唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
メイルはメール?
郷秋<Gauche>はカタカナにせず、そのままE-Mailを書くことが多いのですが(いや、e-maiだろうと云うご意見の方いるやも知れませんが)、どうしてもカタカナで書かなければならない時には「メイル」と書きます。英語を母語とする方が話すのを聞くと、郷秋<Gauche>には「メール」ではなく「メイル」と聞こえるからです。
同じように「メーン」と「メイン」がありますが、新聞などでは「メーン」と書かれることが圧倒的に多いようですが、これも郷秋<Gauche>には「メイン」と聞こえるからそう書く。「レポート」と「リポート」と云うのもありますね。これはその中身によって使い分けることが多いかな。大学生に出される宿題は「レポート」。でも現地の様子を知らせるのは「リポート」と云う感じでしょうか。
ちょっと違うかも知れませんが、韓国人や中国人の名前を漢字で書くか、読みをできるだけ正確にカタカナで表記するかと云う問題も身近にありますね。同じ文字(漢字)を共有するから余計に難しい問題になっていますが、漢字は同じでも読み(発音)が違うわけですから、これはもう、できる限り正確にカタカナで表記した方が良いとは郷秋<Gauche>の意見です。
書いていて思い出したのですが、ちょっと昔のアメリカの大統領(第40代)「レーガン」さんも最初は「リーガン」さんだったと記憶しています。就任して少し経った頃に「レーガン」と表記して欲しいとの申し入れが日本政府だか新聞社だかにあったとかで表記が変更されたと記憶しています。
更に云えば、ヴァ、ヴィ、ヴの使い方の問題もありますから、日本語以外の言葉を日本語で表記するのはホントに難しいですね。
今日の一枚は、例によって記事本文とは何の関係もないなるせの森の稲刈り後の田んぼ。写真的には昨日の写真の続きなのですが、記事内容とはやっぱり関係がないですね(^^;
EMフェチ
どうも郷秋<Gauche>はEMには「目」がないらしい。ちょっと程度の良いEMを見かけると、どうしてだかわからないのですが、買わないではいられなくなってしまうのです。こう云う状態を世間ではフェチとかパラノイヤと云うようですが、郷秋<Gauche>としては、所謂人類愛、いや、違った。カメラ愛精神が呼び起されるのです。このまま燃えない「ゴミ」とするわけにはいかないだろうと。その対象がライカだったりするとまた話はちょっと違ってくるののかも知れませんが、どんなに程度が良くても最大1万円台前半のEMだと、やっぱ買ってしまうのですよ。
今回郷秋<Gauche>のもとにやって来たEMは掛け値なしの極上品。30年前の製品ですと云われてもにわかに信じがたい、そんな状態です。30年たっても古く見えないそのデザインが優れていた証でもあります。同時に購入した35-70mmもなかなかの上物ですが、EM本体と比べると少し落ちるでしょうか。
ほぼ同時期、ほぼ同焦点距離のレンズであるSERIES Eの36-72mmと比較すると、NIKKOR 35-70mmの方が小さくて軽いのですが、短い鏡胴の中にピント環、ズーム環そして絞り環と三つのリングを配しているがために、男性の手の大きさでは必ずしも快適な操作性ではなく、少々大きく重たいけれどSERIES Eの36-72mmの方が現実的であるように郷秋<Gauche>には思えるます。36-72mmはF値も全焦点距離で3.5で固定だし。
それにしてもだ、発売以来30年が経つと云う今、パッケージ未開封であったかと思わせんばかりのEMを入手できた郷秋<Gauche>は超ラッキー。「使いもしないのに無駄遣いだ」などとは云わないで欲しい(^^;
郷秋<Gauche>の独り言にしては珍しく今日の記事内容に沿った一枚は、もちろん本日入手した程度超抜群のNikon(ニコン)EMです。
急に寒くなってきましたね
もう随分昔に、肉まん・あんまん大手の井村屋の方にお聞きした話ですが、少しずつ寒くなっていったのでは肉まん・あんまんは売れないのだろそうです。暖かい日が続いていたかと思ったら、急に5、6度寒い日がやって来ると一気に売れるのだとか。だとすると今日あたりはさぞかし肉まん・あんまんが売れているということになるのでしょうね。
