唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
郷秋<Gauche>とライブドアとの関係
郷秋<Gauche>がE-Mailを使い始めたのは1995年の5月だから、相当早い。どのくらい早いかと言えば、毎日このblogをご覧くださる約200名の方の中で郷秋<Gauche>よりも前にE-Mail(つまりInternetだな)を使っていた方は10名はいないだろうというくらいに早い。で、そのときからMailerはずっとEudora(ユードラと読む)を使い続けている。
Eudoraは1988年にイリノイ大学で研究をしていたSteven Dornerによっては開発された。最初期はMacintosh用のものだけであったが後にWindows用のものも開発され、Eudora PRO for Windowsとして販売されるようになる。郷秋<Gauche>が初めて E-Mailを使ったのはMac+Eudoraだったけれど、Windows98の登場以降はずっとWindows+Eudora PROを利用している。
最初に自分で買ったEudoraは1997年のEudora PRO for Windows Version 3.0-Jだ。日本語版版権は株式会社クニリサーチインターナショナルが持っており、販売もクニ社が行っていた。その後バージョンアップ版のVer.4.2を購入したがこれもクニ社が販売していた。
しばらくこのVer.4.2を利用していたが、PCを買い替えOSがXPになったのを機会に最新版のEudora PRO Ver. 6Jを購入(現在はVer.6.2になっている)した。既にCDが箱に入った「パッケージ」ではくダウンロード販売が一般的になりつつある時期で、郷秋<Gauche>もダウンロード版を購入。この時にちょっと驚いたのが、ディーラーがそれまで聞いたこともない「エッジ株式会社」になっていたことである。2003年11月のことだ。

そのエッジ社は2004年2月1日に社名をライブドアに変更し現在に至るのだが、それに伴いEudoraを起動するたび表示されるクレジット画面(正しくは何というのだろうか)の最下段には「株式会社ライブドア」とクレジットされることになった(上の画像をご覧いただきたい)。
しばらく前にライブドアからはEudora 7J for Windowsが登場する旨の案内が来ていたが、つい数日前に2月10日の発売予定を3月上旬に延期さするとの告知がWebに掲載された。郷秋<Gauche>としては現状のVer.6.2でなんの不満もないからバージョンアップの予定はなく、発売が遅れたからと言ってどうと言うことはないのだけれど、これはもう、開発の遅れというよりは旧経営陣が軒並み「容疑者」と呼ばれるようになったことの影響としか考えられないよな。
今時お金を出してMail Softを購入するなんて!と思われる方も少なくないかもしれないけれど、お金を払ってでも使いたくなるMailerって、やっぱりあるんです。使いこなせない程たくさんの機能がありながら、ごく自然に使いこなすことができるインターフェイスにはやはり「一日の長」がありますね。購入することが結果としてライブドアに対する「資金援助」になってしまうので、イマドキどうしたものかと考えてしまうのではありますが・・・。
デジタルカメラにPCは不要?
PCとプリンターを使わずにプリントする方法は2つあると書かれている。ひとつはDPEショップ(つまり街の写真屋さんだな)でプリントする方法、そしてもうひとつがセルフプリント機を使う方法だというのだが、セルフプリントっていったいなんだ?
デジタルカメラ用写真自動プリント機のことで、家電量販店やスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどに置いてあるというのだけれど、郷秋<Gauche>は見たことがないぞ。と思ったけれどよくよく考えてみたら以前に書いた「レーザー露光熱現像転写銀塩方式」のプリント装置のことのようだ。L版1枚30~50円でプリントできるらしい。
順番が逆になったけれど「DPEショップでプリントする方法」についても若干の解説が必要だろう。写真をフィルムで撮影するのが当たり前だった頃には(つい最近のことだけれど・・・)、撮影済みのフィルムを写真屋さんに持って行ってフィルムの現像とプリントを依頼するのがごく普通のやり方だった(ネガフィルムの場合)。デジタルで撮影した場合にはフィルムではなくてSDカードやメモリースティックといった記録媒体を持っていってプリントを頼むことになる。
この「写真屋さんプリント」には記録媒体を渡して撮った写真を全部プリントしてもらう方法を、店内に設置された「受付機」にカードやスティックを差して自分で必要な写真の「コマ」を指定するなどして注文する方法とがある。小さく表示された写真を見ながらタッチパネルを押すだけなので簡単だけれど、機械の操作が苦手な方にはこれでも「難しい」かも知れない。
写真屋さんを利用してプリントする方法は、既にその40%がデジタルカメラからのプリントであり、業界大手の「富士フィルムイメージング」では、おそらくは今年中には50-50になるだろうと見ているようである(この場合のプリント方式についてもこちらに書いているので興味ある方は参照ください)。
さて、郷秋<Gauche>はどうしているかと言えば、もっぱら「写真屋さんプリント」を愛用している。ただし、画像のデータだけをPC・Internet経由で送る「ネットプリント」である。良く利用するKG判(ハガキサイズ、ライカ版がほぼノートリミングでプリントされる)が47円、六切りワイド(A4より僅かに横長、KG判同様ライカ版がほぼノートリミングでプリントされる)が368円と自分のプリンターを利用する場合(自家プリント)とほぼ同価格である。
プリント1枚あたりが自家プリントと同価格ということは、プリンターを購入するという初期投資が不要であること、プリントしている間中かかりきりになる時間もあわせて考えると、相当にお徳だということになる。写真屋さんに取りに行くのが面倒だと言う方のためには宅配もしてくれる。第一、自家プリントの場合だって時々は用紙やインクを買いに行かなければならないではないか。
と、まあ、こんな具合で、デジタルカメラで撮った写真をどうやってプリントするかは、その人それぞれの価値観と好みでいろいろだとは思うけれど、写真屋さんで印画紙に焼いてもらうのがやっぱり綺麗だし、どうも保存性にも優れているのではないかと思う郷秋<Gauche>ではあるのです。

