唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
藪椿
昨日、錨草(いかりそう)が咲いているのではないかと思い分け入った急斜面の雑木林。残念ながらまだ咲いてはいなかったけれど、咲くであろう場所で鶯神楽(うぐいすかぐら)を撮ることが出来た。それで満足し、息を切らせながら登りきった尾根筋で藪椿が咲いていた。まさに藪で咲く椿が余りにも美しく思わずレンズを向けた。錨草は撮ることができなかったけれど、愛らしい鶯神楽と清々しい藪椿を撮ることが出来た。自然を撮ることは、自然との巡り合い。咲いていることもいないことも、撮ることが出来ることも出来ないこともある。目指す花に出会えない、撮ることの出来ない落胆は決して大きくなく、むしろ翌週への期待が膨らむ。そして翌週、美しく開花した花と出会えた時の喜びは何ものにも代えがたいものである。
S660
ついにホンダのS660がその姿を現しましたね。軽のスーパースポーツ! NSXのような弩級のスーパースポーツと、たった660ccと云う小さなエンジンのスポーツカーを作れるメーカーは世界広と云えどもホンダだけでしょうね。
当初には純電気式なると云う噂もありましたが、結局はコンベンショナルなガソリンエンジンを搭載した楽しさ最優先のクルマになったようです。軽の自主規制、64ps超えじゃないかとの噂もありましたが、これまた裏切られたようですが、楽しさとエンジンの馬力は関係がないと云うホンダらしい判断といえるでしょうか。しかし、これ、欲しいですね。「大人のおもちゃ」、欲しいです。でもチェロが載らない。どうしよう・・・
カサドの新曲?!
実は郷秋<Gauche>、20世紀初頭の偉大なチェリストにして作曲家であるガスパール・カサド(Gaspar Cassado 1897-1966)と、彼の奥方であった原智恵子に関する資料収集をしているのだが、この度、カサドに関する新たな情報を入手した。
カサドに関する楽譜を中心とする大量の資料が、実は日本にあることは知る人ぞ知る事実。原智恵子(1914-2001)存命中の1991年に智恵子のご子息である川添光郎氏により、玉川学園に寄贈され、当時智恵子の自宅のあったフィレンッエから玉川大学教育博物館に直接運び込まれている。
その後、カサドの生誕100周年にあたる1997年には玉川大学において記念の演奏会が開催され、未出版であったカサドの作品の内3曲が限定出版されるなどしたが、その後は資料の整理・公開がされずに「玉川学園がカサドの資料を死蔵している」などの非難にさらされていたが、どうやらここ数年でその整理が進み遠からず公開される可能性があると云う情報を入手したのである。
情報は「玉川大学教育博物館紀要第11号」(2014年3月31日)である。最近入手したこの紀要にはカサド関連資料の整理・調査に関する報告が掲載されている(p.35-40栗林あかね氏)。これによれば、カサド没後50年、智恵子没後15年にあたる2016年には、少なくとも資料の全容が公開される可能性があるようだ。
さて、今日のタイトルとした「カサドの新曲?!」の根拠は、前述の紀要p.38に掲載された「図版②編曲譜(自筆草稿譜)」である。R.Schumann作曲のチェロとピアノのための「民謡風の5つの小品」op.102(Fünf Stücke im Volkston,1849年)を、カサドがチェロとオーケストラ用に編曲したものと思われる楽譜の図版が掲載されているのだ。
ただし、これは先に記したように「自筆草稿譜」であり、果たして全曲分が完成しているかどうかは現時点では不明である。カサド作品を、少なくともWeb上では最も豊富かつ信頼のおける情報を提供している「Gaspar Cassado」http://www32.ocn.ne.jp/~cellist2/ によれば、カサドの編曲によるチェロとオーケストラのための作品は4曲であるとされているが、この4曲にシューマンのop.102の編曲作品は含まれていない。
もし、カサドの編曲による「民謡風の5つの小品」op.102のチェロとオーケストラ版が演奏可能な状態にまで完成されているのだとすれば、たとえそれが手稿であったとして、今すぐにでも現代のチェリストの貴重なレパートリーに加えられる可能性のある大きな発見であることは間違いない。
膨大な資料の整理と調査は、多くのエネルギーと時間を要するものであり、中断の時期があったとしても、それを公開すべく調査・分析を進める玉川大学教育博物館の仕事は賞賛こそされ、非難されるものではないと私は考える。
先にも記したように2016年は奇しくもカサド没後50年、智恵子没後15年の節目に当たる年である。2016年に、何らかの形でカサドの作品の全容が開示され、可能であれば未出版となっている価値ある作品が世に出、現代のチェリストの愛奏曲とならんことを願わずにはいられない。
追記:時間的制約から、初稿の状態で掲載いたしました。明日以降推敲される予定であることを予めご承知おきください。
春は眠い
