唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
メガネを新調しました
18日に、メガネ屋さんに行って来た事を書きましたが、その時に注文したメガネが先週出来上がって来ました。良く見えます。チェロの向こう側、そうですね、目から1メートル程先に置いた楽譜が実に良く見えます。クルマの運転と楽譜が良く見えることを最重要課題として作ったメガネですので、当初の目的を達成できたようです。ついでにカーナビの画面も良く見えるようになりました。世の中明るくなりました。
でも、一つの大きな問題が発生しました。郷秋<Gauche>のチェロが上手くならないのは楽譜が見えないから、楽譜が見えないから弾けないのだと思い込んでいたのでしたが、楽譜が見えても、楽譜の通りにはなかなか弾けないと云う深刻な問題が露呈したのです。まったく予想外の展開です。トホホ。
でも、世の中明るくなりました。18日には身体の老化を嘆くようなことも書いたりしたのでしたが、それは老化ではなく身体の進化、身体が今もって進化し続けているのだと考えられるようになりました。精神も深化したのです。歳を重ねることは、身体と精神が進化・深化することなのだと知ることが出来ました。有り難い、ありがたい事です。メガネさん、ありがとう。
と云う訳で今日の一枚は新調したメガネと最近練習している曲の楽譜と愛用の弓。ピアノの蓋の上はなかなか良い撮影場所であることを再認識した今日のちょい撮りでありました。
アロンソは、やっぱり凄い
前戦、ドイツGP後の24日に郷秋<Gauche>は、3勝目はやはりアロンソと云う小文の中では「アロンソは今シーズン、全ドラーバー中ただ一人すべてのレースでポイントを獲得すると云う安定したレースを展開。優勝以外のレースでも1レース当たり平均11.28ポイント、つまりコンスタントに5位10ポイント以上の結果を残していることを考えると、今後、仮に表彰台に上がれないレースがあったとしても、アロンソ有利なシーズン展開が急激に変わることはないだろうな。」と書いた。
勿論ハンガロリンクでも優勝、それが無理でもより多くのポイントが付与される表彰台フィニッシュが良いに決まっている。これは叶わぬことではあったけれど、それでもアロンソは5位10ポイントを獲得。まさに24日に書いた通りの展開であった。勿論これ以下のポイントは好ましいものではないが、少なくともハンガロリンクではウェバーの前でフィニッシュしたことに大きな意味がある。8位のウェバーは僅かに4ポイン加算で、10ポイント加算のアロンソとの差は6ポイント多い40ポイントにまで広がったのである。
40ポイント ―それはほとんど2レース分の差を意味する― のリードを築いたアロンソは、一カ月の休暇を地中海に浮かべたヨットの上で過ごすことも出来るし、勤勉なアロンソのことだから、後半戦に備えてトレーニングに励むことも、自由である。一方のウェバーはと云えば、少なくともヨットの上で安楽に過ごす選択肢はない。勿論、彼が望めばそうすることも出来るだろうけれど、そうしたとしても、気の晴れる、楽しい休暇とならないことは間違いない。
十二分とは云えないにしても、それなりの「貯金」をもって入る休暇の方が、負債を抱えての休暇よりも数万倍楽しいに違いないことは、書くまでもないだろう。
さて、ライッコネン。2位フィニッシュでも「2位になるためにレースをしている訳では無い」と、いかにも不機嫌そうに彼らしいコメントを出してはいるが、彼自身、復帰後の初優勝が近いことは感じているのだろうな。だからこそ「2位くらい」じゃぁ喜んだりしないのだ。キミ・ライッコネン、北欧生まれのこの男は、そう云う男なのである。「『1度くらい』の優勝では面白くもない」と云うコメントを、早く聞いてみたいものだぞ。
例によって記事本文とは何の関係もなくご覧いただく今日の一枚は、江の島写真その11江ノ島神社奥津宮から、稚児が淵に向かう道。カンカン照りの石畳は「白飛び」し、日陰は「黒潰れ」と云う絵を頭に描きながら撮った一枚だがD800のアクティブDライティング機能は、白飛びと黒潰れを実に正しく補正して、まったく平凡な絵を作りあげた。アクティブDライティング機能も良し悪し、と云う見本の一枚である。
江の島写真、その10
「あたいに何か用かい?」
