唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
『1Q84』は比喩の見本帳もしくは『水戸黄門』
村上春樹氏の『1Q84』BOOK1&2を読んだ時にすぐに書こうと思いながら書きそびれ、BOOK3が出た時に今度こそと思いながら書きあぐねていた「1Q84読後感想文」だが、大上段に構えるから書けないのだと気付いた。郷秋<Gauche>は職業評論家じゃないんだからと。いつもの好き勝手、云いたい放題、書きたい放題、指から出まかせである。
表題を「『1Q84』は比喩の見本帳もしくは水戸黄門」としたが「比喩の見本帳」であるのは1Q84だけの特徴ではなく村上氏の作品全てがそうである。例えば語彙に乏しい郷秋<Gauche>が「彼女は軟らかそうな布地の淡いブルーのワンピースを着ていた」と書くところを、村上氏ならば「彼女はブルーのワンピースを身につけていた。その色は1月のイル・オ・セルフの海の色を写し取った画用紙を、インド洋を渡って来た風に18日程当て後のようにやや緑がかっていた。その色は私に遠い記憶を呼び覚まさせようとしたが、私は思い出すべき記憶が何であったのかさえ思い出す事が出来ずにただ彼女の姿を見続けていた」などと書かも知れないが、郷秋<Gauche>にはとてもその真似のカケラすらできないなぁ。もっともそれが出来たら郷秋<Gauche>も村上氏の次の次の次くらいには売れる作家になれるかも知れない。
郷秋<Gauche>の下手な比喩を読んでも面白くもなんともないので実際に村上氏が書いたものを幾つか引用してみる。実は思いっきり奇を衒った比喩でありながらも、そんな云い回しは平安時代から使われている、面白くもないごく普通の云い方でもとても云うようにさらりと読ませる技はさすが村上氏である。例えばこんな具合である。
「雲はパテでこしらえられたもののように、それぞれ不定形に堅くこわばっていた」(BOOK3 282頁)
「ウィスキーでほどよく暖まった身体は、今では海の底の孤独な丸石のように堅く凍えていた」(同 284頁)
「遥か北方の地にそれらの雲を無尽蔵に供給する源があるに違いない。頑なに心を決めた人々が、灰色の厚い制服に身を包んで、そこで朝から晩までただ黙々と雲を作り続けているのだ。蜂が蜜を作り(注)、蜘蛛が巣を作り、戦争が寡婦を作るように」(BOOK3 284頁)
「受話器を耳に当てると風の吹く音が聞こえた。流れに身を屈めて透明な水を飲む、美しい鹿たちの毛を軽く逆立てながら、谷を拭き抜けていく気まぐれな一陣の風だ」(同BOOK 424頁)
「その光は窓ガラス越しに部屋に射し込んで、二人の足もとに寡黙な日だまりを作りだしていた」(同 482頁)
村上氏は、比喩の天才なのである。
注:蜂は蜜を「集める」のであって「作る」のではない。村上氏も時には間違うのだ。
さて、表題の『水戸黄門』はと云えば、こう云うことである。
『1Q84』はどこまでも限りなく一点の疑いもなくこれまで通りの村上春樹作品であり、これまでの村上ファンを裏切ることをしない。つまり、例えば氏がこれまでの作品にはない新たな挑戦をしたのだと主張したとしても、幸か不幸かその試みは「村上春樹的世界」を脱してはいない。「村上春樹的世界」が拡張されたとは云えるかも知れないが。
『1Q84』はまったく別のところで起きつつある二つの物語が同時進行的に交互に描かれる。まったく別の物語が絡み合いいつしか収斂する構成は1985年に出版された『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で既に村上氏は我が物としている。当然のこととして『1Q84』と『世界の終わり~』には多くの共通点があるが、その最大はこれから向かう世界についてまったく語られないことであるが、あるいは村上氏自身にもわからないのではないとさえ思えるのである。
これまでの村上作品に登場する「僕」が1Q84においては川奈天吾という「実名」であること、職業がこれまでの作品には登場した事のなかった予備校講師であること以外は、川奈天吾はこれまでの村上作品の「僕」そのものである。BOOK3に出てくる看護婦、安達クミは『ノルウェイの森』の出てくる小林緑である。出て行くべき「猫の町」は『世界の終わり~』の一角獣の住む街そのものである。空気さなぎやリトル・ピープル、マザ、ドウタなどのスパイスや華麗で巧妙かつさり気ない「比喩」で飾り立てられ、一見複雑に見えるストーリーもこれまでの村上作品の枠の中にある。
しかし、金太郎飴のようにどこを切っても同じと云う訳ではない。読者を楽しませてくれる趣向が随所にちりばめられ物語にも変化がある。しかしながら読後感(あるいは読み味)は既刊の村上作品のほとんどと同じなのである。一見毎回違ったストーリーではあっても勧善懲罰、最後お葵のご紋の印籠を差し出して「控えおろう」。それでも読者の期待を裏切らないと云う点では「水戸黄門」あるいは「男はつらいよ」に勝るとも劣らない、氏の佳作である。
村上氏は毎年ノーベル文学賞の候補者にノミネートされているようだが(ノーベル財団からの公式発表ではない)、郷秋<Gauche>は氏の作品の商品性、エンターテイメント性の高さは大いに認めるところだが、同じようにノーベル文学賞にノミネートされながらついに受賞には至らなかった遠藤周作の作品における精神性・芸術性を村上氏の作品が上回っているのかと云う点においては、郷秋<Gauche>は大いに疑問を感じる。まっ、遠藤周作の作品においてはそのキリスト教理解(表現)がヨーロッパでは受け入れられにくい側面があった事が受賞の大きな障害になったのだろうけれど。
最後になったが、村上春樹ファンに誤解されないよう書いておこう。
郷秋<Gauche>が書いた村上春樹に関する記事
1Q84
村上春樹氏、記者会見に登場
ノーベル文学賞
物事には順序ってものがある
東京奇譚集
本というよりは、読書について
実は郷秋<Gauche>、村上春樹作品の(かなり)熱心な読者なのである。
追記:この小文は数日前から寝る前の僅かな時間を使って少しずつ書いたものであるが、未定稿である。今後断り無しに加筆・訂正(多分誤字・誤変換もかなりある)される可能性がある事をご承知おきいただきたい。