10月になると毎日天気予報とにらめっこだと当時はお聞きしましたが、いまどきは有料気象情報サービス会社から情報を仕入れているのだとは思いますが、実際に寒くなってからでは間に合わないわけで、2日後、3日後の天気を読んで増産するのでしょうから、半ばギャンブルのようなものですね。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日「ひき」でご覧いただいたそばの花をアップにしたもの。ご覧になったことのない方も少なくないかもしれませんが、ご覧になった方も、一面白くなったそば「畑」はご覧になっていても、小さなそばの花をじっくりご覧になったことはないかもしれませんね。
Nikkor 24-120mm f/4Gと28-300mm f/3.5-5.6G
郷秋<Gauche>は9月29日にAF-S NIKKOR 28-300mm f/3.5-5.6G ED VRはビミョーだと云う記事を書いた。もちろん、AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VRと比較しての話なのだが、何がどのように「ビミョー」なのかはこちらをご覧いただくとして、この二本のレンズが気になる方は多いと見えて、Nikon Rumorsが早速もの二本の比較記事を掲載していた(see here)。
どちらもフィルター径が77mmとニコンのレンズの中では(事実上)もっとも大きなものだと書けばその巨大さをご理解いただけることだろ。特にFX対応でありながら28-300mmと云うかつてない高倍率となった28-300はその重量800gと、これまた巨大な標準ズーム、24-70 f/2.8Gの900gに迫る重量級レンズである。
郷秋<Gauche>は先の記事で、FX用で28-300mmとなれば、解像度や各種収差が相当犠牲にされているのではないかと書いたのだが、Nikon Rumorsによれば24-120との差はそれほど大きくないのだと云う。画質には大差はないが、28-300のフードの加工精度に問題があり、すぐに外れてしまうことをわざわざ動画まで貼り付けて主張している。Nikon Rumors的にはこれが最大の問題で、画質には大きな破綻はないと主張しているかに見受けられる。
フードが取れやすいと云う問題については、郷秋<Gauche>もDX用の18-200で経験している。新宿のサービスセンターにF3のメンテナンスを依頼したときに、バッグに入っていたD300+18-200を取り出して、フードが取れ易い。最初の物はどこかで落としてしまし、これは二つ目だと訴えたが、ちょっといじってみてから「こんなものですよ」とつれない返事。ところがだ、二つ目のフードは、なんとなく緩いながらも外れることはなくいまだに健在なのである。ひょっとするして、フードの金型を微妙に修正したのではないかとは郷秋<Gauche>の勘繰りである。
フードの問題はともかく(実用上は決して無視できない問題なので、早急な対応を求めるが)画質に大きな破綻がないと云うのは朗報と云えるだろう。カメラやレンズで見栄を張ることもないのだが、24-120には鏡胴先端にゴールドリング(GR:郷秋<Gauche>が勝手に名づけた。キヤノンの「L」に当たるシリーズ最高級のレンズ)がないのが唯一の問題と云えるだろうか。
件のテストはもちろんFXフォーマットで行われているわけで、それでまずまずの性能ならば、DX、つまり現在の郷秋<Gauche>のメイン機材である、イメージサークルの小さなD300に使えば、美味しいと所取となるわけで更に良い結果となることだろう。D700後継機が出るのを首を長くして待っている郷秋<Gauche>だが、28-300をD300に着けると42-450mmとなり、望遠側は十分以上だとしても広角側が42mmからとなるからやはり不足気味である。そんなこんなを考えると28-300の導入はやはりFX移行後となるかな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、多分、恩田の森唯一のそば畑。そばの実を採ると云うよりは、実はミツバチの蜜源とするためのそば畑である。しかし、良い眺めである。