さて今日の一枚は、一昨日に登場いただいた「ねこくん」(ねこくん、という名前のネコです)の1年前。
ANA系列に格安エアライン登場か
航空先進国であるアメリカ合衆国においては大手エアラインが自社系列に低運賃エアラインを設立することが半ば常識化している。機材の点検整備は親会社に委託、運行乗務員(パイロット)は親会社の定年退職者もしくは低い給与で雇用可能な外国人。客室乗務員(キャビンアテンダント)はパートタイムを採用し、ターンアラウンドの際の機内清掃等はこの客室乗務員が担当。搭乗手続きまでもを彼女(彼)ら担当させている。
勿論機内でのサービスは限りなくゼロに近い。アメリカ合衆国においては客室乗務員の制服がないところまであるが、これが日本で容認さるかどうかは怪しい(かつて一部の低価格ファミリーレストランで導入された「自前のジーンズに白シャツ」は顧客に受け入れられずに早々に姿を消した。10年前の「ガスト」のことである)。
このようなエアラインが登場したとしても、その路線は当然収益が見込まれる羽田-札幌線・羽田-福岡などであり、1日2往復程度のローカル線は相変わらず高価格のままとなるのであろう。低運賃エアラインを設立すること自体に異議はないが、その一方では不採算路線の切捨てや運賃値上げがあるのだとすれば、とても容認できるものではない。
低運賃エアラインの登場でもうひとつ気になるのは低価格と同時に「低安全」運行になるのではないのかと言うことである。まっ、今回の発表がJAL ではなくANAから出されたものであることがせめてもの救いか。故障率・事故率は親会社よりも子会社、子会社よりも孫会社の方が高いというのが世の常識だからである。ただでさえ故障率・事故率の高いJALの系列に低運賃エアラインが出来た日には、心配だぞ。

