読売新聞社主筆の渡辺恒雄さんが逝去されました。御年98歳。
讀賣(NPBのあのチーム)のオーナーをなされていた頃は、コメントの一部を切り取られそれを大々的に報道されたせいもあって良い印象は全くありませんでした。もちろんあの球団のドンっていうのも大きかったけど。
僕は今までにオーラを発している方に三回お会いしました。
最初は高倉健さん。当時勤めていた映画関連の会社の階段でばったりお会いしたんですが、とても腰の低い丁寧に(僕みたいな若造にすら)ご挨拶をしてくださる方でした。
その高倉さんの周りを覆っていたのが、天井にも届こうかというほどの虹色に輝くオーラでした。圧倒されました。そのせいでサインを頂くのも忘れてしまったのは未だに悔やんでいます。
二度目はまだ宮城で男子ゴルフツアーをやっていた頃の話です。当時テレビ番組制作会社にいた僕は、ゴルフの細かいルールすら知らず中継現場、しかも放送席周りのアシスタント(雑用です)として現場に派遣されました。
その時、選手関係者用のお手洗いで(まさに身体同様)大きな声で話しながらジャンボ尾崎プロが隣にいらっしゃいました。あまりの迫力に用を足していた僕は全ての機能を失い静止してしまいました。
見上げた(だって名の通り天井に頭がぶつかるんじゃないかってくらい背が高くて体格の良い)ジャンボさんの身体からは「火事!?」と見間違えるほどの真っ赤なオーラが発せられていました。
そして三人目が渡辺恒雄さんです。
渡辺さんが球団会長か顧問をやられていた頃だと思います。たまたま水道橋の屋根付き野球場のVIPルームにウチ(勿論タイガース)の試合の際にご招待頂き、居心地の悪さを感じながらも優越感(もう二度とないだろうし)に浸りながら高い位置から試合を観戦していました。
その頃まだ喫煙者だった僕は、喫煙所を探してVIPルームの廊下を彷徨っていました。廊下はフカフカの絨毯だったような記憶がありますが、その後に起こった奇跡的な出来事のせいで、試合内容・結果も含め何をご馳走になったのかすら覚えていません。
ようやく喫煙できる場所を見つけ煙草を一本吸い終わって部屋に戻ろうとしたら、あの渡辺さんが鬼のような形相でこちらに向かってきました。
「あ。ナベツネだ」僕は心の中でそう叫びました。まさかあのナベツネさんにお目にかかれるなんて思ってもみませんでしたから。
多分自チームが劣勢だったんでしょうね。渡辺さんは同行していた方を叱責しながら腰を下ろし、葉巻かパイプに火をつけて一息ついたとき僕と目が合いました。だって僕は何かに取り憑かれたかのように渡辺さんの一挙手一投足を目で追っていたので、渡辺さんも僕の視線に気が付いたのでしょう。それほど広くないラウンジでしたから。
思わず僕は背筋を伸ばして「こんにちは」と頭を下げながら渡辺さんに挨拶しました。
ニュースや新聞で拝見する通りの渡辺さんの周りには、これは僕の思い込みだとは思いますが黒いオーラが立ち上っていました。もしかしたら高倉さん同様虹色のオーラだったのかもしれません。しかし今では、僕の偏見や偏った報道で刷り込まれたイメージのせいで黒に見えたんだと信じています。
だってその時の渡辺さん、こんな僕の挨拶に対してドスの効いた声で「おう!」と一言手を挙げて応えてくださいましたもん。
それからというもの僕は渡辺さんに対する偏見は全くなくなりました。単純なもんですね(笑)
しかし、改めて渡辺さんの経歴を拝見すると凄まじい人生を送ってこられた方ですよね。渡辺さんの前ではもはや善悪なんてものはどうでも良くて、ホントに心の底から畏敬の念しか沸いてきません。
でもここは敢えて、ナベツネさんと呼ばせて頂きます。
ナベツネさんどうぞ安らかに...。
お会いした際もこんな雰囲気でした。