宝くじ
スーパーで探し物をし、店に入ろうとした。
店の前に宝くじ売り場があり、30代だろうか、夫婦連れが立っていた。奥さまは、運を託すかのようにいくぶん肩を丸め気味にし、数字を選ぼうとしていたのだろうか。そばには、Tシャツにハーフパンツを着たご主人が、見守りつつ従うような雰囲気に見えた。
金利には期待できないから、わずかの運を試そうとする可愛いお楽しみの賭けごとだ。
私も宝くじを買ったことがある。大抵2百円分だけ当たるような具合で、そのうちに売り場に当たりくじを聞きにいくのがわびしかったり、籤が邪魔で、それっきり買うこともなくなった。
時には、出入りの営業員さんの声も影響して、年末には、プレゼントに家族や知人用に大当たりの場所で買ったこともあった。出かけると、長い列に連なっている人たちがいて、わずかな夢やら楽しみが心中に見かけられ、支払う金額の多い人もいて、驚いた。
こんな話も聞いている。生保の営業員さんから頂いた宝くじで30万円の運が運ばれたそうだ。郵貯の金利が良くて、10年で倍になる頃の話である。今はそんなことをしているかわからないけれど、「もらい籤からお宝」とは、あまり当たりそうもない確率と違って、身近な嬉しい話でもある。
直近では億単位の宝くじに当たった夢のような海外の話題も届いた。
金曜日も仕事が休みになっているのを、今、思い出した。さあ、あの女性にどんな運を運んだのだろうか。
先読みで当たる確率を伝授してあげれば、もそっと行列を日頃つくるだろうにねえ、宣伝費を削減して!
7月15日、歩いても出かけられるところまで、用を足しに出かけた。少しばかり底が厚くて、クッションもある黒いサンダルを履いて、玄関の陶器の傘立てに入っていた紺色の日傘を持って玄関から歩いて行った。
曇りだったのに、歩いて数分たつと陽が急に射して、目もまぶしくより深く日傘を下に向けながら歩くことにした。日傘も帽子もなくて歩いている年上の女性とすれ違った。
今年は、いつもより早く梅雨が明け、まだ暑さに慣れていないから、熱中症にかかる人が多いとニュースでも伝えている。震災後四カ月で、放射能汚染による食肉や、被災地の学校でも窓を閉めたままエアコンもなくて机に縛られている子供たちがいる。
風の通る服を着て、好きな時に好きな飲み物が飲め、シャワーも家で浴びられる。そんな身分で、用を足すのに、歩きだして日差しの強さに少々ため息をつきながら傘を少しばかり上げて路を横切った。
エアコンが効いているから、買い物客は、いつも以上に時間をゆったりと使いながら、「ああ、今日は何を食べようかしら・・・」と、あちこち回りながら体中涼しくなっているのを快適に感じているようでもある。そして、背中には、節電が貼りついて、そうさせているようにも、密かに、今年は思う。店は協力を担っているともいえるし、売上にもつながっているだろう。
食品のラベルを見て比較したり、他の食品を手にとって見たりしては、自分の買い物時間もまあ、長めだろう、とそれ以上は居られずに店を出た。
家に続く小道まで来ると、厚めのサンダルの底から熱が伝わり、「熱い」と、声が出そうになった。「暑いラニーニャです」といった自然現象の名前を伝えられれば、少しは諦めがつくだろう。近年は、春も冬も関係なく異様にまぶしい日差しに見舞われている。けれど、更に新しい強敵な名前がでてきても、北極や南極の様子を伝えられても、だれもびくつかないくらい、原発事故が世界じゅうを驚かせている。
太平洋プレートと星星との関係があるのでしょうか。分かったところで、太刀打ちできません。
玄関の内側に張り付いている巣に、燕の雛がフンを落とし始めている。いつもよりもひと月遅れでやってきた燕で、今年は4羽が雛に孵った。燕の寿命は知らないけれど、外壁を塗り替えた10数年前の時を覗いて、毎年やってくる。同じ燕だろうか、御親戚なのだろうか、楽しみな来訪である。
家に入ってから、お風呂場に向かった。 背中に汗を感じて、まず残り湯をかけ、それから冷たいシャワーを浴びた。
下着を替えてさっきまで着ていたワンピースを頭から体に通すと、背中の部分が、シャワーを浴びた後の自分の体よりも更に暑いのに気付いた。
その晩は、満月の夜だった。
7月16日
そよぐ風 遊ぶレースのカーテン 心まどろむ