仲宗根政善:著 角川文庫
ひめゆりの塔の話は有名ですが、この本は、実際に体験した人の手記でできており、より身近に迫ってきます。
私が一番興味深かったのは、当時の年齢が低い人に、同邦人に対する嫌悪感を書いている人が多いところです。当時の年齢が20歳前後の師範学校の生徒は、事実を淡々と書いている人が多く、それがかえって怖さを感じさせるのですが、自分個人が受けた不当な待遇に関しては、あまり語っていません。
当時の年齢が15~16才だった人は、共通して「日本軍人の身勝手、軍医の横暴、看護婦のいじめ」など、同じ日本人はもとより、同じ沖縄県人からも受けた差別について書いています。
同じ体験をしても、15歳と20歳では感じることが違うのは当たり前ですが、それよりも、たぶん当時20歳の人は同邦人を悪く思いたくない、という心理の抑制が働いていたのではないかと思います。
15日の沖縄タイムスには、集団自決した人たちに関する記事が載っていました。“自決させられた”と言った方がいいのかもしれません。敵よりも、もっと怖いのが、“味方という名の敵”、更には“自分の中の敵”なのですね。戦争という極限状態に陥ったとき、自分は他者を追い込まないでいられるのだろうか。
戦争体験者の多くは、あまり戦争の事を語りません。思い出すのも恐ろしい事で話したくないというのもあるでしょうが、周りの人が死んで、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感もあるようです。
でも、生き残ってくれた人がいるからこそ、今の私たちがいるのですよね。生き残ってくれた方にも、犠牲になった方にも同じく感謝と敬意を捧げたいと思います。
ひめゆり平和祈念資料館 沖縄県糸満市字伊原671-1 TEL 098-997-2100
沖縄戦跡
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ひめゆりの塔の話は有名ですが、この本は、実際に体験した人の手記でできており、より身近に迫ってきます。
私が一番興味深かったのは、当時の年齢が低い人に、同邦人に対する嫌悪感を書いている人が多いところです。当時の年齢が20歳前後の師範学校の生徒は、事実を淡々と書いている人が多く、それがかえって怖さを感じさせるのですが、自分個人が受けた不当な待遇に関しては、あまり語っていません。
当時の年齢が15~16才だった人は、共通して「日本軍人の身勝手、軍医の横暴、看護婦のいじめ」など、同じ日本人はもとより、同じ沖縄県人からも受けた差別について書いています。
同じ体験をしても、15歳と20歳では感じることが違うのは当たり前ですが、それよりも、たぶん当時20歳の人は同邦人を悪く思いたくない、という心理の抑制が働いていたのではないかと思います。
15日の沖縄タイムスには、集団自決した人たちに関する記事が載っていました。“自決させられた”と言った方がいいのかもしれません。敵よりも、もっと怖いのが、“味方という名の敵”、更には“自分の中の敵”なのですね。戦争という極限状態に陥ったとき、自分は他者を追い込まないでいられるのだろうか。
戦争体験者の多くは、あまり戦争の事を語りません。思い出すのも恐ろしい事で話したくないというのもあるでしょうが、周りの人が死んで、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感もあるようです。
でも、生き残ってくれた人がいるからこそ、今の私たちがいるのですよね。生き残ってくれた方にも、犠牲になった方にも同じく感謝と敬意を捧げたいと思います。
ひめゆり平和祈念資料館 沖縄県糸満市字伊原671-1 TEL 098-997-2100
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今は「戦争反対!」と叫んでいる同じ人が、状況が変われば「非国民!」と叫ぶようになるのかもしれません。周りの人がどうであろうと、冷静に自分の頭で考えられる人でありたいと思います。
欲深いのは、カッコ悪いことだという社会になれば良いのかな。そうしたら、きっと経済が成り立たなくなるのでしようね。
例えば、北朝鮮が日本に爆弾を落としたら、そしてそれによって大勢の人が死んだら、私達はどうしたら良いのでしょうか。2弾、3弾と続けて追爆されそうになったら、降服するしかないのでしょうか。そして、日本が北朝鮮の奴隷になる?
アメリカのテロの直後、報復すべきだと答えた人が多くいましたね。自分の身内が攻撃されたとき、人はどうしたら良いのでしょう。
では、兵隊は何を守るために出征して行ったのでしょう。
「お国のため」って、誰のためなのでしょう。少なくても、父母・妻子でないことは確かです。
実際にお話を伺えたのは、良かったですね。
本では、本当の深い思いは書き表せないかもしれません。ご本人の言葉で聞けたのは、貴重な体験でしたね。きっと、ボランティアで、お話を聞かせてくれているのでしょう。それを聞いた私達が、また更に子供達に伝えていかなくてはいけませんね。
私も子供の頃は、年配の方々が戦争の話をしてくれるときに「またか・・・」という、いい加減な気持ちで聞いていました。今はもう、その方達は亡くなってしまいました。反省・後悔することしきりです。
かじまやぁさんのお母さんが、かじまやぁさんを生んで育ててくれたことは、お母さんにとっても、日本にとっても、とても大きな財産ですね。よい遺伝子を受け継がれて、素晴らしいことだと思います。
精神的な体調(?)が良いときに読んでみるといいかもしれません。
戦後、その話が出来ないのは、辛すぎるということと、その頃の常識と、今の常識が違いすぎるというのもあるからでしょうね。
私が、子供のころわがままを言うと、うちの父親は、「兵隊さんのことを考えてみぃ!」と、言ってました。
父親はそうやって軍国主義の中育ってきた名残なのが最近になって、良くわかるようになりました。
富めば富むほど、エゴイスティックに、欲深くなっていく気がします。
自ら仕掛けないのは当然ですよね。太平洋戦争は世界から日本が干されて、苦しくなって、日本から仕掛けてしまったらしい。我々は餓死しようとも仕掛けないでいられるか。。。
逆に領土を取られたり、攻撃されたら?。戦争を避けて外国の属国や奴隷になるか、反撃=戦争するか。
難しい。
世界中の人が平和を願っているはずなのに…
戦場で戦っている人達も、きっと平和を願っているはずなのに…
自分が良ければそれでいいのか!?
自分や自分の家族に生きていてほしいなら、自分も人を殺さなければ良い。
単純な事なのに…
なんで人間はそれができないの?(T-T)
悲しくなります。
この本、映画「ひめゆりの塔」が公開された95年に購入、今でも時折読み返しています。
ひめゆり平和祈念資料館に行った際には、
手記に登場する上原当美子さんにお話を伺う機会に恵まれました。
上原さんの手記は国頭脱出をはかるため、北へ向かって歩いていくところで文章が終わっていますが、
それは亡くなった級友に申し訳なくて、生き残る(捕虜になる)ところを書けなかったからと仰っていました。
それぞれの人がそれぞれの想いの中で書き綴った手記。
私達がシッカリ読み、伝えていかなければいけませんね。
これからは私達が子供達に語り継がなければいけないな~と思います
時々、叔父や叔母から、母親の体験談を聞いたり母が同級生どうしで話しているのを聞くぐらいでした。
あの体験があったから、病床でも穏やかだったのかも。
gangazeさん、、、なんて言ったら良いのか分からないので、
ありがとうございます。
なくなりますね…
けれど、きちんと見て、考えることこそ
戦争を起こしたくないと考える人の義務なの
かもしれないと、ちょっと思いました。
これまで全然こういう本は読んだことないのですが…意識して読んでみようかな…