危機回避能力を持つ男
ますます面白くなった2010年チャンピョンシップだけれど、もう結果は見えているようなものだな。とすると残りのブラジルとアブダビは半ば消化試合の様相を呈して来るわけだが、それでもやっぱりアロンソがレース毎に三度目のチャンピョンに近づいてくるのを目の当たりにするのは、まさにF1観戦の醍醐味であり、語り継がれること必至の2010年シーズンの生き証人となる道なのである。
さて、韓国GPの見どころはもう一つあった。それは今日の小文のタイトル、「危機回避能力を持つ男」、そう、小林可夢偉の素晴らしいいサバイバルレースである。残念ながら、何が主たる原因であったのかは知る由もないけれど、小林のザウバー・フェラーリC29に戦闘力がないのは一目瞭然であったが、それでも結果は12位スタートからの8位フィニッシュ。悪天候のレースでは、コースに留まってさえいれば結果がついて来るとは良く云われることだが、今回の彼のレースを見ていると、本人のテクニック以前に神がかり的危機回避能力が備わっているのではないかとさえ思えてならなかった。
滑りやすい路面の中でマシン間隔わずか数十センチのところでの戦いが続いた韓国GPだったが、小林は目の前で幾度も起こった他のマシン、他のドライバーのアクシデントを紙一重のところで回避しチェッカードフラッグを受けるに至っている。中継を見ていると、目の前で起こるアクシデントを小林が避けていると云うよりも、アクシデントの起こるコンマ数秒前に、アクシデントの起こるマシンと接触しないためのほんの数十センチ間隔が「取られて」いるんだな。
危機回避能力以前に危機予知能力が備わっていて、身に降りかかる危険を自身も気づかぬうちに回避しているかのような小林の走りっぷりであったな。韓国GPでたまたま起こった幸運であったのかも知れないが、小林が、そんな動物的感を生まれながらにして持っているように思えてならない郷秋<Gauche>であるが、それはワールドチャンピョンンになるために必要な能力あるいは感の一つであることは間違いのない事実である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、道端の野菊。立派に育て上げられた大輪の菊もそれはそれで美しいと思うけれど、郷秋<Gauche>は路傍に咲く名も知らぬ野菊の方が好きだなぁ。
富士フイルムがオリジナルマウントのDSLRを開発?
そんなフジフイルムに、どうしてオリジナルマウントの噂が出て来るのか郷秋<Gauche>には理解できない。オリジナルレンズマウントを規格化するということは、フィッシュアイから超望遠まで、少なくとも2~30本以上のレンズを自製しなければならないことを意味している。郷秋<Gauche>はフジフイルムの技術レベル十分以上に評価しているつもりだが、オリジナルマウントとは余りにも無謀である。
カメラメーカーにとっての新しいレンズマウントの規格化は、自動車メーカーで云えば新しいシャーシやエンジンを造るようなものだが、自動車メーカーよりも規模の小さいカメラメーカーにとっては大事。大卒の社員が定年までに一度経験するかどうかと云う一大事なのである。
現在SLRを生産しているメーカーは、ニコン、キヤノン、ペンタックス、ソニー、オリンパス、パナソニクの6社のみである(7社目にシグマがあるが、マーケットシェアがほぼゼロに等しいことから、以下、シグマを除き論じる)。この中で最も新しくSLRに参入したのはパナソニックであるが、パナソニックは自社で規格化したマウントではなく、オリンパスと共に策定したフォーサーズマウントを使用している。
パナソニックの次に新しいのはソニーであるが、こちらはご存じの通りミノルタ(移管時にはコニカミノルタ)のカメラ事業を引き継いでのSLR参入したもので、既にミノルタが規格化したマウントとレンズ資産を引き継いでいる。そなると、最も新しく全く新しいマウント規格をもってSLRに参入したのはオリンパス(OM-1、当初はM-1)と云うことになる。それとて今から37年前の1973年のことである。