猫に会いたくて江の島に来る女子もいる程、江の島の野良猫は有名なのだが、急速にその数が減っているような気がする。そうは云ってもまったくいなくなったわけではなく、要所要所に、ちゃんと猫が配置されているのは江の島観光協会の配慮なのだろうか。
blogに先行して掲載した「○○○写真クラブ on Facebook」では「俺に何か用か?」と云うキャプションを付けたが、考えてもみれば三毛猫はそのほとんどが雌(メス)で、三毛の雄(オス)が生まれる可能性は1/1000程度と云う、遺伝学の教科書に出て来るほど有名な話であることを思い出した。と云う訳で、キャプションを雌猫バージョンに変更した。
郷秋<Gauche>のレーシングカート時代
火曜日に「これこそはサーキットを走った者以外には、実感をもっての理解は無理だろうな。」と書いたものだから、「郷秋<Gauche>さんはサーキット走行したことがあるのですか」とか「お前、そんなことしてたのか?」と云ったと云ったDMを複数頂いた。
はい、郷秋<Gauche>のマシンです。ただし乗っているのは次男坊。
中嶋悟がF1にデビューし、フジテレビが全戦中継するようになったのが1987年。その翌年にヤマハのSLライセンスを取得し、同じくヤマハのカートを購入してレーシングカートデビューを果たした郷秋<Gauche>なのでありました。
実際に走り出すまでの間に、当時はまだF3000のドライバーだった鈴木亜久里がカートの走行を解説したビデオを見たりしてコーナーのライン取りなんかを勉強したつもりだったけれど、そんなものは実際にコースを走ってみればすぐにわかってしまった。まさに百聞は一見にしかずで、実際に走ってみればどういうラインを取れば速いのか、すぐにわかるものなのである。
F1の中継では、よくタイヤのグリップ云々が云われるが、通常の乗用車のタイヤをベースに考えても何の事なのかまったく理解できないはずだが、SLクラスのコントロールタイヤであっても、コンパウンドが温まって、夏場などは実際にトレッドのゴムが溶けだしてグリップしだすわけだから、これも身を持って体験していれば、タイヤが冷えている、温まっている時のタイム差、マシンコントロールのしやすさなどはすぐに理解できる。
一般の路上で、コーナーの路面が濡れていたり砂が出ていたりで、思わずテールが「ズリッ」とした時には「逆 ハン(ドル)を切ればいい」などと云われるけれど、これを実際に公道上できる人は多くないはずだが、サーキット走行を経験すればすぐに出来るようになる。テールが滑りだしたのを自分のお尻で感じ、スピンするのを避けるために自然にカウンターステアを当てることが出来るようになる。
実際に公道上でこれをしたのは、プアなタイヤのレンタカーで雨で濡れていたコーナーにオーバースピードで入ってしまった時、一度だけだが、まったくスムーズにかつ落ち着いてカウンターを当ててコーナーをクリアすることが出来た。サーキットで速く安全に走るためにテクニックは、一般の路上での安全走行の為にも大いに役立つものなのであるし、コーナーで極端にスピードを落とさず安全に通過するためのテクニックは燃費の面でも有利なはずだ。
レーシングカートは、結局上の写真に写っているサイドボックス無のマシンに4年程乗り、サイドボックスが無いとレース出場が出来なくなると云うレギュレーション改訂に合わせてサイドボックス付のマシンに買い替えて5、6年、都合10年近く楽しんだかな。
今のF1ドライバーでレーシングカートを経験していないドライバーは多分、いない。レーシングカートは一見遊園地のおもちゃのように見えるかも知れないが、実はフォーミュラーカーの最底辺カテゴリであり、レースに必要なすべてはレーシングカートで学べると云い切って良い程の存在なのである。
実際に自分でマシンを購入するとなると確かにその敷居は低くないけれど、モータースポーツの他のカテゴリと比べれば格安かつ安全にフォーミュラーカーの走りを楽しめる訳で、ドライビングが上手になりたい、より安全で速いコーナリングを学びたい、あるいはF1ドライバーのドライビングテクニックを知りたい人にはお勧めのモータースポーツなのである。
背が縮んだ
今日、健康診断があった。体重よし、腹囲よし、血圧よし。でも、悲しいかな身長が1センチ縮んでいた。
小学生の頃の郷秋<Gauche>は、クラスの真ん中よりも少し前で、どちらかと云うと背が低い方だったけれど、中学2年から高校2年までの3年間で30センチ伸び、大学卒業後も少し伸びて23、4歳の時に176.2センチを記録し、これが郷秋<Gauche>の最大身長となった。
