気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く その1 「有賀神社の御加護です!!」

2013年11月14日 | 大洗巡礼記
 私が初めてのガルパン聖地巡礼を思い立ったのは、2013年11月10日。この記事を書いてるほんの四日前なんですよ。全くの突然なきっかけが二つも重なって、急遽大洗への旅が決まったのでした。

 きっかけの一つ目は、もともと11月10日には奈良の城の見学会の案内講師を頼まれていたのが荒天によって中止となり、10日は完全に暇となって家に居たことでした。それで、もう一度ゆっくり寝ようと布団を敷き直していたら、職場から連絡があり、なんと11、12日が連続して代休になったのでした。
 連休は久しぶりなので、よしガルパン戦車の第二作目にとりかかろう、と考えて積み上げてあるキットの箱を色々比べていたら、水戸市在住の芸大時代以来の友人から電話がかかってきました。これがきっかけの二つ目になりました。

「やあ星野、元気? 明日は休みかな?」
「ああ、さきほどいきなり代休を貰って11日と12日が連休になってんねん」
「それは凄いラッキーだな」
「うん、これでやっとガルパン戦車の二台目を作れるぞと・・」
「戦車プラモなんか後回しにしろ、君は明日は大洗へ行くんだ。いや絶対に行って泊まって楽しめよ」

 これには面食らったのでした。いくらなんでも明日とは急すぎる、と思いかけた途端、衝撃的な言葉が返ってきました。
「明日11日なんだぜ、こっちの有賀神社の虫きりのお磯下りは」
「えっ !! 明日 ?! 」
 いっぺんに頭の中が真っ白になりました。戦艦大和の九門の巨砲が轟いたような凄まじい爆音と震動が私を包みました。あの有賀神社の「お磯下り」が明日行われる !! うわあああああ !!
 これは大変だ、何がなんでも大洗へ向かわねば、という気持ちに駆り立てられまして、「そういうことならば、万難を排してでも行く。君も一緒に来てくれるんか」と話しました。

「いや、俺は会社があるんで無理だ。しかし、明日の朝8時に水戸駅南口でなら会える。その時に資料を渡すよ」
「何を言っとるんや、僕が明日の朝8時にどうやって水戸駅まで行くんや。明日の新幹線の始発に乗ったって、8時台にはまだ東京なんやで・・・・」
「馬鹿だな君は。夜行バスという方法を忘れたのかね」
「あ・・・、そうか・・・・」


 というわけで、10日の昼過ぎに関東鉄道のHPにアクセスし、水戸行きの夜行バスの席をオンラインで予約しました。私が予約した席が、最後の一席だったのにはびっくりしました。あと数分遅れていたら、満席になっていたかもしれませんね。これはもう、間違いなく有賀神社の御加護だ、と確信しましたね。

 すぐに水戸の友人に報告すると、「それは絶対に有賀二神 (武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)を指す) の御加護だな。やっぱり君は大洗に行く、と言う神託だな」と言われました。
「神託なのかね」
「そう思っておくんだ。それからな、ここからが重要だが、君の乗る夜行バスは明日の朝に水戸市街に入るわけだが、大塚の前後辺りから有賀神社御神体のお磯下りと同じ道を通る。たぶん御神体の横を追い越す筈だ」
「本当かね、夜行バスに乗ってる時点で、もうそんな貴重な機会に巡り合えるのか。これはいい撮影機会やな」
「馬鹿者、御神体だぞ、写真なんか撮るな、撮ったら神罰が下るぞ。絶対に撮るなよ」
「・・・分かった、心得ておく。手を合わせて拝むだけにする」
「そうしてくれ、じゃあ、水戸駅南口で待ってるから何かあったら電話をくれ」
「ラジャ」

 それからは大忙しになりました。もう一度ゆっくり寝ようと布団を敷き直したのを片づけ、インターネットや電話で大洗の宿を色々当たり、三番目の宿で予約を取ることに成功しました。続いて旅支度を整え、荷物をザック一つにまとめました。私はよく一人旅をするのですが、荷物を色々抱えたくない方なので、泊りがけであってもザック一つに全て詰め込んで手ぶらにします。これが今回の大洗行きでも大正解でした。
 続いて、夜行バスに乗るまでの数時間を、全て聖地大洗巡りの情報集めに費やしました。「大洗ガルパン・トラベル・ガイド ~ガルパン聖地巡礼の手引き~」がもっと早く発売されていれば、こんな苦労をすることもなかったかもしれませんが、結果としてはそれ以上の情報をかき集めて充分に役立てることが出来ました。