表題を「『1Q84』は比喩の見本帳もしくは水戸黄門」としたが「比喩の見本帳」であるのは1Q84だけの特徴ではなく村上氏の作品全てがそうである。例えば語彙に乏しい郷秋<Gauche>が「彼女は軟らかそうな布地の淡いブルーのワンピースを着ていた」と書くところを、村上氏ならば「彼女はブルーのワンピースを身につけていた。その色は1月のイル・オ・セルフの海の色を写し取った画用紙を、インド洋を渡って来た風に18日程当て後のようにやや緑がかっていた。その色は私に遠い記憶を呼び覚まさせようとしたが、私は思い出すべき記憶が何であったのかさえ思い出す事が出来ずにただ彼女の姿を見続けていた」などと書かも知れないが、郷秋<Gauche>にはとてもその真似のカケラすらできないなぁ。もっともそれが出来たら郷秋<Gauche>も村上氏の次の次の次くらいには売れる作家になれるかも知れない。
郷秋<Gauche>の下手な比喩を読んでも面白くもなんともないので実際に村上氏が書いたものを幾つか引用してみる。実は思いっきり奇を衒った比喩でありながらも、そんな云い回しは平安時代から使われている、面白くもないごく普通の云い方でもとても云うようにさらりと読ませる技はさすが村上氏である。例えばこんな具合である。
「雲はパテでこしらえられたもののように、それぞれ不定形に堅くこわばっていた」(BOOK3 282頁)
「ウィスキーでほどよく暖まった身体は、今では海の底の孤独な丸石のように堅く凍えていた」(同 284頁)
「遥か北方の地にそれらの雲を無尽蔵に供給する源があるに違いない。頑なに心を決めた人々が、灰色の厚い制服に身を包んで、そこで朝から晩までただ黙々と雲を作り続けているのだ。蜂が蜜を作り(注)、蜘蛛が巣を作り、戦争が寡婦を作るように」(BOOK3 284頁)
「受話器を耳に当てると風の吹く音が聞こえた。流れに身を屈めて透明な水を飲む、美しい鹿たちの毛を軽く逆立てながら、谷を拭き抜けていく気まぐれな一陣の風だ」(同BOOK 424頁)
「その光は窓ガラス越しに部屋に射し込んで、二人の足もとに寡黙な日だまりを作りだしていた」(同 482頁)
村上氏は、比喩の天才なのである。
注:蜂は蜜を「集める」のであって「作る」のではない。村上氏も時には間違うのだ。
さて、表題の『水戸黄門』はと云えば、こう云うことである。
『1Q84』はどこまでも限りなく一点の疑いもなくこれまで通りの村上春樹作品であり、これまでの村上ファンを裏切ることをしない。つまり、例えば氏がこれまでの作品にはない新たな挑戦をしたのだと主張したとしても、幸か不幸かその試みは「村上春樹的世界」を脱してはいない。「村上春樹的世界」が拡張されたとは云えるかも知れないが。
『1Q84』はまったく別のところで起きつつある二つの物語が同時進行的に交互に描かれる。まったく別の物語が絡み合いいつしか収斂する構成は1985年に出版された『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で既に村上氏は我が物としている。当然のこととして『1Q84』と『世界の終わり~』には多くの共通点があるが、その最大はこれから向かう世界についてまったく語られないことであるが、あるいは村上氏自身にもわからないのではないとさえ思えるのである。
これまでの村上作品に登場する「僕」が1Q84においては川奈天吾という「実名」であること、職業がこれまでの作品には登場した事のなかった予備校講師であること以外は、川奈天吾はこれまでの村上作品の「僕」そのものである。BOOK3に出てくる看護婦、安達クミは『ノルウェイの森』の出てくる小林緑である。出て行くべき「猫の町」は『世界の終わり~』の一角獣の住む街そのものである。空気さなぎやリトル・ピープル、マザ、ドウタなどのスパイスや華麗で巧妙かつさり気ない「比喩」で飾り立てられ、一見複雑に見えるストーリーもこれまでの村上作品の枠の中にある。
しかし、金太郎飴のようにどこを切っても同じと云う訳ではない。読者を楽しませてくれる趣向が随所にちりばめられ物語にも変化がある。しかしながら読後感(あるいは読み味)は既刊の村上作品のほとんどと同じなのである。一見毎回違ったストーリーではあっても勧善懲罰、最後お葵のご紋の印籠を差し出して「控えおろう」。それでも読者の期待を裏切らないと云う点では「水戸黄門」あるいは「男はつらいよ」に勝るとも劣らない、氏の佳作である。
村上氏は毎年ノーベル文学賞の候補者にノミネートされているようだが(ノーベル財団からの公式発表ではない)、郷秋<Gauche>は氏の作品の商品性、エンターテイメント性の高さは大いに認めるところだが、同じようにノーベル文学賞にノミネートされながらついに受賞には至らなかった遠藤周作の作品における精神性・芸術性を村上氏の作品が上回っているのかと云う点においては、郷秋<Gauche>は大いに疑問を感じる。まっ、遠藤周作の作品においてはそのキリスト教理解(表現)がヨーロッパでは受け入れられにくい側面があった事が受賞の大きな障害になったのだろうけれど。
最後になったが、村上春樹ファンに誤解されないよう書いておこう。
郷秋<Gauche>が書いた村上春樹に関する記事
1Q84
村上春樹氏、記者会見に登場
ノーベル文学賞
物事には順序ってものがある
東京奇譚集
本というよりは、読書について
実は郷秋<Gauche>、村上春樹作品の(かなり)熱心な読者なのである。
追記:この小文は数日前から寝る前の僅かな時間を使って少しずつ書いたものであるが、未定稿である。今後断り無しに加筆・訂正(多分誤字・誤変換もかなりある)される可能性がある事をご承知おきいただきたい。
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紫陽花
梅雨時を代表する花。日本の伊豆半島沿岸部が原産地だと云われていますが、もともとは「ガクアジサイ」で、これがヨーロッパで品種改良されて装飾花(機能的にはガク)だけが鞠状に咲く花が出来上がったようです。これを西洋紫陽花(ハイドランジャー)と呼んでいますが、現在日本で目にする紫陽花の多くがこのハイドランジャーのようです。ちょいと調べただけなので間違っているかも知れないので、これから時間をかけてじっくり調べてみたいなぁ。だって、郷秋<Gauche>の大好きな花なんだから。
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小林可夢偉7位入賞
2010年F1GP第9戦ヨーロッパGPで小林可夢偉が7位入賞。
見事だったのはその戦略であった。9周目に起こったマーク・ウェバーの大クラッシュによってセーフティーカーが導入され、各車一斉にピットインしタイヤ交換を行った中で小林はピットインせずそのまま走行し。セーフティーカーが戻った15周目にはベッテル、ハミルトンに次ぐ3位を走行。53周目にピットインするまで4位のバトンを押さえ込み38周にわたり堂々3位を走行。小林が立派と云うべきか、バトンが不甲斐無いと云うべきか。
