表通りの裏通り

~珈琲とロックと道楽の日々~
ブルース・スプリングスティーンとスティーブ・マックィーンと渥美清さんが人生の師匠です。

ヒューマン・ライツ・ナウ!30周年

2018-09-27 11:55:53 | ブルース・スプリングスティーン

1988年9月27日(火)。丁度30年前の今日、僕は初めてブルースに会うことができました。


人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが主催するA Concert for Human Rights Now!Tokyoの開催が発表されたのは、確か2ヶ月程前だったような記憶があります。インターネットの普及する前、たまたま本屋で立ち読みした「ぴあ」の先行情報ページに、意外なくらい小さく掲載されていました。イベントの規模の割には殆ど話題にならなかったのではないでしょうか。もちろん僕はチケット発売日にゲットしましたよ。



アリーナど真ん中よりちょっと前の方でこの値段。今じゃ考えられません。もしかして各国この程度の金額が統一だったのでしょうかね?
他国ではスティングも参加(というより中心メンバーだったし)していましたが、オトナの事情(この数ヶ月後に日本公演だったせい?)により不参加。
日本公演はブルースの他、ピーター・ガブリエルにトレイシー・チャップマン、ユッスー・ンドゥール、開催国枠で宇崎竜童率いる竜童組(この後アルバム買いました)という、ちょっと寂しい面々ではありました。

平日にも関わらず開演は15時。ブルースが大トリを務めることは周知の事実だったこともあり、もちろん客席はまばらでした。1/3も入っていなかったんじゃないかな?

ドームなので客電が消えてもまだ昼間なので普通に場内が明るかったけど、おもむろにピーター、トレイシー、ユッスー、宇崎竜童、そしてブルースがステージに登場し、アカペラでボブ・マーリーの「ゲット・アップ、スタンド・アップ」を歌い6時間に及ぶ宴がスタート。
とはいえスティングのいないラインナップだったので、正直ツラかったのも事実です。ピーター・ガブリエルにしたってジェネシスも含め聴いたことなかったし、我ながら良く辛抱したものです。若かった(20歳!!)からですかね。

スティングがいればきっと「見つめていたい」のデュエットが聴けたはずですが、退屈な(当時も今もプログレッシブには全く興味がないので。好きな方ゴメンなさい)ピーターのステージがようやく終わり、ブルースとEストリート・バンドが、ピーターの「セカイデ モットモ イダイナ ロクンローラ ブルース・スプリングスティーン&ジ・Eストリート・バンド!!」のMCにのって登場したのは確か19時を過ぎた頃。

ブルースのMCはなく「1,2,1!2!3!4!」のカウントと共に記念すべき1曲目「ボーン・イン・ザUSA」(基本セットリストは各国共通だったみたいですね)から僕のブルース"ナマ"体験が始まったのです。
改めて(ブート盤ですが)当時の音源を聴き直してみると、曲のアレンジはUSAツアー当時に近い感じです。唯一の違いというか大きな違いは、野太い音をかき鳴らした長いブルースのギター・ソロが入るところ。当時の「トンネル・オブ・ラブ・エクスプレス」ツアーと同じ展開です。これがまたカッコ良いんです。
あのときは何も考えず何も疑問に思わなかったけど、♪ボーン・イン・ザ・ユー・エス・エー!!に合わせて拳を振り上げる行為が正しかったのかどうか...まぁ、その後衛星放送で観たブエノスアイレス公演でもみんなやってたから良いってことにしておきましょう。

続けざまに2曲目には「プロミスト・ランド」。大好きな曲です。ブルースのハーモニカのソロ。ゾクゾクします。
クラレンスのサックス・ソロの直前に初めて歌詞に「トーキョー」挟み込んでいますが、とにかく音の悪さでは有名だったドームですので、殆どの人の耳には届いていなかったかも。

そこからまたMCなしで「カバー・ミー」。これもまたアルバム・バージョンに限りなく近いシンプルな構成でサラっと流し、日本初登場、当時まだ新曲だった「ブリリアント・ディスガイズ」になだれ込みます。最近のステージのようにパティと二人しっとりと歌い上げる風ではなく、至って普通。結果、この日唯一の新曲でしたね。

ここで初めて「日本に戻ってきたよ」と小声で一言、そして「ザ・リバー」のイントロが流れます。他国ではこのツアーの途中からスティングが加わり、スティングがメインボーカルでこの曲を歌いましたが、もちろんこの日はブルースとEストリート・バンドだけのオリジナル・バージョンでの披露でした。スティングのバージョンは曲の雰囲気が全く違ってくるので、僕としてはこっちが聴けて良かったですね。オリジナルに近いアレンジでしたが、ピーターのバンドのシャンカールというバイオリニストが参加して彩りを添えてくれました。