今日の一枚は、一週間前の雪の日の翌日に撮影したもの。
[ 撮影 : すみよしの森 ]
SUPER AGURI
2006シーズン参戦が正式に許可された
当初、書類上のミスにより2006年エントリーリストから漏れたとの説明であったが、デポジット(4,800万ドルといわれる)未払いによるものであったことが判明。
マシンは旧アロウズの2002年型ベース
当然2002年型そのものを走らせるわけにはいかない。2006年のレギュレーションに適合させる(当然V8エンジン搭載への変更も含まれる)と共に空力デバイスは可能な限りの見直しがされるものと思われる。型番はSA05。開幕から数戦はこのマシンで戦い、ブランニューのマシン(SA06)のデビューはヨーロッパラウンドからと思われる。
エンジンはHONDA V8
HONDAのジュニアチームとしてのデビューが噂になった頃からの公然の秘密。4年落ちのマシンでテールエンダー覚悟のエントリーと言われるが、HONDA V8のパワーにより最下位は免れるか。
タイヤはBS
果たしてベストの選択であるかどうかはわからないが鈴木亜久里氏の「想い」であろう。
ファーストドライバーは佐藤琢磨
現時点では正式な契約は成立していないとのことであるが、2005年限りでBAR HONDAから放出されている琢磨には他の選択肢はないことからこれは確実。
セカンドドライバー
種々の噂・情報はあるものの現時点では不明。他のWeb Page、Blogの「噂」を参照のこと。
スポンサー
4,800万ドルといわれているデポジットをいったい誰が出資したのかを含めて現時点では不明。
最後に、マシンのカラーリング
『日の丸』を意識した白と赤を使ったカラーリングになるとの情報があるが、勿論スポンサー次第である。
1964年、果敢にF1に挑戦したHONDA RA272と同様のアイボリーホワイトに日の丸になるのか。本田宗一郎は当初ゴールドに塗ったマシンを走らせたかったようであるが、この色が当時は南アフリカのナショナルカラーとして登録されていたために断念しアイボリーホワイトに日の丸になったと言われている。果たしてどんなカラーをまとったマシンがバーレーンのスターティンググリッドに並ぶのか、6週間後が楽しみである。

今日の一枚は、「ねこくん」。話せば長くなるのでここには書かないが、一昨年11月に我が家に3泊した「ねこくん」、当時は生後6カ月の子猫だったが、久しぶりに会った「ねこくん」はすっかり大人になっていた。それでも僕のことを覚えていてくれたのか、差し出した指を舐めてくれた。
今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now