ここで疑問なのは、小林が53周目までピットインを引っ張ったのが意図した作戦であったのか、怪我の功名であったのかと云うこと。つまり、ピットインのタイミングを逸してしまったことから思い切り引っ張る作戦に変更し、これがまんまと当たったのではないかと云うことである。
ところで、どこかのサイト(スポーツ新聞系のサイトだったな)には「日本人3人目となる表彰台は逃したが・・・」などと書かれていた。いくらレースの終盤に3位を走行していたとしても、ハード・ソフト両方のタイヤを使わなければならないルールがある以上「日本人3人目となる表彰台」などあるわけはない。スポーツ紙ならばルールに基づいた正確な記事を書いてもらいたいものである。
さて、53周目にピットイン後にコースに戻った時には9位のポジション。さすがに郷秋<Gauche>もこのままレースを終えるのだろうなと思ったのだが、昨日のバレンシア市街地コースにおける二番目に大きなドラマはこの後に起こることになったのはご存知の通り。
残り1周でアロンソを、最終周の最終コーナーでブエミをオーバーテイクしたのは、アロンソとブエミが40周走ったタイヤであったのに対して小林がフレッシュタイヤであった事を割り引いても、大殊勲。片山右京氏もF1の世界にもイチローや石川遼に匹敵する日本人ドライバーがついに現れたと、激賞していたなぁ。
大きな期待と共にフルシーズンドライバーとして登場した小林も、マシンの戦闘力の低さや自身の経験不足から期待はずれのままシーズン半ばに差し掛かり、ここで結果を出さなければ2011年のシートが危ないと云うところに来ての大アピール。国際映像が小林のピットインをヘリのカメラで捉えるなど注目度も抜群。更に二週間後のシルバーストンで、バレンシア市街地コースでの7位がフロックではなかったことを自ら証明することができれば、2011年のシートも安泰となることだろう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、24日にもご覧頂いたすみよしの森の紫陽花。
見事だったのはその戦略であった。9周目に起こったマーク・ウェバーの大クラッシュによってセーフティーカーが導入され、各車一斉にピットインしタイヤ交換を行った中で小林はピットインせずそのまま走行し。セーフティーカーが戻った15周目にはベッテル、ハミルトンに次ぐ3位を走行。53周目にピットインするまで4位のバトンを押さえ込み38周にわたり堂々3位を走行。小林が立派と云うべきか、バトンが不甲斐無いと云うべきか。
ここで疑問なのは、小林が53周目までピットインを引っ張ったのが意図した作戦であったのか、怪我の功名であったのかと云うこと。つまり、ピットインのタイミングを逸してしまったことから思い切り引っ張る作戦に変更し、これがまんまと当たったのではないかと云うことである。
ところで、どこかのサイト(スポーツ新聞系のサイトだったな)には「日本人3人目となる表彰台は逃したが・・・」などと書かれていた。いくらレースの終盤に3位を走行していたとしても、ハード・ソフト両方のタイヤを使わなければならないルールがある以上「日本人3人目となる表彰台」などあるわけはない。スポーツ紙ならばルールに基づいた正確な記事を書いてもらいたいものである。
さて、53周目にピットイン後にコースに戻った時には9位のポジション。さすがに郷秋<Gauche>もこのままレースを終えるのだろうなと思ったのだが、昨日のバレンシア市街地コースにおける二番目に大きなドラマはこの後に起こることになったのはご存知の通り。
残り1周でアロンソを、最終周の最終コーナーでブエミをオーバーテイクしたのは、アロンソとブエミが40周走ったタイヤであったのに対して小林がフレッシュタイヤであった事を割り引いても、大殊勲。片山右京氏もF1の世界にもイチローや石川遼に匹敵する日本人ドライバーがついに現れたと、激賞していたなぁ。
大きな期待と共にフルシーズンドライバーとして登場した小林も、マシンの戦闘力の低さや自身の経験不足から期待はずれのままシーズン半ばに差し掛かり、ここで結果を出さなければ2011年のシートが危ないと云うところに来ての大アピール。国際映像が小林のピットインをヘリのカメラで捉えるなど注目度も抜群。更に二週間後のシルバーストンで、バレンシア市街地コースでの7位がフロックではなかったことを自ら証明することができれば、2011年のシートも安泰となることだろう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、24日にもご覧頂いたすみよしの森の紫陽花。
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アガパンサス
庭先や、庭から逃げ出したものが道や畑の端で花を咲かせ始めました。今話題の南アフリカ原産。花の着き方からもわかる通り、日本の彼岸花と近縁の関係にあります。この手の花は絞りを開放にするとピントの合う範囲が狭くて「ピン」ト来ないし、絞るとバックが煩くなるしで難しいです。来週末にはリベンジできるでしょうか。
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合歓の花
近所の小学校の校庭の隅に植えられた合歓の木の花が咲いていました。郷秋<Gauche>が大好きな花です。撮るのが難しくてあれこれ撮っていると、ある旋律が頭の中に浮かんできました。
あなたは疲れた、お眠りなさいというように、あれは優しい淡い花・・・
これ以上は思い出せません。遠い遠い昔に聞いた、とっても優しい歌です。この曲についてご存知の方いましたらぜひ教えてください。
あなたは疲れた、お眠りなさいというように、あれは優しい淡い花・・・
これ以上は思い出せません。遠い遠い昔に聞いた、とっても優しい歌です。この曲についてご存知の方いましたらぜひ教えてください。
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昨日の記事のネタ本
読まないときには一ヶ月間雑誌以外には読まないこともある郷秋<Gauche>だけれど、このところ結構本を読んでいるなぁ。ハードカバーじゃなくて新書ばかりだけれど。
今日ご紹介するのは「新聞社も知りたい日本語の謎」。昨日書いた小文の「ネタ本」です。一つの話題がトイレの中で読むのにも電車やバスの中で読むにもちょうどいい、せいぜい5~6ページにまとめられていますので、ちょっと空いた時間に面白そうなところから拾って読んでいく事が出来きます。昨日がそうであったようにblogのネタ(と云うよりもヒントですね)にするのにも最適で。