 そんなこんなで、半日で大洗行きの準備と聖地巡礼計画をまとめ、夜行バスと11日の宿の予約も済ませたのでした。夜22時過ぎに家を出て、夜行バスの乗車地点である京都駅八条口に着いたのは23時のちょっと前でした。


 予定通りの23時13分に乗り込み、席につくとすぐに眠りに落ちました。朝からずっと旅支度やらで忙しかったので疲れが出たのだと思います。
 目覚めたのは朝6時11分。水戸市街に入ってまもなく、友人の言う通りに有賀神社御神体のお磯下りを見ることが出来ました。軽トラの荷台に神輿のような形の御神体が収まり、軽トラの前後を茨城県警のパトカーが護衛しているという、ものものしさでした。友人の忠告を守ってカメラは出さず、窓カーテンの隙間から御神体を拝むにとどめました。
 夜行パスと軽トラが、しばらく同じような速度で併行して走っていたので、私が御神体を見下ろす形で拝んでいた時間帯は約10分ほどもあったでしょうか。朝からこのような幸運を経験できるのならば、大洗巡りもきっと楽しいに違いないぞ、と思いました。


 水戸駅南口には、予定より30分早く到着しました。あらかじめ連絡してあったので、友人もすぐに駆けつけてくれました。
「久しぶりだな、今朝は水戸も冷えてる。寒くないかね」
「うん、この通り厚着してきたし、防寒ジャケットも着てる。天気予報だと、明日もさらに冷え込むらしいな」
「そうだな、でも快晴になるから日中はまだマシかもな。ところで、これが資料だ」
 そう言って、手渡されたのが有賀神社の由緒書とお磯下り神事のコース地図でした。大洗磯前神社へのルートも細かく記されていました。友人は有賀神社の氏子衆に連なっているので、本来ならば神事のお供に加わらなければならない身だが、どうしても会社の休みが取れなかった、と愚痴っていました。
「俺の代わりにお磯下りの大洗巡行を少しでもいいから見届けてくれよな」
「分かった。その時間に間に合うようにしてみる」
「そうしてくれ。それじゃな、いずれまた奈良へ行くから、その時に天川村の温泉へ連れてってくれよ」
「うん」

 手を振り合って別れました。2001年に京都造形芸術大学のセミナーで同席して以来の付き合いです。ともに古社寺巡りを楽しんだ機会も多く、彼の家に遊びに行った際には有賀神社へも案内されました。この有賀神社については、また後で書きます。


 それから、水戸駅構内に移動しましたが、空腹だったのでまず構内の吉野家で朝定食をとりました。その後に改札口へ向いました。通勤通学の人々でごった返しており、観光客の私自身の存在に違和感を覚えるほどでした。


 大洗へは、水戸から鹿島臨海鉄道を利用して行きます。その路線図および運賃を、改札口に向かって右側にある表示板にて確かめました。


 これが初めて購入した、鹿島臨海鉄道の大洗までの切符です。片道310円でした。以前の記事で述べたように、大洗へは2001年9月に訪れているんですが、そのときは水戸の友人に車で連れていって貰ったのです。だから電車で行くのは、初めてでした。


 案内表示板の時刻と行先を確認し、8時21分発の鹿島神宮行きに乗ることにしました。


 まもなく列車が8番線ホームに入ってきました。行先表示がスルスルと回って「鹿島神宮」に変わりました。いかにも気動車らしい外観ですが、第三セクターの経済事情を反映するかのように車体の塗装があちこちで剥げかけていました。ガルパンラッピング列車の小奇麗さとは対照的でした。もう少し何とかならないのか、と思いましたね。


 今回の日程は、ガルパンラッピング列車の運行日とは重ならなかったのですが、聞くところによると、ガルパンラッピング列車の第二号が準備中だとの事でした。次に大洗に行く機会があれば、ラッピング列車の一号と二号とをあわせて見ることが出来るかもしれませんね。


 列車に乗り込むと、各所にガルパンの番宣ポスターが貼ってあるのが目につきました。いよいよ聖地に近づいてきたのだな、という実感が湧き上がってまいりました。 (続く)

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