背骨は20数個の骨がつらなって出来ているそうだから、その骨と骨との間が0.5ミリずつ縮まっても全体では1センチ程縮むことになる。30年も経てば、自分の軟骨?の劣化と身体の重みでそのくらい縮んでもおかしくもないのかも知れないな。
肉体は劣化しても精神面がますます充実してきているのならば良いのだが、肉体以上に精神面での劣化を感じるだけに、何だかちょっとか悲しい出来事であった。
今日の一枚は、例によって記事本文とは何の関係もない江の島写真の第8回目。昼食時にしらす丼と共に頂いた「江の島ビール」(って、実はしらす丼とこのビールが本当の目的だったのかも)。何故か新潟の醸造所で作られたものだったが、酵母の香りがするいかにも地ビール的ビールで、悪くはなかった。ラベルが二種類あるが、中身は同じ。頼まなかったが、お祈りだったかお祓いだったか済みの水で仕込んだと云う、1本50円高いビールもあった。イスラム教徒向けの「お祈り済み肉」を思い出したが、日本にもこんなものがあるのにちょっと驚いた郷秋<Gauche>であった。
迎え撃つニコン「1」に勝機はあるか
結論から云えば、残念ながら現行ニコン「1」に勝機は無い。キヤノンEOS Mの圧勝だろう。Nikon(ニコン)ファンかつユーザーの郷秋<Gauche>ではあるが、残念ながら結果は見えていると云わざるを得ない。
EOS Mとニコン1とを比較する場合、果たしてJ1が良いのかV1が良いのか、悩むことにはなる。EOS MがEVFを持たないと云う意味ではJ1と比較するべきだとも思う。価格やスペックからすればV1が比較対象として相応しいと云えるが、そもそもイメージセンサーのサイズがAPS-Cと小さな1インチとなると、比較すること自体に無理がある。APS-Cと比較できるのは4/3までである。
実機で撮ってもいないどころか見てもいないのにジャッジを下すのは余りにも乱暴だが、多分、郷秋<Gauche>の読みは間違っていないと思う。少なくとも現行のJ1&V1に勝ち目はない。まっ、実売の低価格とニコンブランドとでそこそこは売れるだろが、ニコン1がJ2&V2に進化したとしたら、話は大いに違ってくるかも知れない。
そう、ニコンには9月(それはキヤノンEOS Mが発売になる月である)にDSLR、ノンレフレックス(一般的にはミラーレスと呼ばれるジャンル、つまり1の後継機)及び複数のレンズが発表されると云う「噂」があるのだ。ニコン1シリーズの発売が1年前の10月であることを思い出せば、後継機が9月に発表されても何の不思議もないどころか、発表されて当然の時期なのである。
EOS Mと現行1を比較して、誰もが気が付くのが18MPと10MPと云う1の画素数面での不利だが、これはきっと9月に発表されるモデルでは解決されることだろう。イメージセンサーの大きさが気になるのは、一部のマニアだけで一般的なユーザーにとって選択基準になるのは画素数だから、この点では勝負が出来る第二世代の1シリーズになることだろう。
1シリーズが登場した時、郷秋<Gauche>はその成否はイメージセンサーの大きさにかかっていると書いたが、こうして対抗メーカーの後発機がより大きなイメージセンサーを持って登場するとなるとなかなか難しいことになるのだが、幸か不幸か登場時点で既に古臭いEOS Mのデザインは、ニコンにとっては救いとも云えるな。少なくとも郷秋<Gauche>に対してはまったく訴求力の無いEOS Mのデザインなのである。
と云う訳で、キヤノンEOS Mと比較すべきは現行V1&J1ではなく、V2&J2であることをしつこく書いて、あのデザイン、気に入りましたか?と書いて、今日はおしまいとしよう。
例によって記事本文とは何の関係もなく、江の島写真の第7回目。江の島と云えば「猫の島」として有名であったが、その猫の数も一時と比べると随分と少なくなったような気がする。それでも彼らのホスピタリティー精神が薄れていないことは今回の撮影行で確認することができた。と云う訳で、今日の一枚は、「江の島猫」の撮影に夢中になるカメラ女子と、その期待に応える江の島「モデル猫」。
3勝目はやはりアロンソ
