スカイマークのA330最終便

 エアバスA330-300による羽田からの最終便が、札幌の新千歳空港へ向かいました。就航キャンペーンとしてCAのミニスカート制服で話題となったA330での運行は、わずか7カ月半で終了です。羽田発最終便は既に新千歳に着いていますが、A330-300のホントの最終便は新千歳21:00発のBC730便(折り返し?)で、羽田到着の定刻は22:40ですから、今現在まだ飛んでいるんです。この便のクルーは今頃何を考えているのでしょうね。

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 積ったのはこの冬初めてだったでしょうか。横浜で雪が降るのは春が近づいているしるし。でももう暫らくは冬と春との綱引きが続きます。


 と云う訳で今日の一枚は、雪に覆われた葱畑。

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ボッチングピープル

 職業(本業)柄、「ボッチ」とか「ボッチ席」は知っていましたが、「ボッチングピープル」とは初めて聞いた言葉でありました。

 日曜日に仕事(本業)で名古屋に行きます。余り行きたくない、プレッシャーの大きな仕事なので、楽しみはと云えば日曜の夕方、仕事(前半)を終えての一杯と美味い物。名古屋の美味いものと云えば、ひつまぶし、味噌カツ、きしめん、名古屋コーチン、味噌煮込みうどん・・・。名古屋の方には大変申し訳ないのですが、郷秋<Gauche>的にはどれも余り箸が進みません。

 イタリアンの好きな郷秋<Gauche>ですので、名古屋駅新幹線口近くのイタリアンで一人でも入れそうなカウンター席のある店を探したら、ありました。泊まるホテルからからもすぐ近くかつリーズナブルで申し分ありません。でも「全面喫煙可(一部禁煙 :ランチタイムのみ分煙(ディナータイム禁煙席なし))と、喫煙できることが誇らしげに謳われておりました。

 これって、横浜では有り得ません。神奈川県には愛煙家には悪名高い「受動喫煙防止条例」があり飲食店のほとんどは完全禁煙か、完全分煙です。規模が小さく分煙が義務付けられていない店でも原則禁煙の店が多いですね。郷秋<Gauche>が良く行く青葉台駅近くのイタリアンも当然全面禁煙で、愛煙家のためには店先のテラス席だけが喫煙可と云う配慮がされています。これが横浜の飲食店の一般的な有りようです。随分前から西高東低と聞きかつ感じていた喫煙事情ですが、いまだにこれ程の差があるとは、まったくの驚きでした。

 タイトルの「ボッチングピープル」とは直接関係の無いことを長々と書いてしまいましたが、何故「ボッチングピープル」なのかと云うと、名古屋へは一人で行くからです。オフィスで、日曜から仕事で名古屋に仕事行く、月曜日はいないからよろしくと云ったら、パートタイマーのスタッフがすかさず、「ボッチングピープル」ですか?だって。

 さすがに中3のお子さんをお持ちなだけに「現代用語」にはお詳しい。そうです「ボッチングピープル」です。一人で夕食を食べるのです。一人イタリアンです。いや、彼女には現地調達するから「二人イタリアンだよ」と強がっておきましたが(^^;

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今日も今日とて今日の神奈川新聞の記事から

 親愛なる神奈川新聞の横浜地域ページにこんな記事。
 「迷子 捜しています ― 関内駅付近・会社員女性 30年来”お守り”紛失 ―」

 東京都内に住む女性(35)が永年大切にしてきたオットセイのぬいぐるみ(体長約25センチ)を関内駅付近で落とした。家族で訪れたバンクーバーで、昨年なくなった祖母に買ってもらった大切な”お守り”で、何としても見つけだしたいと、警察にも遺失物の届け出をし、ツイッターでも情報提供を呼びかけているそうです。興味本位であっても話題になればと、発見者には10万円の謝礼を支払うとしたビラを作り昨年12月には関内駅付近で配布もしたそうです。