なお、上記以前からSLRを生産・販売しているキヤノン、ミノルタ、ペンタックス(当初はオリジナルマウントではなく、汎用性の高いM42マウント)、もAF化の時点でマウントを変更している。オリンパスもDSLRで再参入に当たってはフォーサーズマウントに変更している。SLR創生期以来半世紀以上にわたってオリジナルのマウント規格を踏襲しているのはニコンのみである。
前置きが長くなったが、噂に挙がっているフジフイルムのオリジナルマウントはありえないと郷秋<Gauche>は断言する。フジフイルムの技術者としては是が非でも挑戦してみたいテーマではあろうが、ペイしない事業を経営陣が許可するとはとても考えられない。郷秋<Gauche>としても、フジフイルムにはニコンのレンズ資産を使用することを前提に、オリジナリティ溢れるDSLR創りを目指してもらいたいと思うものである
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、季節の花、秋明菊(しゅうめいぎく)。中国原産で古い時代に日本に入ってきているようです。「菊」の名が付されていますが、日本古来の菊とは違いキンポウゲ科です。
メグめぐコール 2010演奏会
オープニングの「わたりどり」のあとに第一部「混声合唱小品集」、第二部「混声合唱組曲『あなたと旅ができるなら』」、第三部「独唱と混声合唱による物語詩曲『銀の羽』」と続き、そしてクロージング「はじまりの海へ」で終わったかにみえたコンサートは、実はその後にサプライズが用意されていたのでした。
第三部のソロを歌った三人が二曲ずつ大中氏の作品を披露、そのあとに再びコーラスで4曲、5曲とアンコールが披露され、その合間には大中氏のユーモア溢れるお話。アンコールで歌われた曲の作詞者としての「土田藍」氏のお話。土田氏は良い詞を書くんだけれど、良い詞を書くのは失恋したときだけ。最近は失恋していないようで詞がなかなか書けないようだ。「お~~い、土田!」。会場に土田氏がいるのかと、キョロキョロした郷秋<Gauche>でありましたが、土田藍が、作詞する時の大中氏自身のペンネームであることを知ったのは終演後のことでありました。
大中氏の人柄がそのまま表現されたかのような心温まる素敵な歌声の演奏会。オープニングの「わたりどり」やアンコールの「バナナを食べる時の歌」などは学生時代にいつも歌っていましたので思わず一緒に歌いたくなってしまった郷秋<Gauche>なのでありました。素敵なコンサートにお誘いくださったHさん、ありがとうございました。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、季節の花、コスモス。今年もまともに撮れないままシーズンが終わってしまいそうです。
韓国GP開幕
ご存知の通り、日本でF1GPが初めて開催さたのは1987年である(それ以前に開催された2回は「エキシビジョン」)。初めての日本GP開催から遅れること22年にして開催にたどりついた韓国GPであるが、乗用車の全世界マーケットに占める韓国の地位はゆるぎないものとなりつつあるとは云え、ことモータースポーツに関しては1987年当時の日本と比べても大きく遅れているように思えてならない。
1987年当時、F1最強と云われたエンジンはホンダV6ターボであった。そし日本人F1パイロット、中嶋悟がいた。乞われればいつでもタイヤを供給できるBSがいたし、更に十数年前、日本のモータリゼーションの最初期、ようやくクルマがごく普通のサラリーマンの現実的な「夢」になろうかと云う、そんな時代にホンダは既にF1の世界に打って出ている。そんな「F1前史」を持たない韓国にとっては、22年と云う初開催の時期の差以上にモータースポーツ認知の点では日本に大きく後れを取っているようである。その現れの一つが「売れていないチケット」と云ってよいだろう。
しかし、40年前の日本を思い出させる、勢いのある韓国のことである。今はようやく緒に就いたモータースポーツだが、これから3年後、5年後、10年後に日本が逆転されていない保証はどこにもない。ただ、その起爆剤としての、韓国製エンジン、韓国製タイヤ、韓国人ドライバー不在なのが先行きに暗雲が立ち込めているかに見える大きな要因である。これを一つ一つ解決し、韓国が日本のモータースポーツにとって切磋琢磨出来る良きライバルとなることを願ってやまない郷秋<Gauche>である。