「i(アイ)」登場
この「i(アイ)」、「三菱の再建の鍵に握る」と盛んに報道されているけれど、いまどlき後ろにエンジンを置くなど、クルマ好きからも大いに注目を集めている。
リアエンジンのクルマといえばフォルクスワーゲンのビートルやフィアットのチンクエチェント(500)、日本においてもスバル360など、小型車分野では圧倒的に多いレイアウトであったがその後ミニ流のフロントエンジン・フロントドライブ(FWD)のクルマが主流になり、一時期このレイアウトのクルマが消えていた時期もある。
FWD全盛の時代にリアエンジンレイアウトで殴りこみをかけたのがスマート(クーペ、その後フォー・ツーと改名)だけれど、「i(アイ)」はこのスマートに良く似ている。三菱とダイムラー・クライスラーが提携関係にあったことから、「i(アイ)」がスマートの影響を大きく受けているであろうことは想像に難くない(日本車には珍しい前後で異なるタイヤサイズなどはまさに「スマート流」)。
クルマの後部にエンジンを置くからリアエンジンだけれど、「i(アイ)」は「リア・ミド・シップ」だという。過去に繁栄していたリアエンジン車は後輪車軸の後ろにエンジンを搭載していたのでリアエンジンだけれど「i(アイ)」の場合には後輪車軸の前にエンジン(の重心)があるので「リア・ミド・シップ」なのだろう。
「リア・ミド・シップ」とは逆に「フロント・ミド・シップ」というレイアウトもある。前輪車軸よりも後ろにエンジンが搭載されていることから日本ではマツダのRX-7がフロント・ミド・シップを名乗ったのが、当時は目新しかった。
なぜクルマがミド・シップにこだわるかのかと言えば、それが高性能車のキーワードの重要な一つになっているからである。重たいエンジンを前後輪車軸の中間に載せることで、クルマのコーナリング性能が大幅に向上する。F1をはじめとして現代のレーシングカーのほとんどがこのレイアウトだ。高級(=高価)かつ高性能スポーツカーの代表、フェラーリも勿論ミド・シップだし我が国唯一のスーパースポーツ、HONDA NSXもミド・シップだ。そして「i(アイ)」と同じ660ccのエンジンを積んだビートもミド・シップであった。
スペース効率を追及した結果ミド・シップに辿り着くクルマもあった。最初にご紹介したトヨタの初代エスティマがそうであったが、残念ながらと言うべきか2代目にはコンベンショナルなフロイントエンジンとなってしまった。
スマートにはフォー・ツーからかなり遅れて追加された4ドア・5人乗りのスマート・フォーフォー(車名はフォー「フォー」だが、実は5人乗り)がある。これは三菱のコルトをベースにしたクルマだが(あるいは異論があるかも知れない)フォー・ツーと比べると相当に大きく、そのテイストの違いは余りにも大きい。むしろ今回登場の「i(アイ)」をスマート・フォーフォーとして販売した方がはるかに大きな成功を収めることが出来たのではないかと、郷秋<Gauche>は思う。
高価(128~161万円)だと言っても利幅の小さい軽自動車故に台数がはけたとしてもどれ程経営的に貢献できるのかはわからない。果たしてこの「i(アイ)」が成功したからと言っても三菱自動車が再起できるかどうかは実に怪しいが、ただ「i(アイ)」が売れたとすれば「禊が終った」印象を定着されることはできることだろう。
いろいろ書き過ぎて何を言いたいのか訳の分からない散漫な文章になってしまったけれど、郷秋<Gauche>が「i(アイ)」を評価しているということを、最後に明記しておきたい。もし郷秋<Gauche>がいま非常に小さいクルマを買うことを迫られたとしたら、間違いなく「i(アイ)」はその第一候補となることは確実である(ただし二人乗りで良いとなればコペンが急浮上!)。

例によって記事本文とは何の関係もない今日の1枚は、三浦半島南端の大根畑から西北西の方向、相模湾の向こうに見える富士山。手前の大根畑の向こうに広がる白っぽい部分は大根の収穫後に植えられたキャベツの苗を覆う布です(だと思います)。
風力発電機とショートストーリー

23日に掲載した写真の天と地との境い目、中央やや右よりにニョッキリと2基の風車が立っているのにお気づきになられただろうか。三浦半島南端に立つ風力発電機だ。首都圏に一番近いところにある風力発電機かも知れない。
いま読み直すと赤面するほどにコッパズカシイけれど、郷秋<Gauche>はこの風車を含めた三浦半島南端を舞台にしたショートストーリーを書いている。まっ、笑ってやってください(^^;。
三浦半島撮影行
郷秋<Gauche>の住む横浜・青葉区からの三浦半島はその南端部まで行っても第三京浜、横浜横須賀道路を経由して1時間ちょっとの距離。これまでにも何度か訪ねた所ではあるのですが、大根やキャベツの畑が台地が尽き海に落ちるその際まで続く景色に、その都度圧倒されていたのでした。そんな三浦半島への撮影行でした。
今回は所謂「ロケハン」的な撮影です。つまりどこにどんなポイントがありどんな写真が撮れそうなのか、時間ごとの太陽との位置関係はどうなのか、クルマを止められそうな場所があるのか、そんなことの確認が主な目的。昼食をはさんで4時間半ほどで13のポイントをチェック、300枚程撮影してきました。
またすぐに行けるかどうか定かではありませんが、春までには何とか時間を作って行ってみたいと思っております。それにしても見事な大根畑でした。