 たかがぬいぐるみ、されどぬいぐるみ。他人には何でもない古びたぬいぐるみであっても、持主の女性にとっては、祖母との思い出にもつながる大切なものなのでしょう。特に高価であったり希少なものだけが大切な訳ではないのです。要はその人に気持ち次第。他人には何の価値もないものであっても、それを大切にしている人もいるのです。と云うか、金銭的な価値のある物よりも、金銭的には何の価値もなさそうなものを大切にしている人の方を、郷秋<Gauche>は信用したくなるぞ。

 しかしねぇ、失くしたのが昨年11月22日ではこれから見つかる可能性は限りなく低そうですね。それにしても、興味本位でも話題になればと10万円の懸賞金を付してツイッターに投稿するとは、いかにも今風のお話しでありますななぁ。まっ、世知辛いと云うのか、心穏やかではいられない事件や事故ばかりが報じられるこの頃ですから、たまにこんな記事を読むと何だかホットするのは確かではありますが、平和過ぎませんかね、神奈川新聞。

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今日も今日の神奈川新聞から

 親愛なる神奈川新聞の社会面で、東急東横線白楽駅前の書店「ブックス玉手箱」が、店主の急逝により閉店したことが報じられていた。その中にこんな一文が。

 「シャッターには男性店主(享年62)の訃報を知らせる張り紙が」

 訃報とは、広辞苑(第六版)によれば「死亡のしらせ」。新明解国語辞典(第四版)によれば「人が死んだという知らせ」。新明解に「人が」とあるのが違いと云えば違いであるが、そもそも「死亡」とは犬や猫の死ではなく、人の死の意味だから両者の云うところは同じである。

 ポイントは、「訃報」と云う二文字には既に「知らせ」の意味が含まれていること。つまり「訃報の知らせ」という云い方は「女性のご婦人」と云っているのと同じなのである。ここは「逝去を知らせる張り紙」であろうか。まっこと言葉とは難しい。人が書いたものの間違いにはすぐに気が付くけれど、自分が間違って使っていても一向に気づかないから厄介である。

 蛇足ながら、「享年62歳」ではなく「「享年62」は正しい云い方であるが、いろいろ調べてみると、今や「享年62歳」でも間違いとは云えないという論調になりつつあるようである。言葉は生き物。時代と共に変わっていくものなのである。

 そうそう、今日の神奈川新聞の「照明灯」に辞書のことが書かれていた。この中に、学者芸人・サンキュータツオさんが「最近の辞書界の大きな話題は、『広辞苑』にようやく『ナウい』という言葉が載ったことです」と書いている、と書かれていた。

 郷秋<Gauche>は「あれっ、いつの間に第七版が出たのだ!」と思ったのでしたが、どうやら2008年(平成20年)1月11日発行の(第六版)が最新のようである。7年前の出来事が最近のことであり、同時に「ナウい」と云う、既に全然「ナウくない」言葉が掲載されたことが話題であるという「辞書界」の常識に、あぁ、驚いた。

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今日の神奈川新聞から

 親愛なる神奈川新聞に「使い込んだ筆に感謝 –荏柄天神社 供養の神事」と云う記事。
 日本三大天神の一つ、荏柄天神社(鎌倉市二階堂)で25日に筆供養が行われたことを伝える記事ですが、そこにはこう書かれています。

 「神事の始まる午前10時半には、境内は写真愛好家らでいっぱいに。この日は事前に集めたものを含め約3千本の筆が集まった。(後略)」

 真っ先に写真愛好家らでいっぱいになったことが紹介されていますが、果たして筆供養のために日頃使い込んだ筆を持って来られた方が幾人いたのかは書かれておりません。筆供養の神事を伝える記事ですから、それを写真に収めようと云う写真愛好家が何人集まったのかではなく、筆供養のために訪れた方がどれ程いたのかの方が大切な情報だと思うのです。

 まぁ、「事前に集めたものを含め約3千本の筆が集まった」と云う記述からも当日供養のために筆を持って訪れた方が少なかったことが窺えますね。筆供養ではなく、筆供養をテーマにした撮影会が賑々しく行われたことを伝える記事であるかのように思えてしまった郷秋<Gauche>は、やはりへそ曲がりだと云うことでしょうか。