さて、その韓国GPの初日に行われたフリープラクティスを、我れらが小林可夢偉はメルセデスGPのマシンを駆るニコ・ロズベルグの後ろ、同僚ニック・ハイドフェルドの前の10番手で終えている。可夢偉より前にいるのはレッドブル、フェラーリ、マクラーレン、ルノー、メルセデスのみ。ザウバー=フェラーリC29のポテンシャルを考えれば望み得る最良の結果と云えるだろう。
誰も走ったことのない初めてのコースである。となればより優秀なマシン、経験豊富なドライバーが有利となるのが常だが、その中で実力ある同僚を抑えての10位は大いに賞賛されるべき結果である。とは云え、レースは結果がすべて。明日の予選で一つでも前のグリッドを獲得し、日曜日には是非ともポイント圏内でのフィニッシュをして欲しいものである。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて「苦しいときの猫頼み」の一枚、恩田の森の猫です。なかなか凛々しい顔をしているとお思いにはなりませんか?
郡山にミンク?!
東北地方では1950年代に北米産のミンクを輸入し毛皮用として飼育していたが、その後の毛皮価格下落により捨てられたミンクが野生化し繁殖したものとみられているようである。
どの記事も出所は同じらしく「郡山の河川周辺」としか書かれていない。阿武隈川かなと思って検索してみたら、「阿武隈川支流五百川と藤田川にわなを仕掛けたところ、約1カ月間で7匹を捕獲した」と云う記事が引っかかってきた。しかし、支流にいるということは阿武隈川の河川敷にもたくさん生息しているんだろうか。
しかし、福島県と云うのはニュースに乏しい県である。最近話題になったのは先月に頻発した地震。もう少し前にはJALが福島空港から撤退したことがニュースになったし、更に数年前には元県知事が起訴されたなんてマイナーな記事が紙上に登場したけれど、どのみち福島県人及び出身者以外の記憶には、もうないだろうな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「苦しいときの猫頼み」とでも申しましょうか、たぶん明日も続く恩田の森のミンクならぬ、猫。
続 郷秋<Gauche>、神奈川新聞を叱る
今日は小田原支局の緒方氏が書いている。10月1日に赴任した若手記者が、電子辞書とワープロ、二つのディスプレイを交互に見ながら記事を書いている様をゆるい筆致で描いている。緒方氏は、四苦八苦しながら書いている若手記者の父親と同い年であるらしい。若手氏が書いた初稿に主語がないとか、「てにおわは」が誤用だとかを注意したのに「オヤジの説教ほど若者に嫌われるものはない」と、注意をしないらしい。
しかしだ、その結果が「幼稚園の保育士」では困るではないか。間違いが社内にとどまっているのならば許されもするが、購読料を払っている読者の目にまで触れるとなれば話が別である。嫌われようが嫌がられようが、上位職者がきちんとチェックし正しい記事とすべきである。脳天気に「反省・・・」などと云っている場合ではないと思うぞ。
郷秋<Gauche>、神奈川新聞を叱る 2010年10月18日掲載
郷秋<Gauche>、神奈川新聞を褒める 2010年10月15日掲載
も、併せてご覧ください。
追記:実は今月30日に開催される、郷秋<Gauche>が関係している催しの案内を神奈川新聞に掲載していただいている。無料でPRできるのは、まっことありがたいことです、神奈川新聞さま。でもだ、それとこれとは別。記事は記事として正確に書いてもらわねば困るのだ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、逆光に輝くひこ生えの緑が美しい稲刈り後の田んぼ。
一眼レフ包囲網は狭まってきているのか