カナダGPまでの序盤戦は毎回勝者が違うと云う混戦が続いた2012年F1だが、その後はヨーロッパGPではアロンソが、続くイギリスGPではウェバーが2勝目をあげるなど、やはり勝つのは勝つべきチーム、勝つべきドライバーが勝つと云う流れが見えてきたところでのホッケンハイム。やはりと云うべきか、予選で強さを見せつけたアロンソが先陣を切っての今シーズン3勝目。
アロンソが25ポイント獲得したのに対して現時点での「対抗」たるウェバーが8位4ポイントと低迷したことから両者のポイント差は34となり、仮にハンガロリンクでアロンソが0ポイントだとしても、ランキングトップの座を譲ることがないだけのギャップを作ったことになるわけだ。
もっともアロンソは今シーズン、全ドラーバー中ただ一人すべてのレースでポイントを獲得すると云う安定したレースを展開。優勝以外のレースでも1レース当たり平均11.28ポイント、つまりコンスタントに5位10ポイント以上の結果を残していることを考えると、今後、仮に表彰台に上がれないレースがあったとしても、アロンソ有利なシーズン展開が急激に変わることはないだろうな。
さて、小林可夢偉。前戦の余りの体たらくに記事を書く気にもならなかった郷秋<Gauche>だが、まっ、今回は少し褒めてあげよう。ベッテルのレース後ペナルティによるとは云っても、リザルトは4位。トップのアロンソから21.9秒遅れ、繰り上げ表彰台のライッコネンに5.5秒差の4位は立派だ。この4位が立派だとすれば、ますます惜しいのが予選の不出来。今後の課題だな。
ところで、小林の繰り上げ4位の要因となったベッテルのコース外からのバトン追い越し、あれはまったくいかんねぇ。ベッテルは「接触を避けるためにランオフエリアに逃げただけ」と弁明しているが、もしそうならば、コースにも戻ってからバトンに2位の座を譲るべきであった。
しかしだ、あのコーナーでの出来事はちょっと複雑ではある。つまり、バトンはベッテルのアウトからコーナーに侵入し、コーナー出口でベッテルのイン側にマシンを寄せ、ベッテルをコース外に押し出したと見ることも出来るからである。もしあの場所にウォールがあったら、ベッテルのマシンはウォールと接触している。
もし、バトンがそれを避けようとしたならば、彼はベッテルの後ろでスピンを喫することになったことだろ。しかし実際には接触もスピンも起こらなかった。すべてはそこに広いランオフエリアがあったからこその出来事。レース後20秒のペナルティは確かに重いが、もしベッテルがコース外走行で不当に得たポジションをバトンに返上していれば、3位15ポイントを得ることが出来たことになる。それをしなかった結果、彼は5位に後退し5ポイントを失う結果となった訳だ。
F1史上最年少チャンピョンになったベッテル、確かに速くいし最近は強さも身に着けて来てはいるけれど、悔しさ紛れにハミルトンを攻撃してみたりと、まだチャンピョンに相応しい「格」が身に付いていいないと云わざるを得ない。それに引き替えバトンとマクラーレンは「そのことについては云いたくない」「FIAは判っている」と、大人のドライバー、大人のチームであるな。
今日の一枚は、例によって記事本文とは何の関係もなく、江の島写真の第6回目。中津宮で参拝する人をズバリ真後ろから撮った一枚。しょぼいレンズのせいでかなり大きく歪曲していたが、見苦しくない程度にPhotoshopで修正、同時に両サイドの柱がまっすぐに立つようにアオリ補正ししている。
夏休みわっしょいキャンプ
「つしのこ母ちゃんず」改め「かあちゃんず」主催の「夏休みわっしょいキャンプ」が昨日はじまりました。放射の汚染により屋外での活動・遊びを制限されている福島のこどもたちを自然の中で思い切り遊ばせようと云うこのキャンプは3月に続いて二回目。同じ世代の子どもを持つ相模原のお母さんたちの活動です。
子どもたちはホントに元気です。お母さんたちはちょっとお疲れ。だから子どもたちが外で遊んでいる間にお母さんたちはちょっとリラックスタイム。その間は、「かあちゃんず」の子どもたちと、活動に賛同したボランティアの方たちとそのお子さんが子どもたちの相手をしてくれます。小学校高学年や中学生のお姉さんやお兄さんがホントに良く子どもたちの面倒を見てくれていました。
帰って来てから読んだ今日の新聞に、歳と共に退化すると云う「Sense of Wonder」(驚きの感覚)についての記事を見つけました。「驚き」は「感動」と読み替えても良いのだと思う郷秋<Gauche>ですが、今日はそんな「Sense of Wonder」を大いに刺激された一日だったなぁ。ありがとう!