[ 撮影:三浦半島南端]
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自然に生かされている
『魚の行商で羽越線が開通した時から利用しているという酒田市の上嶋みよさん(80)は「事故が雪や風のせいだったら仕方ない。運転再開はうれしいこと。これからも利用する」と話した。』(神奈川新聞 1月20日 21面)
私たちはともすると事の原因を見つけ、それが悪かったのだと非難する。しかし、厳しい東北地方の自然の中で80年という年月を生きてきた上嶋さんは事故の原因であったかのかも知れない自然を非難しない。そこには人間は自然によって生かされているのだという、実にたおやかな自然と人間との関係を見出すことができる。
「雪や風のせいだったら仕方ない」。時として忘れがちな、私たち人間が大自然の一要素として多くの自然事象の中で他の動植物と共に生かされている存在であるという事実を思い出させてくれる、重い、言葉だ。

今日の1枚は、冬の森の何気ないひとコマ。
「郷秋<Gauche>の独り言」はF1 blogか
「郷秋<Gauche>の独り言」はこのところ200~250程のアクセス(gooの全blog 440,000件中(1日約1,000ずつ増加中)700~1,000番程度。つまり上位0.2%以内!)なのだが、数種あるアクセス解析の中の「検索キーワード」を見ると、毎日30~40名もの方が「F1 & 2006」をキーワードに検索して「郷秋<Gauche>の独り言」をお訪ねくださっているということがわかる。
これはもう2位以下を大きく引き離しての連日ダントツ1位の検索キーワードなのです。2位以下はその日によって変わるけれど、例えば「Nikon」「D200」「町田市 & お化けマンション」「山崎小桃」「JAL & ANA」「天皇の御料車」なんてキーワードが並んでくる。まっ、確かにそんな言葉が含まれている記事を書いている。なかには「JT9D」とか「DFV」などエンジンの型番で検索して来られるマニアックな方も少なくない(って、そんなマニアックな記事を書いている郷秋<Gauche>って・・・)。
さて、そんなこんなで数日前に記事カテゴリーの見直しをした。これまでは「クルマ・飛行機」と、F1もCIVICもPeugeotも777もCRJもみんなイッショクタにしていたんだけれど、これだけF1ガラミでお訪ねくださる方が多いならと、F1を独立したカテゴリーにし、更にクルマと飛行機もそれぞれ単独のカテゴリーに変更した。
そうは言っても過去の記事はいまだに「クルマ・飛行機」のまま。これはおいおい付け直して行きたいのだけれど、果たしていつになるやら。既に300本近くになった記事のうちの1/4、どうやら70本程は「F1」の記事らしいのだな、これが。blogタイトルでは、あたかもクラシック音楽に関するblogでもあるかのように謳っているけれど、これでは「詐欺まがい」だよな。「郷秋<Gauche>の独り言」はやっぱりF1 blogなのか?