続いてマックスのキレッキレのドラミングが印象的だった「キャディラック・ランチ」。スピード感グルーブ感がハンパなかった名演奏だったんじゃないでしょうか。おなじみ間奏のギターバトルからクラレンスのサックスもグイグイきています。
そして「ウォー」。いつもより1.3倍位テンポアップしているので3分もかからずにおしまい。

ここでようやくブルースの喋りが入ります。ブート盤から音を拾ったものを書き出します。

I don't speak Japanese. But I'm try.
「子どもの頃Rock'n Rollを聴いて、とても自由な気持ちになりました。Amnesty Internationalに参加することで、自由でいられるあなたたちが世界中の人を自由にすることができます。我々と共に自由の声をより高く響かせよう!」意外に日本語の発音がお上手でした。

からの「マイ・ホーム・タウン」。心に沁みました。とてもシンプルな構成が、一層感動的なステージになったのではないでしょうか。最後の会場と一体となった合唱もあり素晴らしい一曲でした。

余韻に浸る間もなく「涙のサンダー・ロード」。この曲は「トンネル」ツアーでは殆ど披露されていなかったのが不思議な程、タイトかつ抒情的な演奏でした。

ここから「米国」三連発。今やブルースのステージには欠かすことのできない、数少ない大ヒット曲「ダンシング・イン・ザ・ダーク」はUSAツアー・バージョンと「トンネル」ツアー・バージョンの中間位な感じのオーソドックスな演奏。それに続く「アイム・オン・ファイヤ」はツアー・プレミアだったようです。雰囲気は腰振りダンスありの「トンネル」ツアー・バージョンに近かったですね。そして「イッツ・ア・ボス・タイム!!」のない、"フツー"の「グローリー・デイズ」。「トンネル」ツアーでは終盤のハイライト的に「ハングリー・ハート」や「ロザリータ」と並んで使われていましたが、トンネル・ホーンズの入らないとてもシンプルな展開が、今聴くと逆に新鮮です。途中今じゃあり得ない、名前を羅列するだけのメンバー紹介もありましたが、やはりリトル・スティーブンがいないと盛り上がりに欠けるのかな?って、エンディングを伸ばして伸ばして十分盛り上がりましたけど。

さあ会場の熱狂もピークに達した頃、ブルースのステージもいよいよ佳境にはいりました。カウントもなしに遂に「明日なき暴走」の登場です。この日東京ドーム"BIG EGG"(死語)を埋め尽くした(ウソ。空席が目立ったのは事実)ブルース・ファンのボルテージは最高潮!ここも拳を振り上げての大合唱でした。これ、ホントに気持ち良いんですよね。クラレンスのサックス・ソロも音を外すことなく絶好調。終盤のブルースのギター・ソロとのバトルはトリハダものです。

「レイズ・ユア・ハンド」は『ライヴ1975-85』に入っている’78年の『闇』ツアーの頃のバージョンに似ている怒涛の演奏。続く「ツイスト・アンド・シャウト」は何と言ってもオーディエンスとの掛け合いが楽しい一曲。ブエノスアイレス公演を観ると他のアーティストたちも一緒にステージで盛り上がっていますが、この日他のアーティストがいたのかどうかはさっぱり覚えていません。僕はブルースの一挙手一投足に完全に入り込んでいました。この曲終わりでこの日初めて「ドウモアリガトウ」がでました。

そしてこのツアーのテーマソングとも言うべき、ボブ・ディランの「チャイムス・オブ・フリーダム」。ブルース~ピーター~トレイシー~ユッスーと歌のバトンが繋がれていく様は感動的でした。

最後はまた「ゲット・アップ、スタンド・アップ」。僕はレゲエも全く知識がないので良く知らないけど、この曲だけは聞いたことがありました。ただブルースが歌うとレゲエと言うよりはソウルっぽいけど。
ところでこのバックの演奏ってEストリーターたちだったのかな?

最後にピーターが日本語で「アムネスティに参加してください!」と呼びかけ、ブルースが英語で「日本からの協力も宜しく!」みたいなコメントで6時間余に及ぶ宴は幕を閉じました。あまり話題にもならず客席も全て埋まらなかった世紀の一大イベント、僕にとってのブルース初体験はこんな感じでした。なにかとっても大切な部分が抜けてしまっているような気もしますが、30年も前のことなのでお許しください。
全体的にみればMCすら殆ど入らない、純粋に音楽を紡いだ15曲だけの旨みの凝縮されたショウだったと思います。まだ東西冷戦の続いていた時代で、米英のアーティストが殆ど足を踏み入れたことのない地域(アフリカ大陸や東ヨーロッパ)でのショウが多かったので、判り易く簡素な内容にする必要性もあったのかも知れません。幸いにもその後3時間を超えるブルースのステージを何度も体験できていますが、最初はこれで良かったんですね。実際短い!とか物足りない!とか感じませんでしたからね。
でもこの日の体験がなかったら、今のブルースを追い続ける自分は存在しなかったんじゃないか...今思えばそんな風に考えてしまう今日この頃です。

ブルース!!また日本で会いたいです!!