってきたときには負けてしまった。客は店主にこう言ったという。「59手詰めなんて事を素人相手にするもんじゃないよ」。この話は升田幸三九段の逸話として残っている。ちなみに将棋の勝敗はおおよそ120手ほどで決着するらしい。だからその半数の手数を素人が読めるわけが無いということだ.。つまり1手打つときにその手に派生する枝葉の手数は数十とも数百ともいわれる。したがって59手について派生する手数は計り知れないと言うことである。

 素人には素人の楽しみ方があり、プロの方と同じになろうと思わない方がよい。素人には素人の遊び方があり、勝負に負けると”ツイ”ていなかったというのもよいではないですか。私もその1人であるが、”ツキ”を当てにしない勝負をしたいと思うこの頃である。


想い出話 母の白内障とJ大学眼科N教授について(20130809)

2013年08月09日 12時39分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 母が健在だった頃、母は刺繍やビーズ細工にいそしんでいた。当時の母は、現在の私と同年だったと思う。細かい作業に老眼鏡をかけてビーズの穴に糸を通してそれでハンドバッグやサイフなどの小物を作っては家に遊びに来る方にあげていた。今我が家に残っている作品は、縦約40㎝幅約90㎝という大きさの富士に鷹と松を刺繍で描いたものや縦約70㎝幅約50㎝ほどの大きさの美人が傘を持っている図のものなどがある。ビーズ細工は妻がよそ行きに使っている和風のバッグや財布など数点である。母は根気よく気のあった近所の人たちと四方山話をしながら作っていた。私などが見るととてもよい余生であったと思う。
 そんな時期に私はドイツのミュンヘンで開かれる学会に出席し、次いでに約1ヶ月間ヨーロッパの数カ国を見聞して回るという機会に恵まれた。9月初めに家を出て、イギリス、フランス、スイス、オーストリア、ドイツそして再びフランスを見て回った。あちこちで多くの若い人たちと知り合いになったり、見聞を広めた。10月初めに帰ってきたら、母の両方の目が真っ白になっていた。ものが見えるかどうかを尋ねると何も見えないという。直ぐに、東京にあるJ医大眼科のN教授に電話をかけて相談したところ、明日お連れしなさいということで、翌日母をJ大学眼科のN教授の所へ連れて行った。N教授は直ぐに診察して下さり、あなたはこれから帰ってお母様の入院の用意をして明日またお出でなさい。お母様は病院へ残ってもらいます。そして検査をしましょう。といって母を病室へ案内するように看護婦にいって私の方に向き直った。母が病室へ行くとN教授は、
「お母様は典型的な白内障です。ご高齢なので片方の目だけ手術することになると思いますが、よろしいですね」
「はい。よろしくお願いします」
 といって私は病院を後にした。翌日着替えなどをそろえて病院に行くと、母は目に包帯をして横になっていた。そこへN教授がお出でになり
「他に悪いところもなかったので手術は順調に終わりました。少し様子を見て今後のことを相談しましょう」
 とおっしゃった。N教授の診察を受けるには、少なくとも半年は後のことになるということだったのに直ぐ手術して下さったことに感謝の気持ちでいっぱいだった。3日目に病院に行くとまだ包帯が取れていなかった。すると母は残った目も昨日手術して下さったといった。そこへN教授がおいでになり、
「お母様はとってもお元気でしたので両目を手術しました。もう3,4日すると包帯が取れます。眼鏡を作っておきますからそれをかければ今までと同じように生活できるようになりますよ」

 とおっしゃってくださった。
 そして退院の日、J教授に特別診療費をお渡ししようとしたら、研究仲間の方からそんなことを心配なさらないで下さいとやんわり断られた。当時私はJ教授と若い眼科医師の方の研究をお手伝いしていた。そのことを話されたのだろう。
 母は、こんなに見えるようになるとは思ってもいなかったといって涙を流して喜んでいた。あのときの母の涙を私は一生忘れることはないだろう。そしてN教授への感謝の気持ちも忘れないと誓った。


梅雨明け宣言について(20130806)

2013年08月06日 13時27分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨明け宣言(20130806)
  7月下旬から8月上旬にかけて東北地方から九州地方の日本海側にかけて異常な豪雨が襲った。そして甚大な被害が出た。被害を受けた方々にはお見舞い申し上げます。併せて、一日も早く復興することをお祈りします。
 この現象は、しばしば現れる梅雨明け時期に発生すると気象のことを勉強していたときに本で読んだ記憶がある。この現象は、太平洋高気圧が日本の南東にあり、オホーツク高気圧が東北地方から北海道南部に居座っていてその間に南の湿った空気が日本海から北東方向に流れ込むときに大量の雨が降ると説明されていた。
 日本の各地方の梅雨明け時期は気象庁のサイトから引用した下記の表の通りである。
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 平年は表に書いてあるように、7月20日前後である。今年は7月8日頃に梅雨明け宣言が発表された。過去にも今年と同様な現象が記録されている。今年の梅雨明け宣言は早すぎるのではないかと思っていたが、やはり早すぎた感じがした。
 梅雨明け時期は、日本の上空を通過するジェット気流の位置によって北と南の高気圧の境界が北に上ったり南に下がったりと勢力関係が変わることによるとされる。境界付近にある前線が消失する梅雨明けの時期の予想は難しいようである。
 


男の手料理 といえるかな? わが家風「青椒肉絲」20130804

2013年08月04日 23時39分00秒 | インポート

 私は中華系の料理は余り好きではないが、「青椒肉絲」というのは中華料理の中で私の好きな方の料理である。ピーマンやタケノコなどと肉のちりちりと堅めに炒めたあの食感は何ともいえないものである。それで青椒肉絲を作ってみようと思いたった。

 先ず材料を買い出しに行った。ピーマン、パプリカ、タケノコ、肉は一昨日使った残りのヒレ肉で間に合わせることにした。我が家族は、野菜をあまり食べない、それでニンジン、なすも加えることにした。

 初めに、野菜を細切りにしてポリ袋に入れカタクリ粉を入れてよくもむようにして混ぜ合わせる。それを少量の油で火が通るように炒める。

 次に肉を細切りにして野菜と同様にしてカタクリ粉をまぶして弱火で焦げないように炒める。火が通った頃に味付けをする(といっても、味の素のcook do を混ぜ合わせるだけであるが)。これに予め炒めておいた野菜を混ぜ合わせてさらに少時弱火で炒める。とろみが付いたら出来上がりである。

 今回は初めてのことなので、カタクリ粉をレシピの量より多く入れたためにサラッとしたものにならなかった。これは失敗であった。しかし味は家族がよく食べたのでまあまあだった。と思う。

 毎週一回は中華系の手料理を作ろうと思う。料理を作るというのはなかなか面白いものである。少し工夫をしてわが家風にするとさらに面白くなるだろう。