郷秋<Gauche>は、少ない人の倍は眠っているのではないかと思うのですが(基準が不明確な非論理的記述に目くじらを立てませんように)、それでも自分的には常に寝不足。春には尚更睡眠不足。鼻水を止める薬を飲んでいるからかも知れません(^^; 人の寿命は「起きている時間数で決まる」という説がありますが、その説に従えば、郷秋<Gauche>は非常に長生きすることになりますね。「憎まれっ子世にはばかる」と云う言葉に従ってもやはり長生きすることになりますが、結果は如何に。
Nikon Photomic FTNバラバラ事件
Nikon Fシリーズをお使いの方には見慣れた風景だと思いますが、ご存じない方は、びっくりされるかも知れませんね。一眼レフ(SLR)はレンズの脱着・交換が出来ることはご存じの方は多いいことと思いますが、ファインダーと裏ぶたの脱着・交換が出来ることはご存じないかも知れません。
レンズやファインダー、裏ぶたの脱着・交換は、目的や状況に応じで最適な状態で撮影することを可能とする工夫です。そもそも元祖「F」登場時点ではそのようなSLRは無かったはずですが、ニコンは当初からFシステムの拡張性考えていたのでしょう。
特にファインダー脱着・交換は1959年の登場時点では技術的な問題から実現することができなかったTTL(through the lens)測光式の露出計を搭載することを想定していたのだと思います。しかしTTL測光技術は難しく、Fの発売から6年が経過した1965年になってようやく「フォトミックT」が登場します。
このところ度々ご覧頂いているフォトミックFTNは、中央部重点測光のTNの改良型として1968年に登場しています。絞りリングを一往復させることでレンズの開放F値をセットできる、所謂「ガチャガチャ」が搭載されレンズ交換時の操作性が向上しました。
そうそう、びっくりなのは裏ぶたの脱着ですね。F2以降は裏ぶただけの取り外しですが、Fの場合は裏ぶたと一体になった底板までが外れますので、これを外したボディーはほとんど丸裸のような状態になってしまいます。ちなみに、レンズは勿論ですがファインダー、裏ぶたの脱着にも工具は必要としません。それでいて「ガタ」はまったくないと云う、素晴らしい工作精度を有している、当時世界最高峰のSLRと云われたニコンFなのです
Nikonのロゴタイプにびっくり
Nikon(ニコン)F Photomic FTNが入っていた箱です。注目して頂きたいのはNikonのロゴタイプ。ニコンのカメラに太ゴシックでNikonと刻印されたのは1980登場のF3から。さらにこの太ゴチが斜体となったのは1988年に登場したF4からのはず。なのに、おそらく1969年に生産されたF Photomic FTNの元箱には太ゴチ斜体でNikonと書かれています。CI的にはまったく統一されていない時代が1960年代から1988年まで、20年以上も続いていたことになりますね。
不思議な位置にあるシャッターボタン
昨日に続いてニコンFフォトミックFTnのお話しです。上の写真をご覧になられて何か気が付くことはありますでしょうか。
当たりまえの話ではありますが、現代のデジタルSLRにはない、フィルムの巻き上げレバーがあります。そのレバーにプラスチックの指当てカバーが付いていませんので、Fの中でも古いモデルである事が判りますが、ここは、シャッターボタンの位置に注目頂きたいのです。
シャッターボタンが、撮影者寄りにあるのにお気づきでしょうか。人の手指の構造からは、刻印されたNikonの「o」辺りにあるべきシャッターボタンが随分と後ろ、つまり撮影者側にあります。このカメラを初めて使う方は、いざ撮る段になって、あるべき場所に内シャッターボタンがない事に気づいて戸惑われることでしょう。
「F」の設計に当たり、既存のSPの資産を有効活用する前提条件があったため、その方針に従って設計した結果、巻き上げレバーとシャッタースピードダイヤルそしてシャッターボタンの位置はSPと同じものとなったのでしたが、ならば何故、SPのシャッターボタンが人間工学的に不自然な位置にあったのかについて書かれた文献は、少なくとも郷秋<Gauche>は知りません。さすがに使いずらいために、12年後に登場したF2では、あるべき位置に移されております。
水銀電池の替わりに
30年以上前の古いメラの露出計には水銀電池が使われていましたが、現在は環境問題から水銀電池は製造されていません。つまり、水銀電池を使うように設計されたカメラは、露出計用の電池がないために半ば使用することが出来ないことになるのですが・・・
そう云った古いカメラ用に、現在入手可能が酸化銀電池を使用するためのアダプターが存在します。今日の写真は、先ごろ入手したFフォトミックFTnのファインダーと本来の水銀電池の替わりに使用する酸化銀電池SR43とアダプター(MR-9)。FフォトミックFTnにはこれを二つ使用しますが、同時期のニコマート(FT、FTn)はこれ一つで内臓のTTL露出計が作動します、こんなものまで製造販売されているって、結構凄い事だと思いませんか?
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