「かあちゃんず」の福島支援活動についてはどうぞこちらをご覧ください。皆さんのご支援を、郷秋<Gauche>からもお願いいたします。
今日の残念:撮影を終えてクルマを橋本駅前に向けて走らせてハタと思った。今日は月曜日。コレットで冷たいコーヒーを飲んで帰ろうと思ったのに!
町田市大地沢、境川源流で遊ぶ子どもたち。
江の島写真 第5回目
今日は大中恩先生の米寿を祝う演奏会
一昨年10月に「メグめぐコール」の演奏会を聴きに出かけた時、再来年(つまり今年)に米寿を記念しての演奏会を開催すべく既に紀尾井ホールの予約が入っていると聞いて郷秋<Gauche>はびっくり驚いた。それまで元気でいられるかどうかわからないお歳でありながら、こう云う前向きな生き方がいつまでも現役で活躍できる原動力になっているのだとまったく感心しきり。
その演奏会が今日、紀尾井ホールで行われる。勿論郷秋<Gauche>は聴きに行く。全席自由席のチケットを売り出したら、紀尾井ホールの客席の倍の数のチケットが出てしまったため、慌てて9月にもう一度同ホールで同プログラムの演奏会を開催することになったとのこと。予定通りお出かけくださいとの連絡は頂いているが、ちょっと心配なので早めに出かけることにしよう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、江の島写真の第4回目。江ノ島弁天橋を渡り二つ目の大鳥居越しに片瀬東海岸を見る図。
注文から50日目にして
ようやく届きました!こんなに待たされたのは初めてですが、待ったかいがあると云うものです。あっ、一昨日に辛うじて「ポチッ」を思い止まっていると書いたものとは別物です。今週末からさっそく実戦投入です(^^)。
追記:別に新製品を予約していた訳ではないのです。もう2年近く前に発売になったよ商品なのに、圧倒的な品不足とは、たいしたものです。人気に乗じてと云う事なのでしょう、さすがにメーカー希望小売価格を上回るようなことはありませんが実売価格が上昇傾向で、現在は郷秋<Gauche>が購入した価格よりも8千円以上高くなっています。待たされたけれど、得した気分です。(2012/07/21)
素敵過ぎるぞ、宇都宮市
宇都宮市が素敵過ぎるのか、下野新聞が素敵過ぎるのか判断に悩むところだが、とにかくこちらをご覧くださいな。
何が凄いって、「取り戻そう、宇都宮のプライド」と云うタイトルが凄い。詳しくは下野新聞のwebsiteをくまなくチェック頂きたいが、要するに過去15年間守り続けた餃子の購入額日本一の座を京都市に奪われたことで、宇都宮市のプライドが大きく傷つけられたのだそうだが、奪われたタイトルを奪い返すことで、宇都宮市のプライドを取り戻すことが出来るのだと云うのだ。そのために為すべきことはただ一つ、餃子を「食って、食って、食いまくる」ことと、下野新聞のWebsiteに書いてある。
餃子を食って、食って、食いまくり、餃子の購入額日本一の座を浜松市から奪還することで宇都宮市のプライドを取り戻すことができるのだそうだ。素敵過ぎるぞ宇都宮市、素敵過ぎるぞ下野新聞!