今日の1枚は、千両(せんりょう)の実。ヤブコウジ科の万両(マンリョウ)と良く似ていますが、千両はセンリョウ科。色の乏しくなったこの季節に南天(なんてん)と共に目を引きます。
富士写真フィルムの決意表明
コニカミノルタのフィルム・カメラ部門からの完全撤退の発表を事前に察知しての決意表かと思ったのだが、今日(1/20)は富士写真フィルムの創立記念日であり、それに先立ってのことであったらしく、今日の日本経済新聞には同内容の全面広告が出されていた。
余りにも無責任な企業が少なくない昨今、「企業の社会的責任」を全うしようとする富士写真フィルム株式会社の姿勢は大いに賞賛されるべきである。
Nikonは前奏曲?
今日の昼休みにはちょっと時間があったので、blog用の小文をちょいと書いたのでした。ですから今晩は家に帰っていっぱい飲んだら昼休みに書いたものをひょいと送って、後はゆるりと本でも読もうかと思っていたのでしたが、とてもとても、そんなにのほほんと過ごしてはいられないようなニュースが飛び込んで来たのでした。
コニカミノルタがカメラ部門をソニーに譲渡しフィルム・印画紙部門、ミニラボ部門縮小し、2007年にはフォトイメージング事業から完全撤退するのだと言うのです。2003年のコニカとミノルタの経営統合はそれぞれが得意とする分野を伸ばしフォトイメージング部門を強固なものにするためのものだったはずなのですが、経営統合後もフォトイメージング部門での利益は回復しないまま結局消滅することになってしまったようです。
Nikonがフィルム方式一眼レフとMFレンズからの事実上撤退するというニュースにも随分と驚いたものですが、それは限られたリソースをデジタル方式一眼レフに集中させ、唯一かつ最強のライバルであるキヤノンとの戦い勝つこと、あるいは共存していくための選択だったわけです。
ところが今回のコニカミノルタの件は、実に、まったく、完全にフォトイメージング事業から完全撤退するという発表・報道であるわけなんですね。αマウントはソニーが受け継ぐことにはなっていますが、そのソニーにしてみたところで従来強み言われていた部門だけではなく新規部門でも、例えばi Podには大きく水をあけられているといったように、コニカミノルタから引き継ぐカメラ部門が上手く行くことが保障されているわけでは、勿論ないのです。
先のNikonがフィルム方式一眼レフとMFレンズからの事実上撤退するというニュースにNikonユーザーは随分と驚き寂しい思いもしたわけですが、今回のコニカミノルタの発表は、ミノルタファンにとってはそんなものじゃすまない、大きなショックなんだろうな。だってNikonユーザーはこれからもNikonを使い続けることができるけれど、ミノルタファンにはそれが出来ないのですから。
まっ、希望がまったくない訳ではないですけどね。そのわずかな希望のキーワードはCOSINA(コシナ)でしょうか。このことについてはまた別の機会に書いてみたいと思っておりますのでお楽しみに。
コニカミノルタ自身からのプレスリリースはこちらをご覧ください。
http://konicaminolta.jp/about/release/kmhd/2006/0119_04_01.html
http://konicaminolta.jp/about/release/kmhd/2006/0119_03_01.html

今日の1枚は、これ。花は知っていましたがこんな実がなるとは初めて知りました。梔(クチナシ)の実です。
名は体を表す、か?
「んっ?」と、毎日乗っている人も一瞬考える。乗っていない人は、京浜急行は知っているけれど「東京急行」ってなんだ、ってやっぱり考える。
勿論「東急」のことだけれど、正式な会社名称は「東京急行電鉄株式会社」。だから通称は「東急」。首都圏の、特に北半分にお住まいの方なら勿論ご存知の「東急電鉄」のことだ。でもだ、「東急」自身はずっと「東京急行」と自称していたんだな。ところがだ、今年からは「東急電鉄」を名乗るようになったらしい。らしいって、Websiteを見ると去年までの「東京急行」から「東急電鉄」に、確かに変わっている。
この「略称」変更、東急グループ全体の企業イメージ再構築、つまり「東急」ブランドを明確にする企業戦略の一環らしい。だたし、この変更は「公に使う通称」(変な言い回しだ)に限ったものであり登記上の正式名称は「東京急行電鉄株式会社」のままのようである。略称がアイコンとして浸透しているのでそれを通称として、今更ながらのようだけれど、自身が追認したんだな。その方がメリットが大きいと。グループ全体で10億円をかけるブランド戦略だ。
片方では、「通称」を一度は本名としてみたけれどやっぱり以前の名前が良かったと、再び社名変更するケースもある。「社名」と書いたけれど実は「校名」だ。
産能大学をご存じだろうか。前身は1950年設置の産業能率短期大学。1979年に4年制の産業能率大学を開設したが1989年に通称名を取り、それぞれ「産能大学」「産能短期大学」に校名を変更している。
ところがだ、2006年4月には校名を「産業能率大学」に再び変更するのだという。演歌の歌詞じゃないけれど「昔の名前で出ています」だ。それじゃ短大の方も「産業能率短期大学」に戻すのかと思ったら、名称変更はするのだけれどキャンパスの最寄駅名をとって「自由が丘産能短期大学」だと。失礼とは思いながらも思わず笑ってしまう。18歳人口激減により「構造不況業界」となって久しい大学としては、「名よりも実」をとったというところか。しかし、大学名に「自由が丘」とついているからと受験する高校生って、ホントにいるのか?

今日の1枚は、久しぶりの雨濡れて輝く葉っぱ。
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