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我が家のレモン


 昨年末にはバレンシアオレンジをご覧頂きましたが(こちら)、今日はレモン。すっかり色付き、なっているのが目立つようになりました。我が家の庭でレモンがなっていると云う、証拠写真です(^^;
 東北生まれの郷秋<Gauche>には俄かに信じがたい感もあるのですが、自分で買って来て植えた木ですから間違いありません。それだけ横浜が温暖なのか、地球の温暖化が進んでいるのか。遠からずリンゴの産地でレモンやオレンジが採れるようになるかも知れませんが、良い事ではないかも知れませんね。

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椿と夏ミカン


 比較的温暖な横浜地方は、厳冬期とは云えこんな感じ。既に椿が咲き、ミカンがたわわに実っております。

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自己責任

 当然のことだが、自身の判断による行動の結果に対しての責任は自身が取る。取り分け、通常では有り得ない、大方の人が避けるであろう、常識的に危険・リスクを伴う行動をする場合にはこの自己責任が前提となる。

 事故=危険が付き物のモータースポーツ。郷秋<Gauche>は30代前半からの10年程、モータースポーツの底辺カテゴリーであるレーシングカートを楽しんだ。当然事故の可能性がある危険なスポーツである。だから正式なライセンスを取得し、専用のサーキットをヘルメットはもとより事故の際のリスクを低減させるレーシングカート専用のスーツ、シューズ、グローブを着用して走行した。走行料金の20%程度の、障害と賠償を担保する保険に加入しないと走行出来ない仕組みだった。

 クルマは誰もが運転する便利な機械だが、事故により自身の怪我や賠償責任が発生する可能性が少なくない。だから自賠責に加入し、更に決して安くない任意保険にも加入する。レーシングカートを楽しんでいた時期と重複するが、毎年夏の一時期、後輩の大学生を自分のクルマに乗せてかなり無茶な運転(より短時間での移動が求められた)をすることがあったけれど、その際には更に上乗せの保険に加入した。万が一の際にも自己の責任において対応できるようにするためである。

 あくまでも判りやすい例としての話だが、初詣の明治神宮でひったくりにあったとすれば、大抵の人は「災難だったね」と慰めてくれるだろうか。入っている保険の特約により損害も補償されるかかも知れない。でも、同じ正月休みに三千メートル級の山に登っていて遭難したら、政情不安による危険があると渡航に関する情報が出ている国に出かけて事故にあったら、誰もが認めるハイリスクの金融商品に手をだして損をしたら・・・

 ひと口に「自己責任」と云う事は簡単ですが、その人のその行動には複雑な経緯が、止むに止まれぬ事情があるかも知れません。個々の事例について十分な情報を持たぬ第三者が軽はずみな発言をするべきではないのは当然のことですが、危険な行動に対しては自己責任と云う考え方をベースにおくべきなのではないでしょうか。誰かが、あるいは制度が組織が国がどうにかしてくれる「かも」知れないけれど、基本的な責任は自身が負う。少なくとも郷秋<Gauche>自身はそうありたいと思いますね。

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スリッパ


 北欧チックなスリッパを買ってみました。我が家に良く似合います(^^; 冷え症は女性に多いと聞きますが、郷秋<Gauche>は低血圧(上がようやく110くらい)だからなのか膝から下が凄く冷えます。このスリッパを履くようになってから足がポカポカで実に良い感です。近所のドラッグストアで498円でした(^^;

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ビジュアル系? ジャケ買い?