以前、ブロガー(blogの書き手のこと)の一番の悩みは「何を書いていいのか判らない。書くべき話題が無い」だと書かれたものを読んだ事があります。そう云う方にとっては強い味方になると思いますが(書くべき事がないならblogやらなくてもいいんじゃない?とも思うけれど、これって禁句?)、著作権の問題がありますからくれぐれも丸写しにしたりはしないでください。駄文であっても駄写真であっても著作物に変わりはありませんので、日々、駄著作物生産に励んでいる郷秋<Gauche>としてはこのことがすごく気になるんですよね。
『新聞社も知りたい日本語の謎』(ベスト新書)
監修:橋本五郎 著者:読売新聞 新日本語取材班
KKベストセラーズ
ISBN 978-4-584-12263-1
発行年月日 2010年4月10日
新書判/285頁
900円(税込)
今日ご紹介するのは「新聞社も知りたい日本語の謎」。昨日書いた小文の「ネタ本」です。一つの話題がトイレの中で読むのにも電車やバスの中で読むにもちょうどいい、せいぜい5~6ページにまとめられていますので、ちょっと空いた時間に面白そうなところから拾って読んでいく事が出来きます。昨日がそうであったようにblogのネタ(と云うよりもヒントですね)にするのにも最適で。
以前、ブロガー(blogの書き手のこと)の一番の悩みは「何を書いていいのか判らない。書くべき話題が無い」だと書かれたものを読んだ事があります。そう云う方にとっては強い味方になると思いますが(書くべき事がないならblogやらなくてもいいんじゃない?とも思うけれど、これって禁句?)、著作権の問題がありますからくれぐれも丸写しにしたりはしないでください。駄文であっても駄写真であっても著作物に変わりはありませんので、日々、駄著作物生産に励んでいる郷秋<Gauche>としてはこのことがすごく気になるんですよね。
『新聞社も知りたい日本語の謎』(ベスト新書)
監修:橋本五郎 著者:読売新聞 新日本語取材班
KKベストセラーズ
ISBN 978-4-584-12263-1
発行年月日 2010年4月10日
新書判/285頁
900円(税込)
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今川焼き、大判焼き、回転焼き、太鼓焼き、そして金鍔
面白い文庫本を見つけた。本そのものについては後日紹介しようと思うが、郷秋<Gauche>的にはblogの「ネタ本」としては絶好である。ではさっそく「ネタ」にさせていただこう(^^)
有名なところでは、ハンバーガーのマクドナルドが首都圏では「マック」と呼ばれ、関西では「マクド」と呼ばれるなど、同じの物を指す言葉が地域によって変化することは良く知られている。勿論日本各地に「方言」と呼ばれる、その地域特有の言葉(言い方やイントネーション)が存在しているわけだが、そう云う意味では「マック」や「マクド」も新たな方言の出現と云えるのかも知れない。この「ネタ本」では、同じ物の呼び方が全国47都道府県でどのように変化しているかを沢山紹介しているのだが、今日はその中から「今川焼」の“問題”を取り上げる。
郷秋<Gauche>は18歳で東京に出て来るまで「今川焼き」と云う食べ物を知らなかった。正確に云えば、知らなかったのは「今川焼き」と云う言葉であって、そう云う食べ物を食べたことはあった。
「今川焼き」とは、新明解国語辞典第4版によれば「水に溶いた小麦粉を、平たい長円形の焼き型に流し、あんを入れて焼いた菓子。(広義では、円形の「太鼓焼き」と称するものをも含む)」であるらしい。日本人の98%は知っているだろう、最もポピュラーな和菓子(和菓子と云ってはまずければ、伝統菓子)であるが、その定義に「広義」や「狭義」があり、その狭義においては(新明解国語辞典第4版的にはということだが)今川焼きと大判焼きとが別物であったとは、郷秋<Gauche>は初めて知ったぞ。
さて、その広義の今川焼の呼び方だが、件の本に拠れば、郷秋<Gauche>のふるさと福島は今川焼きでも回転焼きでも大判焼でもない「その他(と混在)」に分類されている。では福島県では何と呼んでいるかと云うと「金鍔(焼き)」(きんつば)である。試しに「きんつば」を新明解国語辞典第4版で引いてみるとちゃんと載っていて、そこには「薄く伸ばした小麦粉であんを包み、鉄板の上で刀の鍔型(長方形)に焼いた菓子。今川焼きに似たもの。(現在普通に言う金鍔は、昔「銀鍔」と言ったもので、皮は米の粉で作った薄皮のものをさす)。とある。なるほど。
福島県(少なくとも中通り地方の)「きんつば」は、新明解国語辞典第4版云うところの「太鼓焼き」である。そして同時に昔は銀鍔と呼ばれた、あんを米の粉で作った薄皮で包んだもの(実際には片栗粉で寄せて長方体に切った粒あんに水で溶いた米粉をつけて鉄板の上で六面を焼いたものだろう)もまた「きんつば」と呼んでいるから紛らわしい。
と、前段までは実は昨晩寝る前に書いて、先ほど、夕べは読んでいなかった巻頭の「読者の皆さんへ」を読んだら、僅か3ページ程の中に「マック」と「マクド」の事や(ちなみの郷秋<Gauche>が使っているIME Standard2003では「まっく」と打つと「マック」に変換されるが「まくど」と打っても「マクド」とは変換されない)、「今川焼き」と「大判焼き」の事、「新しい方言」(郷秋<Gauche>は「新たな方言」と書いた)について書かれていた。どうやら郷秋<Gauche>は、監修者の文字通り「思う壺にはまり」、実に正しく読んでいたらしい(^^;。
例よって今日の一枚は、記事本文とは何の関係もないすみよしの森の紫陽花。紫陽花って、強めに剪定すると2、3年花をつけなくなってしまうんですね。ここの紫陽花も昨年から少し花を付けるようになり、今年になってようやく以前のような花を楽しめるようになりました。
有名なところでは、ハンバーガーのマクドナルドが首都圏では「マック」と呼ばれ、関西では「マクド」と呼ばれるなど、同じの物を指す言葉が地域によって変化することは良く知られている。勿論日本各地に「方言」と呼ばれる、その地域特有の言葉(言い方やイントネーション)が存在しているわけだが、そう云う意味では「マック」や「マクド」も新たな方言の出現と云えるのかも知れない。この「ネタ本」では、同じ物の呼び方が全国47都道府県でどのように変化しているかを沢山紹介しているのだが、今日はその中から「今川焼」の“問題”を取り上げる。
郷秋<Gauche>は18歳で東京に出て来るまで「今川焼き」と云う食べ物を知らなかった。正確に云えば、知らなかったのは「今川焼き」と云う言葉であって、そう云う食べ物を食べたことはあった。