15%程度であったレンズ交換型カメラに占めるミラーレス機の割合は、2010年6月にソニーのNEXの登場したことにより一気に30%を超えるまでになりました。単焦点レンズ付きのNEX-3が4万円台の中ほど、18-55mmのズームレンズ付きだと6万円と、入門クラスのSLR(一眼レフ)と同程度の価格ながら、コンパクトタイプでは物足りないが、かと云って本格的なSLRは大きく重たく難しそうと云う層を取り込んでの大躍進なのでしょう。
撮影時の種々の条件が良ければ、コンパクトタイプのデジタルカメラやミラーレス(デジタル一眼)でもSLRに引けを取らない写真をものにすることができます。しかしその条件は、明るい昼間であることや被写体が動かない(もしくは動いてもゆっくりな)こと、あるいは気温、湿度、気圧と云った気象条件が良いことなどですので、上手に撮れる被写体と条件は限られると思って間違いありません。
液晶モニターを見て撮影するタイプのミラーレス機の場合には正確なフレーミングやマクロ撮影時の正確なピント合わせ等に難があります。また、望遠レンズを使っての撮影の場合には、その撮影スタイルから(補正機能があったとしても)相当の確率で手振れが発生することでしょう。こう云った撮影ではSLRが圧倒的に有利で、SLRと同じような価格のミラーレス機を購入しても、思うような写真が撮れずに結局はコンパクトタイプに後戻りの可能性も少なくないと思うのです。
ではミラーレス機には全く未来がないのかと云えば、そうではありません。LUMIX G2のようにEVF(Electronic View Finder、電子ビューファインダー)を持ち、伝統的SLRと同じ操作性を有するカメラが、将来一定以上のシェアを獲得する可能性があります。ただし、EVFが画素数のみではなく色味や応答速度が相当に改良され、プロユースに耐えられるようになるにはまだかなりの時間がかかるように思えますので、「将来」と云うのは10年スパンで見た将来と理解して良いのではないかと思うのです。
それまでの間に台頭するのはSLRの最も特徴的機構であるクイックリターンミラーを半透明化し固定したタイプのSLRだと郷秋<Gauche>は考えます。可動式のミラーは60年の間に改良に改良を重ね、ブラックアウト時間を極限まで短縮し、現在では事実無視し得るまでになっていますが、それでも肝心な撮影のその瞬間を見ることができないのは事実ですし、ミラーが上下する時の振動もマクロ撮影などで無視できない場合もあります。また、コンサートの撮影などでは作動音の大きさが気になることも事実です。
そこで期待されるのがハーフミラーを用いたSLRですが、この技術は決して新しいものではなく、実はもう45年も前にキヤノンが「ペリックス」を登場させ、その後はNikon(ニコン)が空前絶後の毎秒13.5コマの撮影を可能にしたF3Hを1996年に発表しています。ちなみにF3Hは長野で開催された冬季オリンピック用に開発されたプレス専用機として限定受注生産されたもので、その生産数は1000台に満たないという貴重品です(どうしても手に入れたいという方はご連絡ください。在庫のあるお店をご紹介いたします。新品で価格は80万円です)。
話が大いにそれてしまいましたが、果たして伝統的一眼レフがデジタル一眼などと呼ばれる「ミラーレス機」に包囲され、その包囲網が狭まりつつあるのかと云う問いに対する郷秋<Gauche>の答えはYesでありNoでもあります。
包囲はされているけれどSLRの両雄、ニコンとキヤノンはこれまでに築き上げた膨大な交換レンズ資産を生かすことのできる、高機能なミラーレス機を遠からず登場させることでしょう。具体的には、2011年中には必ずや登場することでしょう。つまり、包囲はされているけれど、包囲されたに見えた両雄がミラーレス機で打って出た時に、現在のソニー優位が保たれるとはとても思えないわけですね。
ソニーがもっとも名の知れた家電メーカーだからNEXが売れているのであり、ユーザーの多くは積極的にソニー製のミラーレス機が欲しい訳ではないのです。一眼レフで長い伝統を持ち技術を蓄積し、数多のレンズ資産をもつニコンとキヤノンがミラーレス機市場に参入した日には、今年の6月に起こったのと同じことが再び起きるのです。もちろん一生涯SLRに手を出さないユーザー層はNEXを購入するかも知れませんが、いずれSLRを欲しいと思うユーザー層はの多くはニコンあるいはキヤノンのミラーレス機を購入することになるでしょう。