 ビジュアル系クラシックにのめり込んだか、ジャケ買いかと云う批判があるかも知れないが、どうぞお好きに。

 若手演奏家が世に出るチャンスは少ない。今どき名前の売れていない新人がコンサートを開いてもチケットは売れないし、CDを出したからと云っても売れる訳でもない。でも、演奏家を目指す彼ら彼女たちは、チケットやCDが売れなければ世に出るどころか自身の生活さえままならないのだ。彼らを抱える音楽事務所もレーベルも経営が苦しくなる。

 若くて才能の有る演奏家を育てるのは、私たち聴き手。お金を払って聴きに行き、CDを買う事が彼ら彼女たちを育てることになるのだ。だから郷秋<Gauche>は若手演奏家のCDを買う。そうすることで彼ら彼女たちが演奏家として独り立ちできるようになるのであれば、お安い御用である。

 と云う訳で今日の一枚は、松本 欄(Vn)、水野由紀(Vc)、村松亜紀(Pf)による、メンデルスゾーンのトリオとベートーヴェンの大公。ビジュアル系であることは否定しないけれど、同時に実力派でもある。まだ粗削りではあるけれど、フレッシュな演奏を堪能させて頂きましたよ。
EXTON OVCL-00556 3,000円(税別)

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冬の野菜

 福島生まれの郷秋<Gauche>は冬の間の畑には何も無いものだと思っておりましたので、南関東では冬でも白菜、大根、長葱、ほうれん草などが畑に植えられているのを初めて見た時に驚いた記憶があります。

 福島でも長葱くらいは雪の下から掘り出したりしていたも知れませんが、大根は晩秋には収穫し干して沢庵漬けに、白菜も雪が降りだす前には収穫して漬け込んだり、新聞紙に包んで物置にしまったりしたものでした。


 と云う訳で今日の一枚は冬の南関東、恩田の森の白菜。大かたは収穫が済んでいますが、まだこれから収穫を迎えるものをあります。長葱や大根が「畝売り」されているのも首都圏近郊農家ならではの風物詩でしょうか。

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霜柱とMくん

 東北生まれの僕には珍しくもないけれど、この季節の一枚としては外せない霜柱を撮ろうとファインダーをのぞいていて、突然、大学一年の時の同級生、返還間もない沖縄からやって来たMくんのことを思いだした。

 冬休みに沖縄に帰ったMくんは、那覇で売っていたんだと云う見るからに温かそうなダッフルコートを着て大学に戻ってきた。そして、初めて見ると云う霜柱を踏みつけては小学生のような無邪気な笑顔を見せていた。卒業と同時に沖縄県の小学校教員になって帰ったMくんとは、それ以来音信不通であったが図らずも20年後に再開することになった。

 卒業して20年が経とうとするころ、大学合唱団の学生と共に沖縄に訪問演奏(演奏旅行)に行くことになった。10を超える小学校で演奏会を開くことになっていたが、その中の一つがMくんの勤務校であることがわかった。事前の連絡はせず突然の再会を楽しみにすることとして僕はその時を迎えた。

 20年振りのMくんは学生時代とまったく同じはにかんだような笑顔で僕を迎え、毛むくじゃらの腕を差しだしてくれた。小柄なのに空手で鍛えた分厚い手をしっかり握って握手。言葉は少なかったけれど、再会を喜んでいる彼の気持ちが伝わってきた。僕の気持ちも伝わっただろうか。

 Mくんが病気で亡くなったらしいとの噂が届いたのはそれから5年程後の事だった。せっかくの再会であったのに、その後もまた音信不通となってしまったことを悔やんだが後の祭り。占領下の沖縄で高校時代までを過ごし東京の大学に進学し、ほんのひと時を共に過ごしたMくん。珍しくもない霜柱をカメラのファインダー越しに見ながら、ふとMくんのことを思い出した。

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蝋梅

 蝋細工のような梅の花と云うことなのでしょうね。名前に「梅」の字が付きますがバラ科サクラ属ではなく、実はロウバイ科ロウバイ属と、血縁関係はないようです。しかも今日ご覧いただくのは鮮やかな黄色の素心蝋梅(ソシンロウバイ)と云う園芸種のようです。

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たまには撮ってみる

 たまには時間をかけて撮ってみることもあります。とは云っても写真用の照明機材などまったくない限られたスペースと時間。限られた機材でどれだけの事が出来るのか、如何にして撮るかと云うのが腕の見せ所と云う事になりますからね。と云う程の写真ではありませんが、珍しく時間をかけた写真だと云う事で(^^;

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