「今川焼き」とは、新明解国語辞典第4版によれば「水に溶いた小麦粉を、平たい長円形の焼き型に流し、あんを入れて焼いた菓子。(広義では、円形の「太鼓焼き」と称するものをも含む)」であるらしい。日本人の98%は知っているだろう、最もポピュラーな和菓子(和菓子と云ってはまずければ、伝統菓子)であるが、その定義に「広義」や「狭義」があり、その狭義においては(新明解国語辞典第4版的にはということだが)今川焼きと大判焼きとが別物であったとは、郷秋<Gauche>は初めて知ったぞ。
さて、その広義の今川焼の呼び方だが、件の本に拠れば、郷秋<Gauche>のふるさと福島は今川焼きでも回転焼きでも大判焼でもない「その他(と混在)」に分類されている。では福島県では何と呼んでいるかと云うと「金鍔(焼き)」(きんつば)である。試しに「きんつば」を新明解国語辞典第4版で引いてみるとちゃんと載っていて、そこには「薄く伸ばした小麦粉であんを包み、鉄板の上で刀の鍔型(長方形)に焼いた菓子。今川焼きに似たもの。(現在普通に言う金鍔は、昔「銀鍔」と言ったもので、皮は米の粉で作った薄皮のものをさす)。とある。なるほど。
福島県(少なくとも中通り地方の)「きんつば」は、新明解国語辞典第4版云うところの「太鼓焼き」である。そして同時に昔は銀鍔と呼ばれた、あんを米の粉で作った薄皮で包んだもの(実際には片栗粉で寄せて長方体に切った粒あんに水で溶いた米粉をつけて鉄板の上で六面を焼いたものだろう)もまた「きんつば」と呼んでいるから紛らわしい。
と、前段までは実は昨晩寝る前に書いて、先ほど、夕べは読んでいなかった巻頭の「読者の皆さんへ」を読んだら、僅か3ページ程の中に「マック」と「マクド」の事や(ちなみの郷秋<Gauche>が使っているIME Standard2003では「まっく」と打つと「マック」に変換されるが「まくど」と打っても「マクド」とは変換されない)、「今川焼き」と「大判焼き」の事、「新しい方言」(郷秋<Gauche>は「新たな方言」と書いた)について書かれていた。どうやら郷秋<Gauche>は、監修者の文字通り「思う壺にはまり」、実に正しく読んでいたらしい(^^;。
例よって今日の一枚は、記事本文とは何の関係もないすみよしの森の紫陽花。紫陽花って、強めに剪定すると2、3年花をつけなくなってしまうんですね。ここの紫陽花も昨年から少し花を付けるようになり、今年になってようやく以前のような花を楽しめるようになりました。
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みんなNew AF-S 24-120mm f/4G VRIIを待っている
昨日は「What are you waiting for (Nikon DSLR)?」について書いた。今日は第二弾、「What are you waiting for (Nikon lenses)?」についてである。
DSLRと違って、レンズの方は上位5機種が僅差で競っている。カメラボディと違い、常用レンズは価格レンジ毎、APS-C/full frame毎に種類が豊富だし、サードパーティも多く、「これを首を長くして待っている」と云う物が無い事からのバラつきである。
レンズの上位はこんな様子であった。(昨朝7時現在)
1. AF-S 24-120mm f/4 20% 1,654(votes)
2. AF-S 85mm f/1.4 19% 1,540(votes)
3. AF-S 35mm f/1.4 16% 1,350(votes)
4. AF-S 80-400mm f/4-5.6 16% 1,289(votes)
5. AF-S 50mm F/1.2 13% 1,101(votes)
郷秋<Gauche>が待っているAF-S 24-120mm f/4の後継はトップだったが、もう一つ欲しいと思っているAF-S 28-300mm f/3.5-5.6(for full frame)は8本ある選択肢の後ろから2番目、僅か6% 517(votes)であった。しかしだ、8本の選択肢の中にDX(APS-C)用のレンズがたったの1本(18-135mm f/3.5-5.6)と云うのはどうなんだろうね。
昨日のボディの話の中でNikon Rumorの読者にはD3000のユーザーは少ないだろうと書いたのと同じ理由で、DX(APS-C)用のレンズの人気が無いということなんだろうな、きっと。
例よって今日の一枚は、記事本文とは何の関係もない蔓花茄子(つるはななす)梅雨入り前か夏の終わりまで、その涼しげな姿で見る者を和ませてくれます。
DSLRと違って、レンズの方は上位5機種が僅差で競っている。カメラボディと違い、常用レンズは価格レンジ毎、APS-C/full frame毎に種類が豊富だし、サードパーティも多く、「これを首を長くして待っている」と云う物が無い事からのバラつきである。
レンズの上位はこんな様子であった。(昨朝7時現在)
1. AF-S 24-120mm f/4 20% 1,654(votes)
2. AF-S 85mm f/1.4 19% 1,540(votes)
3. AF-S 35mm f/1.4 16% 1,350(votes)
4. AF-S 80-400mm f/4-5.6 16% 1,289(votes)
5. AF-S 50mm F/1.2 13% 1,101(votes)
郷秋<Gauche>が待っているAF-S 24-120mm f/4の後継はトップだったが、もう一つ欲しいと思っているAF-S 28-300mm f/3.5-5.6(for full frame)は8本ある選択肢の後ろから2番目、僅か6% 517(votes)であった。しかしだ、8本の選択肢の中にDX(APS-C)用のレンズがたったの1本(18-135mm f/3.5-5.6)と云うのはどうなんだろうね。
昨日のボディの話の中でNikon Rumorの読者にはD3000のユーザーは少ないだろうと書いたのと同じ理由で、DX(APS-C)用のレンズの人気が無いということなんだろうな、きっと。
例よって今日の一枚は、記事本文とは何の関係もない蔓花茄子(つるはななす)梅雨入り前か夏の終わりまで、その涼しげな姿で見る者を和ませてくれます。
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みんなD900を待っている
今朝、Nikon Rumorをのぞいたら「What are you waiting for?」と云うVoteを実施したいたのでさっそく郷秋<Gauche>もVoteしてみた。最初はWhat are you waiting for (Nikon DSLR)?