ちなみにキリンビールマーケティング株式会社栃木支社は、「宇都宮市餃子消費量日本一奪還プロジェクト」を応援しているのだそうだ。うぅ~~~ん、表明しているかどうかは判らないけれど、キリンビールマーケティング株式会社静岡支社は、「浜松市餃子消費量日本一死守プロジェクト」を、きっと応援していうんじゃないかと思う。キリンビールマーケティング株式会社も素敵な会社だと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
でも、栃木支社から静岡支社に転勤になったキリンビールマーケティング株式会社社員は、昨日まで応援していた宇都宮市から、今日は静岡市の応援をしなければならないから気持ちの切り替えがさぞかし大変なことだろうな。餃子を「食って、食って、食いまくって」気持ちを切り替えてもらうしかなさそうだ。辛いなぁ、キリンビールマーケティング株式会社社員。
しかしだ、諸々種々色々盛り下がるニュースの多い昨今、餃子でこれだけ盛り上げてくれる宇都宮市と下野新聞って、なんて素敵なんだろうと、餃子が大好きな郷秋<Gauche>は心底思うぞ(^^)。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、写真的には一昨日、昨日に続いての「江の島」写真の第三回目。順番が逆々だが、本来最初に来るべき一枚、江ノ電江ノ島駅の看板。
メガネ屋さんに行って来た
郷秋<Gauche>は学生時代には両眼2.0の高視力であった。当時は2.0以上の視力を測る小さな文字が無くて、要するに2.0以上と云う事だったと思う。両眼2.0の視力がどう云う事かと云うと、電車を待っているこちらのホームから、反対側のホームの屋根から吊るしてある時刻表が読めるくらいの視力である。アフリカのサバンナ辺りで暮らしている人は3.0とか4.0とか、とにかく視力が良いらしい(同時に聴力も)。いち早く遠くの獲物や危険な動物を見つけることで生き延びてきた部族の末裔だと云う事だが、それじゃ郷秋<Gauche>は福島の野生児であったと云う事か。ちなみに高視力とは、遠視と云う事とはまたく意味が違う、らしい。
で、その後郷秋<Gauche>の視力がどうしたかと云うと、20代後半からの数年間、コンピューターのプログラミングをするようになって、一気に0.3まで落ちたのである。コンピューターのプログラミングと云っても今どきのPC相手の仕事ではなく、IBMの370とか4331といったホストマシンの端末に向かってDMSと云う簡易言語でオンラインの画面を設計する仕事だった。当時のグレーのスクリーンに緑の文字が表示されるディスプレイにほとんど一日向かうのだが、緑色の文字を見続けていると白いはずの壁がピンク色に見えたりして驚いたものだ。
いずれにしても当時の厚生省からVDI作業に関わる何とか指針みたいなものが出される前だったので相当目を酷使した結果なのだろう、学生時代に2.0以上だった視力があっという間に運転免許証に「眼鏡等」の条件がつくまで落ちてしまったのだ。その後はしばらくクルマを運転する時にだけかけていたメガネなのだが、10年程過ぎると、メガネをかけたままでは近くのものが見えなくなってきたのだ。悲しいかな、所謂「老眼」の始まりだ。
それでもデスク上での仕事にはメガネは必要なかったのでメガネをかけるのはクルマを運転する時だけで、随分と長い間近眼専用のメガネで過ごしてきたのだが、ここに来て深刻になって来たのがチェロを弾く時に楽譜が見えないと云う困った現象。数メートル先の物はメガネをかければ見えるし、机の上の物、本やPCのディスプレイはメガネなしではっきり見えるのであるがチェロの向こう側、1メートル先にある楽譜がメガネをかけても外しても見えないのである。困った。
困った挙句に苦肉の策で楽譜を拡大コピーして使っていたのだが、これはもう老化現象、メガネを作るしかないと覚悟を決めて、今日の仕事帰りにメガネ屋に寄って来た。どういう時に見えてどういう時に見えないのか伝えて検査。こんなメガネではどうですかと云われてかけたてみたのは、遠中両用と云うやつだ。これをかけて見てくださいと云われて視線を移したモニータ―の上にはなんと楽譜が表示されている。1メートル先の楽譜がくっきりはっきり。楽譜が見えなくて困っている人が多いから、こんな画面が用意されているのだろうと、感心しきり。
メガネが出来上がるのは来週だけれど、これでもう初見もばっちり!かどうかは判らないけれど、少なくとも楽譜が見えなくて弾けないと云うことは無くなりそうではあるが、楽譜が見えても見えなくてもやっぱり弾けないと云う深刻な事実が露呈する可能性もある。いずれにせよ歳はとりたくないものだが、こればかりは逃れる術もない。やれやれ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、しらす丼を食べに行った江の島で、「ついで」に撮った写真の内の一枚(^^; この写真は、順光ではそこそこの性能を発揮する往年のレンズも逆光になるとこれほど多くの問題を露呈すると云う一例として掲載した。使用レンズは往年のと云うにはまだ新しい、AF-S Zoom Nikkor 24-85mm F3.5-4.5G(IF)。D100用の標準ズームとして2002年に登場したレンズだが、これ程までに見劣りする(具体的には過大なフレアとコントラストの低下。掲載の写真はPSでコントラスト・彩度を高めているので、問題傾向はオリジナルよりはかなり改善されている)とは意外であったが、逆光と云う極端な悪条件でなければ、今でもそこそこ使えるレンズであるとも云える旧24-85mm F3.5-4.5Gではある。そうは云っても財布事情が許せばすぐにでも新しいVR付に買い替えたいところであるが、「いや、順光ならまだまだ使える!」と自分に云い聞かせて「ポチッ」を思い止まっている郷秋<Gauche>である。
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