現時点で包囲されているのは間違いのない事実ですが、いずれ両雄自らミラーレス機市場に参入する。そしてその後の市場の推移は自ずと知れたこと。先の質問に対する郷秋<Gauche>の答えが「YesでありNoでもある」と云うのはこう云うことなのです。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、いまどきに花を咲かせる杜鵑(ほととぎす)。杜鵑は種類が多いようで、日本には12種が自生し、そのほかにタイワンホトトギスなども園芸種として入っているということなので、門外漢の郷秋<Gauche>には判別のしようもない状況です。
郷秋<Gauche>、神奈川新聞を叱る
さて、件の記事にこんな記述があった。「同幼稚園の保育士は(後略)」。あえて名前は伏せるが記名の記事である。
幼稚園は、学校である。学校教育法第一条には「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学および高等専門学校とする。」と書かれている。学校教育法の第一条に規定されていることから、上記の学校を「一条学校」と云う。学校で園児、児童、生徒らを教え「先生」と呼ばれる人は各校種(教科)に応じた教諭の免許状をもった「教諭」である。幼稚園は第一条学校であるから、そこで「先生」としての仕事を担当するのは「幼稚園教諭」の免許状を持った「教諭」である。
一方、「保育士」とは児童福祉法施行令第13条に規定された「児童福祉施設において児童の保育に従事する者」のこと、判り易くそして代表的な例で云えば、児童福祉法第24条に規定された保育所(何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児を対象として保育を行う施設)の「先生」のことである。教諭も保育士も、一般的にはどちらも「先生」と呼ばれることから紛らわしいいことは確かである。
なお、近年の幼保一元化(どちらも同じ年齢の幼児を対象としながら、文部科学省管轄の幼稚園と厚生労働省管轄の保育所と云う縦割り行政による弊害が目立つことから保育及び教育を一体的に提供しようとする動き)が活発になり「認定こども園」が増えつつある。ここで働く「先生」には幼稚園教諭免許を持った教諭と、保育士資格を持つ「保育士」の両方(あるいは両方の免許と資格を持つ)がいることになる。ただし、件の記事に登場するのは「幼稚園」と明記されている。
件の記事を書いた記者は、学校である幼稚園とそこで働く教諭、児童福祉施設である保育所とそこで働く保育士を完全に混同している。先にも書いたようにどちらも「先生」と呼ばれることから一般的には区別しにくいかも知れないが、子供の教育あるいは保育の問題を書く立場にある者ならば、当然知っておからければならない「基本の『き』」である。
せっかく15日に褒めたばかりの神奈川新聞なのに、早速まったくお粗末な記事の登場である。これはやっぱり、よりより神奈川新聞とするために、揚げ足取り、否、「叱咤激励」を続けなければならないようである。
P.S. 今日の記事本論とは離れるが、記事で紹介されている横須賀市の津久井幼稚園の園長、白米の大事さを提唱するのは良いとしても、「朝の家庭のにおいが、(ご飯に合う)みそ汁から(パンに合う)油でいためた卵焼き(郷秋<Gauche>注:スクランブルエッグのことか)にならないように、ご飯の大切さを提唱したい」と主張している。随分と偏った考え方の園長だ。
朝ご飯がパンではいけないんですか?ご飯にスクランブルエッグじゃ駄目なんですか?パンにみそ汁ではだめなんですか?と、郷秋<Gauche>は聞きたいぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森唯一の水系、奈良川で羽を休める白鷺。体長からはコサギではないかと思われますが詳細は不明。この写真から判別できる方がいましたら是非ともお教えください。
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