今朝7時の段階で次のような結果だった。
1. Nikon D700 replacement 54% 3,780(votes)
2. Nikon D90 replacement 21% 1,480(votes)
3. Nikon D3000 replacement 1% 67(votes)
4. Nikon EVIL 8% 539(votes)
5. Full frame Nikon DSLR 16% 1,096(votes)
in small body
過半数の54%の方がD700の後継機(それはD900と呼ばれることになるはず)の登場を待っており、ついでD90の後継機を待つ方が21%。さすがにNikon Rumorをチェックするほどの写真好き、カメラ好きにD3000のユーザーは少ないと見えて、D3000の後継機を待つ方は僅かに1%。ニコン製EVIL(Electric Viewfinder with Interchangeable Lensの略、つまりはOlympus E-P2のお仲間だ)の登場を待つ方8%、そしてフルサイズセンサーでかつD700よりも小型なボディのカメラの登場を待つ人16%と云う結果である。
D700は2008年の7月25日登場だからもうまもなく2年が経とうとしている。郷秋<Gauche>はこの夏のボーナスシーズンには登場すると読んでいたが、今日時点で発表されていないこと、各種情報で2010年内には登場したいとされていることなどを総合すると「待てど暮らせど登場しない」と云う事になりそうである。安くは無いだろうから今年の夏冬のボーナスを合わせて購入という計画には上手くマッチしているとも云えるな。
D90は2008年9月19日登場である。動画部分の先進性、いかに基本設計がしっかりしていたとは云え中級機としては既に賞味期限が切れているとも云えるからこちらも首を長くして待っているファンも多いことだろう。
ニコン製EVILを待つ方は8%と多くは無いが、これは五者択一であったことから他の選択肢に流れた方が多かった結果の8%と読むべきだろう。ニコンDSLRユーザーのサブ機として、ニコン製EVILのニーズは小さくないはずである。が、ニコンは4/3(フォーサーズ)よりも更に小さいイメージセンサーを搭載すると噂されている。これは問題だな。オリンパスはAPS-Cよりも小さなボディ・レンズを実現する為に4/3を採用したが、ソニーからAPS-Sセンサーを搭載しながらE-P1&2よりも更に小さいボディのNEX3&5が登場している。もはや「ボディがコンパクトだからイメージセンサーも小さいんです」じゃ通用しない。どうする、ニコン?!
郷秋<Gauche>は勿論「D700 replacement」に、清い一票を投じた。金なんかいくらでもあるんだから、買ってやるから早くD900を出せよ!んっ?金があるならD3Xを買えって?いや、その、あれは・・・、やたらにでかくて重いから、郷秋<Gauche>の体躯・体力を考えるとD900がちょうどいい(^^;。
と云うことで、今日はここまで。明日はもう一つのVote、「What are you waiting for (Nikon lenses - pick two)?」の結果(中間発表)についての考察。お楽しみに。
例よって今日の一枚は、記事本分とは何の関係もない南天の花。南天は冬につける赤い実を楽しむ(防腐の役目を期待され和食の添え物にも)ものとされていますが、梅雨時にこんな小さな花を咲かせるのです。
今朝7時の段階で次のような結果だった。
1. Nikon D700 replacement 54% 3,780(votes)
2. Nikon D90 replacement 21% 1,480(votes)
3. Nikon D3000 replacement 1% 67(votes)
4. Nikon EVIL 8% 539(votes)
5. Full frame Nikon DSLR 16% 1,096(votes)
in small body
過半数の54%の方がD700の後継機(それはD900と呼ばれることになるはず)の登場を待っており、ついでD90の後継機を待つ方が21%。さすがにNikon Rumorをチェックするほどの写真好き、カメラ好きにD3000のユーザーは少ないと見えて、D3000の後継機を待つ方は僅かに1%。ニコン製EVIL(Electric Viewfinder with Interchangeable Lensの略、つまりはOlympus E-P2のお仲間だ)の登場を待つ方8%、そしてフルサイズセンサーでかつD700よりも小型なボディのカメラの登場を待つ人16%と云う結果である。
D700は2008年の7月25日登場だからもうまもなく2年が経とうとしている。郷秋<Gauche>はこの夏のボーナスシーズンには登場すると読んでいたが、今日時点で発表されていないこと、各種情報で2010年内には登場したいとされていることなどを総合すると「待てど暮らせど登場しない」と云う事になりそうである。安くは無いだろうから今年の夏冬のボーナスを合わせて購入という計画には上手くマッチしているとも云えるな。
D90は2008年9月19日登場である。動画部分の先進性、いかに基本設計がしっかりしていたとは云え中級機としては既に賞味期限が切れているとも云えるからこちらも首を長くして待っているファンも多いことだろう。
ニコン製EVILを待つ方は8%と多くは無いが、これは五者択一であったことから他の選択肢に流れた方が多かった結果の8%と読むべきだろう。ニコンDSLRユーザーのサブ機として、ニコン製EVILのニーズは小さくないはずである。が、ニコンは4/3(フォーサーズ)よりも更に小さいイメージセンサーを搭載すると噂されている。これは問題だな。オリンパスはAPS-Cよりも小さなボディ・レンズを実現する為に4/3を採用したが、ソニーからAPS-Sセンサーを搭載しながらE-P1&2よりも更に小さいボディのNEX3&5が登場している。もはや「ボディがコンパクトだからイメージセンサーも小さいんです」じゃ通用しない。どうする、ニコン?!
郷秋<Gauche>は勿論「D700 replacement」に、清い一票を投じた。金なんかいくらでもあるんだから、買ってやるから早くD900を出せよ!んっ?金があるならD3Xを買えって?いや、その、あれは・・・、やたらにでかくて重いから、郷秋<Gauche>の体躯・体力を考えるとD900がちょうどいい(^^;。
と云うことで、今日はここまで。明日はもう一つのVote、「What are you waiting for (Nikon lenses - pick two)?」の結果(中間発表)についての考察。お楽しみに。
例よって今日の一枚は、記事本分とは何の関係もない南天の花。南天は冬につける赤い実を楽しむ(防腐の役目を期待され和食の添え物にも)ものとされていますが、梅雨時にこんな小さな花を咲かせるのです。
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カメラが回る?
