近頃、購読している朝日新聞をくまなく読むのが日課の一つとなっているのだが、その中でもbe on Saturday(土曜版)で連載されている小池真理子氏の「月夜の森の梟」を楽しみにしており、昨日もこれを読んだ。
2020年1月に亡くなったご夫君(作家の藤田宜永氏)の想い出を語る、原稿用紙二枚と少しのエッセイだが、毎回死者の想い出と亡き後の喪失感が穏やかな筆致で綴られる。 直木賞作家を相手に「巧みな筆致で読ませる」と云っては叱られるかもしれないが、「上手いなぁ〜」と云うのがまったく正直な感想だ。
氏の「月夜の森の梟」は随筆の手本であるかのように、起承転結が実にはっきりしており、九百文字の中にご夫君の想い出と亡き後の寂しさが手を変え品を変えて毎週綴られる。そして読む度に豊かな発想力、表現力と共に起承転結こそが上手さのポイントなのだと思うのだ。
小学校、中学校の国語、作文の時間に「起承転結」を学ぶ。起承転結は、元はと云えば四行から成る漢詩の構成を指すもので、概ね次のような構成を指す。
起:その文の主題ともなる事物・事柄について書く
承:起で記したことの解説や感想、問題点、意見を書く
転:起と承で書いたこととはやや外れるが、しかし実は微妙に関連することについて書く
結: 起と承そして転で記したことを関連付けながら締めくくる
随筆、あるいは小中学校で書かされる作文や読書感想文などであれば、上記の起承転結に沿って書けば良いのだが、学術論文となれば勿論違った作法が必要となるだろう。一方、私の日々の作文はと云えば、「独り言」の名の通り自ら思うことを勝手に気ままに書き連ねるオチのない日記、あるいは自作写真のキャプションのようなものなので、起承転結はおろか、小学校で習うはずの「です、ます」さえ混在する「勝手作法」である。
小池氏の「月夜の森の梟」は、ご夫君の死から一年を経てもいまだに残る喪失感を埋め合わせるために悲しみをこらえながら、そしてそれを乗り越えるために書いているのか。あるいは職業作家として配偶者の死をも仕事のネタにしなければならない苦しみに耐えながらその責務を果たすために書いているのか。どちらにしても、少々の脚色を交えながらとしても己が心情をさらけ出さなければならない職業作家に対する哀憐の情を禁じ得ない。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは3月6日に撮影した写真を4点掲載いたしております。春の野の足元で咲く、小さな花たちをご覧頂けたら嬉しいです。
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