呼吸器と書いて、マスクとフリガナが振ってありました。
昨日の夕刊で読んだものです。
『マスクをなさい身の為人の為』
これはスペイン風邪の流行っていた1920年正月に有力紙である時事新報に載った記事だそうです。
100年前、東京府下の全巡査がマスク着用となり、裁縫学校の授業ではマスク製造がなされていたとか。
あ~100年前も同じように、自分の為、他人の為、と言われてたんですね。歴史は繰り返す(笑)
それにしても、いつになったらマスクが普通に手に入るようになるんでしょうか。
話は変わって\(゜ロ\)(/ロ゜)/
昨日の河津桜の咲く場所は、鳥羽・伏見の戦いの地でもあったようで、↓の記事の8枚目の写真でみえる建物が東運寺。
ここは明治元年1月5日の幕軍と薩長軍の戦闘で戦死した東軍(幕軍)を埋葬した寺で戊辰役東軍戦死者埋骨地の石碑が建てられているとか。
そのお隣も、長円寺というお寺。
戊辰戦争だの、榎本武揚・・・野戦病院だっただの、 なかなかにすごい歴史的な場所だったんですね。
なんにも知らずに綺麗だなーなんて河津桜を眺めておりましたが、4月には閻魔様のおられる長円寺で特別ご朱印がいただけるそうで、それまでにちょいと幕末~明治にかけてのお勉強をしなおさねばなりません(笑)
昨日の夕刊で読んだものです。
『マスクをなさい身の為人の為』
これはスペイン風邪の流行っていた1920年正月に有力紙である時事新報に載った記事だそうです。
100年前、東京府下の全巡査がマスク着用となり、裁縫学校の授業ではマスク製造がなされていたとか。
あ~100年前も同じように、自分の為、他人の為、と言われてたんですね。歴史は繰り返す(笑)
それにしても、いつになったらマスクが普通に手に入るようになるんでしょうか。
話は変わって\(゜ロ\)(/ロ゜)/
昨日の河津桜の咲く場所は、鳥羽・伏見の戦いの地でもあったようで、↓の記事の8枚目の写真でみえる建物が東運寺。
ここは明治元年1月5日の幕軍と薩長軍の戦闘で戦死した東軍(幕軍)を埋葬した寺で戊辰役東軍戦死者埋骨地の石碑が建てられているとか。
そのお隣も、長円寺というお寺。
戊辰戦争だの、榎本武揚・・・野戦病院だっただの、 なかなかにすごい歴史的な場所だったんですね。
なんにも知らずに綺麗だなーなんて河津桜を眺めておりましたが、4月には閻魔様のおられる長円寺で特別ご朱印がいただけるそうで、それまでにちょいと幕末~明治にかけてのお勉強をしなおさねばなりません(笑)
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