新製品のカメラがショーケースの中のターンテーブルの上でクルクル回っているのか?いや、違うだろう。体育会系のごつい男がカメラを掴んだ腕をぐるぐる回しているのか?何かにぶつかったらカメラが壊れる。三脚のテーブル(雲台)の上で回っているのか。これは回すんじゃなくて「パンする」だ。あるいは回転寿司屋のベルトコンベアの上の皿にカメラが乗せられているのか。そんなことをしても何の意味も無い(いや、客の視点から寿司が載った皿を見るのではなく、寿司の視点から見た客の姿は、結構面白いかも知れない)。「カメラが回る」って、いったい何なんだ。
きっと今日当たりはネタ切れだろうと、神奈川新聞は今日も郷秋<Gauche>のblogのネタを提供してくれた。有り難や有り難や、神奈川新聞様。
今日の神奈川新聞19面にこんな記事があったのだ。「『戦争と食』を追って―捜真女学校の番組制作(上)」。ページの半分を占める大きな記事だが、記事に添えられた写真のキャプションが「カメラが回る中で、江藤さんにインタビューする番組班の玉木さん」。
郷秋<Gauche>の学生時代だから大昔の話だが、コンパ(もはや私語?)の席に数年前に卒業した先輩(関係者向け注:N氏だ)がやって来て、頼みもしないのに宴会芸を始めたことがあった。仔細は忘れたがその「芸」の中に映画を撮影する仕草があった。彼は耳の辺りに持っていった右手をクルクル回して撮影しているゼスチャーを疲労披露したのだった。そのカメラ(の想定)が8mmなのか16mmなのかは知らないが、電池とモーターでフィルムを送るのではなく、ゼンマイ仕掛けのフィルム送りで、そのネジを巻いている仕草なのだろうと郷秋<Gauche>は理解した。
ゼンマイ仕掛けの蓄音機のネジを巻く話は辛うじて知っている郷秋<Gauche>だが、映画のカメラのフィルム送りがゼンマイ仕掛けで、ホントにそんな風にゼンマイを巻きながら撮影したのかどうか郷秋<Gauche>は知らないが、神奈川新聞か書いた「カメラが回る」は、きっとこのことなんだろうと想像した。あるいはもっと単純にフィルムが回っているという意味かも知れないが。
フィルム送りが電動式だろうがゼンマイ式だろうが、フィルムが回らなければ映画(動画)は撮影できない。だから撮影時には必ずフィルムは回る。でも、カメラは回らない。もし、件のOBがやった仕草が本当だとしても、それはカメラが回るのではなく「ネジを回す(巻く)」だ。フィルムの時代からテープの時代になっても確かにテープは回っていた。HDDの時代になっても確かにHDDのディスクは回っていた(しつこい!)でもカメラは回らない。
しかしだ、ついにシリコンチップにデータを記録する時代になった今、撮影中のカメラの中で回っているものは無い。強いてあげればフォーカスする時、ズームする時には確かにそれ用のモーターは回るが、フォーカスもズームも固定なら、撮影中でも回るものは何も無いのが今のビデオカメラだ。そんな時代だと云うのに、神奈川新聞は「カメラが回る」と書く。ちょっとアナクロニズムが甚だしいのではないか。
しかしだ、今でも教員として勤めることを「教鞭(きょうべん)をとる」と云う。「鞭」とは字の如く(と云うか)「むち」(そのもの)である。今どき教員が児童・生徒に鞭を振るっていたらすぐさま警察のお出ましだ。警察沙汰にならないようにするためには「教壇に立つ」と表現すればいいだろう。
下駄なんか入っていないのに下駄箱、筆なんか入っていないのに筆箱と、市井の私たちは今でも云うが、そこは言葉のプロである新聞社としては時代に合った表現、言い回しを考えて積極的に使って欲しいものである。フィルムを使うカメラさえも知らない子どもが増えてきている今、フィルムどころか「カメラが回る」は無いだろう、神奈川新聞。
と云う訳で(と云うのは枕詞みたいなもので何の意味もありません)今日の一枚は、例によって今日の記事本文とは何の関係もない(昨日の記事とはちょっと関係ある)、郷秋<Gauche>の庭に出てきた捩花(ねじばな、もじずり)。でも、全然捩れていない。郷秋<Gauche>の庭の捩花は郷秋<Gauche>に似てまっすぐ素直?なのだ。
きっと今日当たりはネタ切れだろうと、神奈川新聞は今日も郷秋<Gauche>のblogのネタを提供してくれた。有り難や有り難や、神奈川新聞様。
今日の神奈川新聞19面にこんな記事があったのだ。「『戦争と食』を追って―捜真女学校の番組制作(上)」。ページの半分を占める大きな記事だが、記事に添えられた写真のキャプションが「カメラが回る中で、江藤さんにインタビューする番組班の玉木さん」。
郷秋<Gauche>の学生時代だから大昔の話だが、コンパ(もはや私語?)の席に数年前に卒業した先輩(関係者向け注:N氏だ)がやって来て、頼みもしないのに宴会芸を始めたことがあった。仔細は忘れたがその「芸」の中に映画を撮影する仕草があった。彼は耳の辺りに持っていった右手をクルクル回して撮影しているゼスチャーを
ゼンマイ仕掛けの蓄音機のネジを巻く話は辛うじて知っている郷秋<Gauche>だが、映画のカメラのフィルム送りがゼンマイ仕掛けで、ホントにそんな風にゼンマイを巻きながら撮影したのかどうか郷秋<Gauche>は知らないが、神奈川新聞か書いた「カメラが回る」は、きっとこのことなんだろうと想像した。あるいはもっと単純にフィルムが回っているという意味かも知れないが。
フィルム送りが電動式だろうがゼンマイ式だろうが、フィルムが回らなければ映画(動画)は撮影できない。だから撮影時には必ずフィルムは回る。でも、カメラは回らない。もし、件のOBがやった仕草が本当だとしても、それはカメラが回るのではなく「ネジを回す(巻く)」だ。フィルムの時代からテープの時代になっても確かにテープは回っていた。HDDの時代になっても確かにHDDのディスクは回っていた(しつこい!)でもカメラは回らない。
しかしだ、ついにシリコンチップにデータを記録する時代になった今、撮影中のカメラの中で回っているものは無い。強いてあげればフォーカスする時、ズームする時には確かにそれ用のモーターは回るが、フォーカスもズームも固定なら、撮影中でも回るものは何も無いのが今のビデオカメラだ。そんな時代だと云うのに、神奈川新聞は「カメラが回る」と書く。ちょっとアナクロニズムが甚だしいのではないか。
しかしだ、今でも教員として勤めることを「教鞭(きょうべん)をとる」と云う。「鞭」とは字の如く(と云うか)「むち」(そのもの)である。今どき教員が児童・生徒に鞭を振るっていたらすぐさま警察のお出ましだ。警察沙汰にならないようにするためには「教壇に立つ」と表現すればいいだろう。
下駄なんか入っていないのに下駄箱、筆なんか入っていないのに筆箱と、市井の私たちは今でも云うが、そこは言葉のプロである新聞社としては時代に合った表現、言い回しを考えて積極的に使って欲しいものである。フィルムを使うカメラさえも知らない子どもが増えてきている今、フィルムどころか「カメラが回る」は無いだろう、神奈川新聞。
と云う訳で(と云うのは枕詞みたいなもので何の意味もありません)今日の一枚は、例によって今日の記事本文とは何の関係もない(昨日の記事とはちょっと関係ある)、郷秋<Gauche>の庭に出てきた捩花(ねじばな、もじずり)。でも、全然捩れていない。郷秋<Gauche>の庭の捩花は郷秋<Gauche>に似てまっすぐ素直?なのだ。
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雑草大好き
郷秋<Gauche>は雑草が大好きである。幾種類かの雑草をわざわざ庭に植えたりしている。さすがに大葉子(おおばこ)や姫女苑(ひめじょおん)や春紫苑(はるじおん)をわざわざ植えたりはしないが、桃色昼咲き月見草は種を買ってきて蒔いた。
ドクダミ、露草(つゆくさ)、母子草(ははこぐさ)、庭石菖(にわぜきしょう)、捩花(ねじばな)はひとりでに生えてきた。二輪草(にりんそう)は許しを得て頂いてきた。姫蔓蕎麦(ひめつるそば)、赤花夕化粧(あかばなゆうげしょう)、花韮(はなにら)、大甘菜(おおあまな)は道端に生えているものを採って来た。
しかし、雑草と言われる草花の多くは名前が良く判らない。散歩に行く時にちょっと持って行けるコンパクトな図鑑はないかと探していたのだが、ようやく適当なものが見つかった。330種掲載されていると云うから、大概のものは知る事が出来るだろうか。
先に我が家に生息する雑草(野草)を幾つかあげたが、実はそのほかにも欲しいものがある。例えば藪蘭(やぶらん)、芋片食(いもかたばみ)、勿忘草(わすれなぐさ)なんかも育ててみたい。春先に大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり)の愛らしい花が一面に咲いたら素敵だとも思う。
誰かが「名も無い野の草」と書いたのを見つけた、植物学者でもあった昭和天皇が「名の無い草は一つとしてない」と云ったと、何かで読んだ事がある。ニューギニアやアマゾンの奥地じゃあるまいし、日本の都会の道端で生息している草花は確かにすべて研究され尽くしているのだろう。
時として帰化植物は悪者扱いされるけれど、日本の秋を代表する花と云われるほどのコスモスだって帰化植物である。帰化植物であっても郷秋<Gauche>は気に入ったものは道端から採って来て、種を買ってきて育ててみたい。雑草の花は小さく地味かも知れないが、良く見るとどれも個性的で美しいから。
さて、「花と葉で見わける野草」を持って歩いて、幾種類の雑草を見つけ、どれ程の名前を覚える事が出来るだろうか。
『花と葉で見わける野草』
監修:近田文弘 写真:亀田龍吉 編著:有沢重雄
小学館
ISBN 978-4-09-208303-5
発行年月日 2010年4月10日
四六変/272頁
1,995円(税込)
ドクダミ、露草(つゆくさ)、母子草(ははこぐさ)、庭石菖(にわぜきしょう)、捩花(ねじばな)はひとりでに生えてきた。二輪草(にりんそう)は許しを得て頂いてきた。姫蔓蕎麦(ひめつるそば)、赤花夕化粧(あかばなゆうげしょう)、花韮(はなにら)、大甘菜(おおあまな)は道端に生えているものを採って来た。
しかし、雑草と言われる草花の多くは名前が良く判らない。散歩に行く時にちょっと持って行けるコンパクトな図鑑はないかと探していたのだが、ようやく適当なものが見つかった。330種掲載されていると云うから、大概のものは知る事が出来るだろうか。
先に我が家に生息する雑草(野草)を幾つかあげたが、実はそのほかにも欲しいものがある。例えば藪蘭(やぶらん)、芋片食(いもかたばみ)、勿忘草(わすれなぐさ)なんかも育ててみたい。春先に大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり)の愛らしい花が一面に咲いたら素敵だとも思う。
誰かが「名も無い野の草」と書いたのを見つけた、植物学者でもあった昭和天皇が「名の無い草は一つとしてない」と云ったと、何かで読んだ事がある。ニューギニアやアマゾンの奥地じゃあるまいし、日本の都会の道端で生息している草花は確かにすべて研究され尽くしているのだろう。
時として帰化植物は悪者扱いされるけれど、日本の秋を代表する花と云われるほどのコスモスだって帰化植物である。帰化植物であっても郷秋<Gauche>は気に入ったものは道端から採って来て、種を買ってきて育ててみたい。雑草の花は小さく地味かも知れないが、良く見るとどれも個性的で美しいから。
さて、「花と葉で見わける野草」を持って歩いて、幾種類の雑草を見つけ、どれ程の名前を覚える事が出来るだろうか。
『花と葉で見わける野草』
監修:近田文弘 写真:亀田龍吉 編著:有沢重雄
小学館
ISBN 978-4-09-208303-5
発行年月日 2010年4月10日
四六変/272頁
1,995円(税込)
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写真展、一週間
火曜日に始まりましたので、正確には今日は5日目ですが、明日は私自身が会場にいられないこともあり、一週間くらい経った気分です。今日は11時から18時まで会場におりましたが、次々においでくださる方がおりましたのであっという間に7時間が過ぎてしまいました。お忙しい中、暑い中、折角のお休みのところお運びくださいました皆様、ありがとうございました。
という訳で今日の一枚は郷秋<Gauche>の小さな写真展の会場、カフェ・コレットの外観。橋本駅南口を出て徒歩1分のところですが、ちょっとわかりにくいとの話しもお聞きしました。橋本駅南口を出ますとほぼ正面に神奈川県立相原高校があります。駅と相原高校の間の道を横断歩道または歩道橋で渡り、右方向にお進みください。1分程歩いた左側のビルの1階に上の写真のお店があります。
という訳で今日の一枚は郷秋<Gauche>の小さな写真展の会場、カフェ・コレットの外観。橋本駅南口を出て徒歩1分のところですが、ちょっとわかりにくいとの話しもお聞きしました。橋本駅南口を出ますとほぼ正面に神奈川県立相原高校があります。駅と相原高校の間の道を横断歩道または歩道橋で渡り、右方向にお進みください。1分程歩いた左側のビルの1階に上の写真のお店があります。
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禁煙トイレ
郷秋<Gauche>が週に一度必ずお世話になる、あかねの森の南麓にある鍛冶谷(かじやと)公園のトイレである。入り口の右側が男女兼用の個室で左側が男性専用だが、こうして改めて写真を見ると建物の向かって左側の方が大きい。ポンプ室でもあるんだろうか。って、トイレの構造はどうでも良く、今日の本題は入り口の右側にあるA4サイズほどの貼紙である。
「このトイレは、(神奈川県制定の)受動喫煙防止条例に従い4月1日より禁煙とさせていただきます」と書かれている。例えば、ホテルの宴会場やコンサートホールなど大きな公共的施設のトイレなどだと一度に何十人もの人が利用するから禁煙も当然の処置だが、果たして(児童)公園中にあるこのトイレだけを禁煙にする意味があるのか。公園全体を禁煙にするべきだろうと郷秋<Gauche>は思うぞ。
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